Dream7.夢魔
“ブレイブ”
“ウィザード”
“ナイト”
そして“ヒーラー”
どれも魔具使いの階級を表す呼称。
この他にもいくつかあるらしいけれど、最も一般的なのがセシルドの“ナイト”なのだそうだ。
細かい説明を聞いてる暇などなくて、実際どのような能力を持ってるかは分からないけど。
「いいか、キラ。とりあえず合図があるまでお前は手出しするな。単なる夢魔のいたずらならば命を奪う必要はない」
私たちは先ほど村の会合が行われていた家屋へ急いでいた。
途中このようにいくつかの忠告がなされ、そのひとつひとつに私は頷く。
「できればそう願いたいですね。夢魔とて懲らしめれば大人しくなりますから」
「ま~金魚様の手を煩わせるまでもないな」
リュイとセシルドも口々にそう言って笑った。
私だってできればそれを願う。
夢の世界に来てまで刃物を振り回すなんて……複雑だもん。夢魔がどんな生き物なのかも知らないし。
第一、私はそんなに強くない。
「こちらでございます」
村人たちに案内され辿り着いたのは、村の中心からやや外れに位置する数件の家屋だった。
見たところ、どこも普通の民家で、不穏な空気などさらさら感じない。
だがどの家も中では住人が悪夢にうなされていた。
全身から溢れるほどの脂汗を浮かべ、悔いしばる口許から発せられる声は誰の耳にも異常に響く。
「ご覧の通りですじゃ。何をしても目を覚まさん……このままでは衰弱してしまう」
昼間会合の席にいた老人(村長さんだった)はそう言うと、片手で顔を覆いながらガックリとうなだれた。
確かに、昨日今日このラルファールにやって来た私から見ても、眠る村人の様子は尋常ではない。
その様子をジッと見つめていたクライスは、何か俯に落ちない点があるのか、何度も首を傾げていた。
リュイもまた「妙ですねぇ」と呟いている。
「? 何が妙なの?」
思わず眉をひそめる私は、隣で肩を並べるセシルドにそっと小声で尋ねる。
するとヤツはチラッとこちらを一瞥すると、すぐに視線を元に戻して言った。
「本来、一人の夢魔が支配できる夢はひとつだけなんだ。だが何人もとり憑かれてる今の状況からすると、夢魔は複数いる可能性が高い」
腕を組み答えるセシルドの表情もまた厳しいものだった。
「とり憑いてる夢魔がいっぱいいるってこと?」
こんな場面に際しても、私はどこか緊張感に欠ける反応を返してしまう。
けれど意外にもセシルドはその部分には突っ込んでこなかった。むしろ自分の考えに集中しきっているように見える。
「まさかとは思うが……上位夢魔の可能性も無きにしもあらず、だな」
セシルドの言葉を受けて、クライスは私たちだけに聞こえるように囁いた。
その意に同調するように頷いたリュイは、己の魔具である竪琴を抱え直すと、軽く指を滑らせた。
住人の苦しむ声だけが響く空間に、それはまるで一瞬の安らぎをもたらすかのような余韻を残す。
「とりあえず、ここは“ウィザード”の腕の見せどころですね」
ニコリと笑うリュイはその後、手際よく近隣一帯の住人を避難させ、“夢魔退治”の舞台を作り上げた。
いよいよ夢魔との最初のご対面か――そう思うと、どんどん鼓動が速まる気がして息苦しい。
三人より一歩下がって立ってる私はまるで騎士に守られる姫のよう……だったんだけど、いちいちはしゃいでる余裕なんてなかった。
自らの魔具に手を絡めるクライスの身体から、目に見えるほどのオーラが溢れ始めたから。
「よし、んじゃ始めるとするか! どんなのが出てくるかは見てのお楽しみってな」
その圧倒的なパワーは、私たちすら威圧する。
クライスは左手で魔具を握り締め、右手を真っ直ぐ前に突き出していた。
クライスの首に下げられたやや大きめのシルバーのチャーム、それが彼の魔具だ。
瞳をかたく閉じたクライスの口許から、せわしなく言葉がつむがれては消えていく。
だが不意に目を開くとともに突き出した右の拳を握り締め、高らかに叫んだ。
「具現!」
その声と同時にクライスを包むオーラが右手に集中し、バッと音を立て四方に散っていった。
――まるで蜘蛛の糸のように。
「ウィザードはね、あのように人にとり憑いた夢魔を引きずり出す力があるんですよ」
ポカーンと口を開けてその様子を見守っていた私に、リュイがそっと囁いた。
ふぁ……ファンタジー……。
「そーら捕まえた!」
楽しそうに右手を反してクライスはニッと笑うと、ゆっくりゆっくり右腕ごと後方へ引いていった。
顔は笑っているけれど、相当力を込めているのか、クライスの姿勢が低くなるにつれて足元の土がどんどんえぐれていく。
ちょっと……クライス大丈夫なのかな。
なにもできない私はただハラハラしながらその姿を眺める事しかできなかった。
しかし彼はすぐ私の不安を断ち切ってくれる。
「オラッ!」
なかなか豪快な掛け声とともに一気に腕を引くと、放たれていたオーラの糸が再び戻り始めたのだ。
音も無く集まるオーラの束の先に、何かが絡まっているのが見えたかと思うと、それはクライスの足元に容赦なく叩き落とされた。
「イタ……」
声は女のものだった。
そう言えば……夢魔は女性の姿をしてるって言ってたっけ。
気が付けば初めて見る夢魔を、前のめりにマジマジと凝視していた。
「痛いじゃない……この私に傷付けたらただじゃおかないよ!」
夢魔はそう叫ぶとふらふらと立ち上がって私たちを睨みつけた。
「「うわ……露出狂!」」
その姿を見た私とセシルドの顔は思いっきり引きつっていた。
女は掌についた砂を軽く払うと、ちらりと覗かせた舌でそれを舐めた。
はっきりとした甘い顔立ちにふわふわクルクルの長い髪、それにめちゃくちゃ際どい身なりは女の私でも目のやり場に困る。
「おやおやこれは……」
不自然に目を反らすリュイも苦笑いを隠せないようだった。
「よぅ夢魔。お前一人か?」
クライスはすごい。
あんな露出狂のお姉さんを見たって全然動じないどころか、夢魔の真正面に立って鋭い視線と声で夢魔を威圧してる。
これが王族の威厳というものか……。
「あら、アタシ好みの男じゃないか」
にもかかわらず、色目なんか使っちゃってる夢魔の女はまだまだ余裕のようだ。
「一人かと聞いている」
声色を変えず再びクライスが尋ねると、夢魔は首を傾けながらクライスの頬に手を伸ばした。
「このサキュバス様に無能な手下なんていらなくてよ?」
クライスの耳元に近付けた唇から、クスクスと笑みが漏れた。
うわ……クライスったら露出狂のお姉さんに迫られてる。
そう思いながら一人で赤面する私の隣では、セシルドが小さく舌打ちした。
「サキュバスなんて下の上じゃねぇか。クライス様に触るんじゃねぇ! 淫魔が!」
その瞬間、サキュバスの顔が凍りついた。
――物には言い方があるはずなのだが……後悔してももう遅いようだ。
顔面いっぱいに青筋を立てたサキュバスは片方の口角だけをつり上げると、ふふふと妖しく笑った。
「ずいぶんな言い草じゃないか坊や。ならば下の上の悪夢――見せてやるよ!」
サキュバスはそう叫ぶと、未だその身体に絡み付くクライスのオーラの糸を引き千切った。
反動でクライスが後ろへよろけたが、すぐに踏みとどまると暴れるサキュバスの腕をなんとか掴む。
「お放し! 」
クライスの手を振り払おうとさらに暴れるサキュバスは、ふいに天を仰ぐと大きく開けた口から黒の球体を吐き出した。
「さあ、覚めない夢を見せてやろう」
それはあまりに唐突すぎた。
夢魔の頭上に浮かび上がった球体が突如セシルド目がけて飛んできたのだ。
あ、っと思った時にはもう遅くて。
とっさにリュイが張ろうとしたシールドも間に合わず、セシルドはいきなり苦しみ出すと膝からガクリと崩れ落ちた。
――そこにサキュバスの姿は無い。
「あ……れれ?」
私もクライスもリュイも、倒れ苦しみ出したセシルドに駆け寄ると、その身体を激しく揺すった。
「……ったく、サキュバスは上位夢魔だぞ」
従者のピンチだと言うのに、主はのんきに呆れていた。
「これは……とり憑かれてしまいましたね」
「だな。にしてもあの黒い玉はなんだったんだろう……」
「ねぇ、どうするの?」
苦しみのたうつセシルドを囲んだまま、私たちは口々に声を上げた。
何度激しく揺さぶっても、頬を叩いても、セシルドはうなされたまま目を覚ます気配がない。
「あんな黒の球体を見たなんて話聞いたことあります?」
訝しげに眉をひそめたリュイは、今一度あの時の状況を思い出すように額に手を当て呟いた。
サキュバスが吐き出した黒の球体が、ワッとセシルドを包んだのは覚えている。
「……ないね。初耳だぜ。とにかくもう一度サキュバスを引きずり出すしかなさそうだ」
大きな溜め息をひとつ吐き、クライスは地面に転がるセシルドを見下ろした。
そしてまた、恐らくはセシルドの夢の中にいるであろうサキュバスを捕えるべく魔具に手を伸ばした。
静かに放たれたオーラはセシルドの中に吸い込まれて、とり憑いた夢魔を探す。
だが刹那、クライスは驚愕に目を見開いた。
――チッ。
何度かオーラの糸を放ち直してみたが一向にサキュバスを捕えられない苛立ちから、クライスは小さな舌打ちを繰り返した。
「何かが邪魔してやがる! サキュバスの姿が全然見えねぇ!」
そしてまた舌打ちをひとつ。
「やはり妙ですね……。“ウィザード”の力を持ってしても姿が見えないなど、……有り得ない」
「セシルドの中にいるのは確かなんだ! クソッ!」
一層声を荒げるクライスは何か手だてがないかとリュイに尋ねた。
すると――。
「無いわけではありませんが……リスクは高いですよ」
しばらく考え込んだ後に、リュイはそう言った。
「それに私とあなたはこちらに残らなければならない……やるならキラさんにお願いするよりありません」
リュイの言葉を聞いた瞬間、クライスはアッと短く頷いた。
「なるほど……しかしキラには危険過ぎる。 “ブレイブ”と言えども実力も分からない、それも女を送り込むのは承服しかねる」
「そうですよね。だから私もお手上げです。根気よくサキュバスを捕まえるしか……」
そう言うと二人はまたも頭を悩ませてしまった。
私はただその様子を眺めている事しかできなかった。
けれどその間、私はいくつかの葛藤と戦っていた。
――この状況で……私にできる事はなんだろう。
神様はどうして私を選んだの?
この短剣が本当に魔具ならば……私はきっと“できる”はず。
でも、この世界では戦いたくない。
けれど一刻も早くサキュバスを倒さないと……。
私は……負けたくない!
「どうすればいいの? 方法あるんでしょ? アタシがホントに“ブレイブ”なら、きっと大丈夫だよ。喧嘩なら強いし!」
思い切ってそう言うと、私は笑ってみせた。
頭の中をぐるぐる回る雑念は必要ない。
友人や知人たちに比べれは喧嘩が強いのも実は事実だ。
私はきっと“できる”。
「説明だけでも聞かせてよ。ぜーったい成功させてセシルドのヤツに泡噴かせてやるんだから」
この際セシルドに恩のひとつやふたつ着せておけば一石二鳥じゃないか。
そう思った途端に不安など欠片も消え去り、替わって若干邪な期待に私はほくそ笑んだ。
しばらくの後、沈黙を守っていた二人は顔を見合わせると、静かに頷いた。