【夜想曲20話】勇気の食卓

Dream20.気の食卓


 温かいスープが身体中にゆっくり染み渡っていった。

 リュイ特製の優しくて美味しいスープ。

 私とセシルドがお腹を空かせて帰って来てもいいようにと、あの後すぐにリュイとクライスで作り始めたのだそうだ。

 だが……。

「クライス様、いつの間に料理なんて覚えたんですか?」

 目の前のテーブルに差し出された明らかに他のモノとは違うスープを覗き込みながら、セシルドは不安げに呟いた。

「今日だ! お前に一番に食わせてやるんだからありがたく思えよ!」

 腰に前掛けをしたクライスが自信たっぷりに宣言する。

 対するセシルドは不安たっぷりな表情。

 さっきから手に持ったスプーンの位置が少しも変わっていない。

「味見しました?」
「天才には味見なんて必要ねぇんだよ」

 恐らくはセシルドにとって唯一の安全確認手段であっだだろう“味見”という行為も、料理初心者クライス様によっては行われなかったようだ。

 それどころか一向に食べようとしないセシルドを次第にかし始める。

「絶対旨いから大丈夫だって!」

 何を根拠にしているのか分からないが、クライスはやはり自信がある模様。

 二人の攻防はなかなか決着が付かず、私とリュイは二人をほったらかしにして温かい食事を堪能たんのうした。

 それがほんの一時のことだとしても、とても賑やかで楽しい食卓だった。

 けれど、本来ならばこの場にはもう一人いなければならないはずなのだ。

 ――リュイの妻・ミル。

 人目を盗んで彼女が静かに眠っているであろう部屋の方に視線を移す。

 彼女の眠りは本当に静かで安らかなものだった。

 夢魔に心を許してしまったものは、その悪夢のとりこになる。

 それが果たして取り憑かれたものにとってどのような悪影響を及ぼすのかは、分からないというが……。

 今日一日見ていた感じでは、苦しんだりうなされたりする様子は一度もなくて、むしろどんないい夢を見ているんだろうと思えるほど、傍目はためでは気持ち良さそうに眠っているのだ。

 私は彼女を救ってあげられるのだろうか……。

 少し冷めてきたスープを口に運びながら、漠然ばくぜんとそう考える。

 悪夢で人を魅了みりょうしてしまうような夢魔と対等に向き合えなかった時は、私も魅了されてしまうのかな。

 雲をまとって、いつもより少しだけぼやけた月が笑っているように見えた。

「そんな顔はダメですよ、キラ」

 スプーンを口に運びながら、リュイが微笑む。

「不安は夢魔の大好物です。このお芋のようにパクッと食べられてしまいますよ」

 そう言って、リュイはスプーンの上に載せた大きなジャガイモを一口で飲み込んだ。

 リュイの細い頬が芋で大きく膨れたのが面白くて、私は思わず爆笑してしまう。

「そうそう、キラは笑ってた方が素敵なんですから」

 口いっぱいのジャガイモを処理しきってからリュイもまた笑った。

 優しい優しいリュイ。

 でも今は心から笑ったりはできないんだろうな……。

「ミルさん……早く目覚めるといいね」

 心底そう思った。

 不安はもちろん消えないけれど、こんなに優しくてこんなに素敵なリュイが一番大切にする女性ひとを早く助けてあげたい。

 そしてもっともっと優しいリュイの笑顔が見たい。

 そう思った。

「ありがとうキラ。ミルもきっとキラに会えるのを楽しみにしてると思いますよ」
「そうかなぁ?」
「ええ」

 にっこり笑って、リュイが最後のスープを口に運ぶ。

 と同時に――。

「まっずーーッ!」
「テッメー! ぶざけんなッ!」

 決着は付いた。

 不味まずい不味いと騒ぐセシルドの頭に、容赦ないクライスのチョップがかまされる。

「痛い不味い痛い不味いー!」
「うるせー! 今日は腕の調子が悪かったんだよ! 黙って食いやがれッ!」
「無理です! クライス様食べて!」
「いや無理」
「なんでッ」
「あはは、賑やかでいいですねぇ」

 子供みたいにぎゃあぎゃあ騒ぐ二人を、リュイはのほほんと眺めていた。

「憧れてたんですよ、こういう雰囲気」
「え?」
「二人きりの生活では、ここまで盛り上がれないでしょう?」

 アホくさい争いを続けるクライスとセシルドを見つめながら、どこか遠い目をしてリュイは呟いた。

「いつもこんなだと疲れるよ?」

 二人に対してちょっと呆れ顔の私は苦笑するしかなかった。

 それに、どちらかと言えば私の家庭もいつもこんな感じで騒がしい。

 いつも当たり前だった日常の風景が、別の人物によって再現されているだけで特別何も思うことはなかったけれど、いつも二人きりで暮らしているリュイにとっては、なるほど貴重な一瞬なのかもしれない。

 そう言えば私、もう何日も家族に会ってないんだっけ。

 こちらの世界に来てからはやたら慌ただしくて、ゆっくり家族の事を思い出すことさえ忘れていた。

 揃いも揃って緊張感に欠ける人達(犬までも)だったけど、離れてみるとやっぱり恋しい。

「あたしの家はね、いつもこんな感じ」

 気付けばみんなが知るはずもない家族のことを自分からペラペラと喋っていた。

「リュイも早く元の生活取り戻さないとね! よし、あたし頑張る!」

 大きく右腕を掲げて叫んだ。

 がぜんやる気が湧いてきて、今なら夢魔のむれだって相手にできそう。

 そんな私の目の前にスッと差し出されるアノ物体。

「よし金魚! これ飲んで栄養付けろ!」
「食えるかバカッ!」
「おいキラッ! ちょっと今のセリフは聞き捨てならないな」
「どれ、そんなに酷いなら私がちょっと味見を……」
「「わぁぁダメだよリュイッ!」」

 この騒がしさに驚いて、ミルさんが起きてくれるといい。

 そう思いながら、私たちは疲れて眠るまで騒ぎ続けた。

 ……ほんの少し月が傾いたことに気付きもせずに……。

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