Dream17.眠れるリュイの妻
南の国は他の国よりも陽気で、ほんのり太陽の香りがする美しい国だとリュイが言っていた。
自分の故郷だからそう思うのかな、と。
いいや、彼の言葉に偽りは無いと思う。
人も気候も暖かいし、私の世界とはまるで違うのになんだか郷愁を誘う懐かしい雰囲気の漂う国だ。
けれど、そんな国だからこそ、夢魔に取り憑かれた人の姿を見るのは心が抉られるようだった。
それが誰かの大切な人なら尚更。
目の前に横たわる女性の顔は不思議なくらい安らかだった。
一見しただけではただ寝ているだけにしか見えないのに、私の短剣にはしっかりと彼女に巣くう夢魔の姿が映っている。
でも女性は少しも苦しんだり呻いたりすることなく、静かに夢魔に蝕まれて昏々と眠り続けているのだそうだ。
「虜になると……こういう状態になるそうです」
ゆっくりと目を閉じて、リュイはそう言った。
その顔からは目を伏せていても溢れんばかりの悔しさと悲しみが感じられて、どうしようもなく胸が痛む。
今、私達はリュイの家にいる。
魔術師レアの転送魔法で飛ばされた先が、この小さな村のすぐ近くだったのだ。
降り立ってすぐ、リュイは「なぜここに?」と少し驚愕したようだった。
レアがあえてこの村を到着地に選んだのかはわからないけど、いつもの冷静さを欠いたリュイの姿に、私達は何かあると本能的に感じ取った。
場所を把握するや否や、リュイの足は自然と自宅へ向かって行った。その後を追うのが精一杯と言ったくらい足早にだ。
リュイの家は村を少し外れた丘の上。
出迎える者無いドアが開かれ――。
そしてやっぱり、何かあったというわけだ。
「情けない話です。魔具使いでありながら、自分の妻すら救えないなんて……」
自嘲的な笑みを浮かべてリュイはうなだれた。
けれどその両手でしっかりと握り締める女性の手は離そうとはしない。
リュイの話ではもう二ヶ月もこの状態が続いているのだそうだ。
他国の貴族の要請を受けて詩吟披露に出掛けている最中に、彼の妻ミルは夢魔に襲われてしまった。
何も知らずに帰宅して、眠りから醒めぬ妻の姿に自分を呪いたい気持ちになったと。
そしてその時のやるせなさは一生忘れられないだろうと。
噛み締めた唇の色が白く失われるほどに、リュイはずっと後悔していたんだ。
「だからリュイは……旅に出たの?」
右の目から熱いものが流れ出たのを感じながら、私は呟いた。
そしてそれは嗚咽へと変わる。
泣く気なんかなかったけど、今はリュイの姿を見るのが辛くて、喉の奥が苦しくて堪らなかった。
気付いたら色々な想いが溢れて止まらない。
片手で顔を覆ってみたけれど、指の隙間から次から次へと涙が伝って零れていった。
「泣かないでキラ……」
少し困ったように微笑むと、リュイは私の顔を覗き込んだ。
「泣いてないよ……泣いてない……ごめん」
わたし今、リュイを困らせてる。
そう思って、嗚咽まじりでもできるだけはっきりと声を張り上げた。
勝手に溢れてくるんだ。
止まれ止まれ止まれ!
心の中でそう叫びながら必死に涙を拭う。
今まで私の中で張り詰めていたものが一気に破裂したのだろうか。
泣き止むのがこんなに難しいなんて。でも。
――涙を見せるのは嫌い。
「ごめん、ちょっと外の空気吸ってくるね!」
これ以上ここにいたら、きっとクライスやリュイの優しさに甘えてしまう。
いつでも慰めてくれる人に媚びてしまう、そんな女にはなりたくない。
私は足早にドアをすり抜けると、彼らの視界に入らない場所まで走った。
これから夢魔と戦わなきゃならないのに、リュイの奥さんを助けなきゃいけないのに、こんな顔してたら私がみんなに迷惑をかけてしまう。
ただでさえ右も左も分からぬ異世界。
たとえ神様に選ばれたブレイブだとしても、独りじゃ何の役にも立たない私。
心のどこかで初めから引っ掛かっていた思いが頭の中をぐるぐる回る。
「あー、もーヤダッ!」
歯がゆくて思わず絶叫してしまった。
時おりどうしようもなく弱気になる自分に苛立ちすら覚える。
確かに、いきなり変なおじいちゃんに見知らぬ世界に飛ばされたり、セール品の短剣が魔具っていう不思議な力を発揮したり、自分自身が現実じゃ有り得ない生き物と戦ったり、要するに普通じゃない事の連続で混乱と不安は正直感じていた。
でもだからと言って、逃げていては元の世界には帰れないんだ。
布団に潜り込んで眠る時、本当はいつも、目覚めたら元の世界でした、なんて展開を期待してるけど、何度目を開けてもそこにあるのはセシルドやクライスの顔。
神のおじいちゃんの期待に応えない限り、普通の女子高生には戻れないんだって思い知らされる。