Dream29.どこまでも落第する夢魔2
そして呟く。
「……いない?」
それは茫然自失とも、喪失感とも言い難い声色で辺りに響き渡った。
その瞬間を、セシルドは見逃さない。
「あんたの中のアンタならここにいるぜ」
意地の悪い顔をして、私の方をちらりと見たセシルドが顎で何かを指し示す。
その時私ははっと気が付いて、ポケットの中にしまっていたあの黒い珠を取り出した。
手のひらの中でゆらゆら転がる珠の中にはもちろん、あのもう一人の夢魔がいる。
それをおもむろに気弱な方の夢魔の眼前へと持っていくと、しばらく目を凝らしてそれを見つめていた夢魔が小さく悲鳴を上げた。
「あ……ああ……」
その顔を見なくても分かるくらいに、夢魔の体が小刻みにガタガタと震え出す。
自分の中にもう一人の自分がいるだなんてどういう状態なのか私にはまったく想像も付かないけれど、この夢魔はその存在を認識していて、そしてその喪失も感じている。
それは一体、どういう感覚なのだろうか。
どのような気持ちで、片割れの封印されたこの珠を見つめているのだろうか。
そんな風に考えていると。
「やった……やった……! ついに追い出したわ! あはは……あははは」
想像に反して、夢魔の口から飛び出た言葉は溢れんばかりの歓喜の声。
驚いて一斉に注目する私たちをよそに、夢魔はしばらくの間、言葉を変え、抑揚を変え、自身の喜びに浸っているようだった。
そのあまりの喜びようといったらもう、私がパン食い競争で一位を取った時の比ではなく、泣いたり笑ったり叫んだり、とにかく感情が忙しい。
情緒が壊れたのかと戸惑ってセシルドやリュイに視線をやると、二人も何がなんだか分からない顔をして首を傾げている。
けれどこのままでは何も話が進まないと判断したのか、いまだ竪琴を抱えたままのリュイが一歩踏み出すと、春風のそよぐような口調で問い掛けた。
「あなたは……えっと、ひとまず”彼”と呼びましょうか、彼の存在をよく思っていなかったということですか?」
リュイの言葉に、夢魔が勢いよく反応を返す。
「当たり前です! あいつは、私の中に無理やり乗り込んできたんですもの!」
「乗り込んできた?」
夢魔の回答に驚いて叫んだ私を、セシルドが目線だけで制してくる。
だから慌てて口をつぐむと、それを見計らってリュイが先を続けた。
「後から乗り込んできたとは? どういうことです?」
決して声や調子を荒げることなく質問するリュイであったけれど、それはいわば優しい口調で行われる尋問でもあった。
答えるまでは、解放されない、尋問。
けれども夢魔は、まるでそれを誰かに聞いて欲しかったかのようにして、自分から聞いてもいないことまでを語り出した。
「私は……南の魔術師の支配下にいた夢魔で、悪魔の日だけ人間に悪夢を見せるだけの善良な夢魔でした。でも……いつもいつも、宿り主となる人間には笑われて、最後には悪夢どころか楽しまれちゃって……全然、私なんて夢魔に向いてなくて……」
告白しながらさめざめと夢魔が泣く。
「みんな立派に悪夢を見せることができたって帰ってくるのに、私はいつも……いつも……。でも……、そしたら、いつの間にか、みんなだんだん、おかしくなっていって……」
夢魔の話に割って入る者は誰もいない。
下手に話の腰を折るような事を言って、核心に触れられなくなることを恐れたからだった。
私でさえも。
「……夢魔だから……悪夢を見せることは仕事だから……みんなどうすれば宿り主が夢の中で苦しんでくれるか考えて頑張ってたのに。でも、みんな……みんなだんだんおかしくなっていって……。とり憑いた人を過剰に苦しめるような事を喜んでやるようになって……私……私怖くなって……。そしたら、いつの間にか私の中にも”アイツ”が乗り込んできてて……。言うこと聞かないならお前の事消してやるって言われて、私……私……」
少し離れたところで私たちを見守るように立ち尽くすミルさんが、遠慮がちながらも嗚咽を漏らし始める。
「だから私は……あなた達を傷付ける気なんてなかったんです! ただ、……命令だから、キラを捕まえろって言われて……仕方なく……」
「その話は本当ですね?」
夢魔の主張が一通り終わったと判断したのか、そこでようやくリュイが念を押すように夢魔を覗き込むと、夢魔は涙でべしょべしょになった顔を隠そうともしないままに頷いた。
その拍子に、夢魔の体を戒めている私の腕にも涙がポロポロとこぼれ落ちていく。
「私達は夢魔です。でも、みんな本当は優しいんです! それなのに突然違う人みたいになってしまっただけなんです」
しばらく夢魔の顔を目を逸らすことなく見つめていたリュイであったけれど、ふいにひとつ溜め息を吐くと、そっとその視線だけをセシルドの方に向けた。
「どう思いますか? セシルド」
そしてそれだけをセシルドに問う。
するとしゃがみこんだままのセシルドもまた、リュイの方を一瞥してからふーっと息を吐いた。
「あり得ない話ではないと思う。元々夢魔は攻撃的な生き物じゃないって言うし……」
「ええ、そうですね。たまに魔術師の監視を潜り抜けて悪さをする者はいましたけど……ここ最近の夢魔達は確かに攻撃的と言われれば攻撃的です。ですが、だんだんおかしくなっていってと言うのは、一体どういう意味なのか……」
セシルドとリュイはその答えにたどり着けないもどかしさからか、どちらも眉間に深い皺を寄せて考え込んでしまった。
今の話を聞いている限りだと、私には心当たりがないわけじゃないんだけど……。
現実の世界で言ったら絶対笑われて、バカにされるんだろうけど……。
「あ、あのさ……」
ここは夢の世界だし、実際現実ではあり得ない事ばかり起こる世界だし、少しくらい非現実的な意見を言っても笑われないよね。
そんな葛藤を抱えながら、私はおずおずと片手を上げた。
「なんだ? 金魚」
「だから金魚っ……ってそうじゃなくて。その……おかしくなったって話さ、みんな人格乗っ取られたんじゃないの? えっと……洗脳とかさ、そういうの……よく聞くじゃん?」
マンガでだけど。
と心の中で付け加えるのを忘れない。
「私が知ってる話だとさ、だいたい悪者に集団で操られる時って、なんでか知らないけど一人だけうまい具合に回避しちゃう人っているんだよね。もしかしたらこの夢魔がその一人だったかもしれないよ。まあ、大抵すごい才能のある人か、ポンコツなんだけど」
私がそう言うと。
「私は……ポンコツってことですかぁ?」
泣いちゃった。