Dream35.らくだとステテコの賢者
「やあやあ、良くぞ訪ねてくださった」
改めて自分の席に座り直した賢者様は、ニコニコ微笑んだまま私たちを見回すと、小さくほほっと頷いた。
「わしはマイラック。南の賢者じゃ」
七福神の恵比寿さまに良く似た顔の賢者様は、お髭も恵比寿様に良く似てる。
ちょっと撫で撫でさせてもらったら色んな福を分けて貰えそうな雰囲気だ。
でも……。
「ちょっとおじいさん! 服くらいちゃんと着てくださいな!」
お茶のセットをお盆に載せて運んできたおばあちゃん――賢者様の奥さん――が、賢者様を見るなり顔を歪めてそう諭すと、賢者様はいたずらがバレた時のこどものような顔をして、ペロッと舌を出した。
「楽なんじゃもん」
「もん、じゃありません! 恥ずかしいではないですか!」
ごめんなさいね、と私たちに謝罪しながら、慣れた手付きでお茶を注いでいくおばあちゃん。
そうなのだ。
賢者様は今、上衣……らくだのシャツ。脚衣……らくだのステテコ。
めちゃくちゃじいさん丸出しのスタイルなのだ。
威厳などまるで感じない。
おまけに本当にいたずら好きなようで、玄関のドアノッカーのヌルッと事件も、リュイの椅子事件も、すべては賢者様が仕掛けたドッキリ魔術なのだそうだ。
「おもしろかったじゃろ? ビックリしたじゃろ?」
と目をキラキラさせながら聞いてくるものだから、こちら全員呆れを通り越して笑ってしまった。
特にリュイの椅子事件の方は、賢者ご自身が姿を消して座っていたというのだから、リュイは本当にびっくりしただろう。
私だったらタコ殴りしていたかもしれない。
「まあまあお茶でも飲んで、落ち着くがよい」
どの口が言うか! とツッコミそうになるのをグッと押さえて、その勢いのままに茶を啜る。
甘くてちょっと渋みの感じる緑茶の味は、まさにおばあちゃんちを連想させる味だ。
緑茶まであるのかこの世界は。
「ところでのぅ。わしを訪ねてくださった理由はだいたい見当が付くんじゃが、わしも神と連絡が取れなくなって久しいからのぉ。ちょっと今のお主らの状況を説明してくれんか」
だるまの絵の付いた大きな湯呑みでお茶を飲みながら賢者マイラックが言うと、今度はお茶菓子を持ってきたおばあちゃんは気を利かせたのか「ごゆっくり」と微笑んで退出して行った。
その気遣いに会釈をして謝意を示したクライスは、ゆっくりと賢者様に視線を戻すとさっそく本題に入ろうとしたものの、ウィザードであるがゆえに肝心の現場で起きていることは自身の目で見ることができない。
少しの逡巡を経た後に、その事に気付いたリュイが苦笑しながら話を主導した。
話はまず、私たちとリュイが出会ったところから。
それに黒い珠に封印されたサキュバス、東の魔術師レアとの出会い。ミルさんにとり憑いた二重人格の夢魔。
要点のみを掻い摘まんで相手に伝えるのが上手なリュイに、賢者様もその一言一言を律儀に頷きながら聞いていく。
そして一通りの説明が終わると、賢者様はふーっと息を吐いて、椅子の背もたれに沈んでいった。
「ふむ。なるほどのぅ。しかしわしも他の賢者や魔術師よりも長く生きてはいるが……お主たちの言う黒いオーラと黒い珠というのは聞いたことがない」
「えー。賢者様でも分からないのか?」
「セシルド! 言葉を慎め」
賢者マイラックの結論を聞くや否や落胆の言葉を口にしたセシルドに、慌ててクライスが牽制する。
「ああ、良いんじゃ良いんじゃ気にするな。わしは普通のじいさんとして暮らしておるからの。ここら辺の者たちもわしのことをもはや賢者だとは思っておらんから、好きなように話せば良い」
おおらかな笑みを浮かべてほほほと笑う賢者様は、まるでタンポポのようだ。
「じゃ、お言葉に甘えて……」
クライスに咎められたばかりだと言うのに、セシルドったらちゃっかり賢者様の言葉を真に受けて、調子良く話を進めようとする。
「俺たちも夢魔を封印するなんて初めてだし、実際コイツの魔具を目にするのも初めてだったから、どういう力があって、どういう風に夢魔に作用するのか詳しくは知らないんです。ブレイブの魔具ってどれも同じなのか知りたい」
「ああ、その娘さんが神が異世界から呼び寄せたブレイブさんかい。そりゃーご苦労さんだのぅ」
ご苦労の一言で片付けられるのはちょっと癪なんですが。
「娘さんや、魔具を見せてくれるかの?」
負の雰囲気を微塵も持たないおじいちゃんにニコニコ請われては、へそを曲げるわけにはいかない。
私は大人しく短剣を袋から取り出すと、ちゃんと柄の方を賢者様に向けて差し出した。
「ふむ。レアの透視力が付与されておるの。娘さん、これをどこで手に入れよった?」
「私が暮らしていた世界のお店……です」
「お主の世界は確か……本来は武器など必要のない世界じゃったな?」
おじいちゃんの質問に、コクリと頷くことで返答する私。
「わしらの事情でお主の世界をそんな風にしてしまって申し訳ないのぅ。じゃが……この短剣がどうしてお主の世界にあったんじゃろうか」
「え……神のおじいちゃんとかが置いてったんじゃないの?」
「いやいや、神とてブレイブの魔具を異世界の、それも誰の手に渡るか分からんところに置いておくなんて事はせん。じゃが……異世界に干渉できるのもまた神と、わしら四人の賢者のみ。だが、誰一人としてこの短剣の事は知らぬのだ。わしにはそれが不可解でならない」
賢者様はそう言うと、再び短剣をまじまじと見つめ、そしてその柄に手を伸ばした。
「やはり、時空に穴を開けたヤツの仕業なんかのぅ……。いや、しかし、この短剣からは禍々しい力は微塵も感じない……。と言うことはやはり神の……?」
短剣を持ち上げたり裏返してみたりしながら、賢者様がぶつぶつと独り言のように呟くのを見守る私たち。
「魔術師は異世界に干渉できないと仰いましたが、賢者は干渉できるのですか?」
「転送能力が魔術師にしか無いでの。魔術師はこちらの世界に残らねばならぬ。ほれそこの……クライス王子と同じじゃ。ウィザードは魔術師の力を宿し者。そしてヒーラーは賢者の力を宿す者。賢者は知識を司り、魔術師はその力を司る。東西南北に配置された賢者と魔術師でもそれぞれ能力は違うでの。誰も万能ではないということじゃ」
リュイの疑問にマイラック賢者は柔和に笑う。
「セシルドとやらの質問に答えてなかったの。まず、ブレイブの魔具は希少でな、ほとんど存在せん。じゃが、魔具使いであればそれがブレイブの魔具であることは感じ取れるようには作られておる。がらくたのような見た目のものもあるでの。ただ、ブレイブの魔具は形は違えど夢魔を殺傷する能力が備わっているのはどれも同じじゃ。ナイトの魔具もまた夢魔を傷付けることはできるものの殺すことはできぬじゃろ?」
これまでにセシルドも、自身の魔具であるロングソードで夢魔を斬ってきたけれど、確かにそれで息絶えた夢魔はいなかった。
私の短剣は、”それ”ができるってこと。
賢者様の話を聞いていると、自分に与えられた役割の重さが改めて圧し掛かってくるようだ。
「ブレイブとは、万が一夢魔が暴走した時に対抗するための大きな力じゃ。そしてその魔具もまた、その当代のブレイブによって発揮される能力は変わってくる。殺すも助けるもブレイブ次第」
じっと私の目を見て最後の部分を強調する賢者様の瞳が弧を描く。
「助けたわけじゃなくて……ただ殺すのは嫌だなって思っただけです。しかもその先はどうしたら良いか分からなくて、ここに来たわけだし……」
しどろもどろになりながらもそう本音を吐露する私に、賢者様は何度かうんうんと首を縦に振る。
「正解など無いんじゃ。ブレイブの現れる時、それはラルファールにとって存亡の危機が訪れた時なのだから。今回のことだってわしらもまるで分からないことだらけなのじゃよ。おまけに東の賢者だけでなく、北の賢者までもが行方が分からぬとあれば、もう何が起こっても驚きはせんかもな」
「えっ……北の賢者もいないのか?」
さすがのセシルドも二人の賢者が行方不明という事実を突き付けられて絶句している。
「東の賢者はまぁ、あれもなかなか自由なやつじゃからのぅ、分からんでもないんだが……北の賢者は云わばわしら賢者と魔術師を束ねるリーダー。その力も一番強力なだけに、不在であることはまず無いはずなんじゃ。わしはそこも心配でのぅ」
マイラック賢者はそう言うと、胸の奥深くに溜まった憂鬱を吐き出すように大きな溜め息をひとつ吐き出した。
「一体、この世界を貶めようとしているのは何者なのかのぅ。内側からじわじわと力を削り取られていくようで困ったもんじゃ」
「実はそれなのですが、先日封印した夢魔が気になることを言ってまして……」
リュイの目配せを受けて、今度は夢魔たちの封印された黒い珠と、サキュバスを封印していた透明な珠をテーブルに載せる私。
「左から、おっさん夢魔→気弱夢魔→サキュバスです」
封印している夢魔の種類を説明すると、サキュバスの時点で賢者様の肩がピクリと反応した。