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せっせと歩いて長谷寺駅に戻り、電車で近鉄桜井駅まで行ったら、バスの時間が無かったのでタクシーに乗った。
目的地の安倍文殊院までは950円で行けたから、数人でフリーきっぷを使わずに行くならタクシーもオススメ。
運転手さんが色々教えてくれて、それもまた楽しい旅の思い出になるしね。

安倍文殊院は創建が645年、なんと乙巳の変(大化の改新とも)と同じ年に建てられたお寺です。陰陽師で有名な安倍晴明出生の地とも言われています。
御本尊様は文殊菩薩様で、「3人寄れば文殊の知恵」の文殊様。
受験生とか、大きな試験を控えてる人には特にオススメのお寺なのではないかな。

大きな本堂。絵馬がたくさん奉納されてる。
みんな良い結果ご報告できると良いね。

お堂の免震工事の関係で、いつもは獅子の像に跨ってる御本尊の文殊菩薩様が、降りた状態で安置されてる期間でした。
文殊菩薩様は獅子の上に乗っていると、7mもの高さになる大きな仏様。
その仏様が工事の終わるまでの期間限定で獅子から降りているので、いつもよりも近くで拝見できると言うのだから、さっそく拝観受付をして中に入るぞ!
本堂の中は天井が高くて広々としている。
文殊菩薩像は少し高くなってる場所に安置されていて、どうしても仮安置のため、写真で見るよりももっとギュッと圧縮されて置かれている印象を受けた。
でっかいのよ、獅子が!
その横に文殊菩薩様、維摩居士像、須菩提像、優填王像、善財童子像がそれぞれ置かれ、これらすべてを総じて国宝の渡海文殊群像としている。
常時は優填王像が獅子の手綱を握っているけど、この時は獅子から離れていたので手綱もお休みだったから、その姿もまたレア。
じっくり見てる人が多かったけど分かるわ。文殊菩薩様、すんごい美しいんだもん。
獅子も愛嬌のある顔してて迫力もあるし。
これはまた通常の位置に戻った後も来ないとだ!
安倍文殊院の仏様は小さいのから大きいのまで干支が振り分けてあるので、自分の干支の仏様を探すのも楽しいかも。
ちなみに文殊菩薩様は卯(うさぎ)担当でした。
本堂の奥にはもう一つ重要文化財の仏様がいて、元々は現在の談山神社が所有していた釈迦三尊像がそれ。
談山神社はかつて多武峯妙楽寺と言うお寺で、明治政府の廃仏毀釈によって神社に形態を変えたそう。
その時に安倍文殊院が御本尊の釈迦三尊像を引き取って、本堂に安置することになった。
そのまま置いていたら壊されちゃうところだった…明治政府めっ!
安倍文殊院からも近いし、談山神社と聖林寺も次は行きたいなぁ。
本堂を出たら、受付横で御朱印をもらって境内を散策。

金閣浮御堂。
入口脇には遣唐使として唐に渡り、唐で官吏となった阿倍仲麻呂の和歌の刻まれた石碑がありました。

百人一首にも選ばれた歌で、唐の地から、故郷奈良の風景を思い出して歌った歌だと言われている。
阿倍仲麻呂は有能過ぎたために唐の皇帝から帰国許可が出ず、老年になってからようやく許可が出たと思ったら船が沈んでしまって、結局帰国が叶わないまま唐で亡くなったと言われており、そう考えるととても好きな歌なんだけど…悲しくもなる。
浮御堂は別途700円(本堂との共通券あり)で拝観できるお堂で、その阿倍仲麻呂や安倍晴明など、安倍一族をお祀りしているお堂です。
堂の周りを7周すると、災厄を祓える修行場にもなっていて、浮御堂拝観受付で7枚綴りの赤い札をもらって、堂の周りを一周するごとに正面の賽銭箱に赤い札を切り離して入れる→また一周する→赤い札を切り離して入れる、を繰り返す。
急いでる人は1周だけして札を全部入れてもご利益があるのだそうだが、7周終えたらお堂の正面で再び手を合わせ、左手の扉からお堂の中へと入り、お堂の中に安置されている阿倍仲麻呂像や安倍晴明像にお参りする、までがセット。
700円は高い、と言う意見もちらほら見かけたけど、浮御堂拝観と厄除け修行(7周周る)に加えて、小さなお守りももらえるので決して高くはないと思います。
浮御堂を出たら、浮御堂を見下ろせる展望台に上る。
写真は撮り忘れたけど、安倍文殊院の境内には古墳がふたつあって、浮御堂の向かいに西古墳、展望台へと上る合格門という門の近くに東古墳がある。
特に西古墳は国の特別史跡に認定されていて、中にも入ることが出来るので、怖くない人は入ってみると良いです。
奥には願掛け不動さんがいたよ。

せっせと階段を上り、展望台から浮御堂を見下ろすと、パンジーの花で形作られた巳年の文字と、安倍晴明の印でもある五芒星が。
巳年の「み」の字がちゃんとヘビになってるのがすごい!
この展望台には、安倍晴明に関するものがふたつ。

ひとつはこの晴明堂。
安倍晴明をお祀りするお社で、中に入ると正面に「如意宝珠」という玉が置かれていて、触れることで心願成就や魔除け災難除けのご利益をいただける。

そしてもうひとつがこの碑。
安倍晴明が天体観測をしたと伝わる場所を示すもの。
安倍晴明は平安時代の陰陽師で、陰陽道は天文学や暦などを使って吉凶を占ったりしていたので、天体観測は日常的に行っていたんだろうな。
安倍晴明もここに立って星を見上げていたのか、同じところに立っていたのか、と想像すると、それもまた楽しい。
見どころたくさんですごく良いところだった…また来ます!
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