大河内山荘から竹林の道をせっせと下り、竹林を抜け、平坦な道をせかせかと歩く。すると、前回ひとりで二尊院を目指していた時に惑わされたあの分岐路に出た。
今回は間違えない。まるで地元民のようにドヤ顔で常寂光寺まで迷わずたどり着けた。あの日に間違えたおかげだ。
この常寂光寺と二尊院のある小倉山付近は、小倉百人一首の選定が行われた場所と言われているそうで、歌人の一人でもある藤原定家の別荘がこの辺りにあったからだと言われている。
百人一首……蝉丸って名前しか覚えてないな。
常寂光寺の黒塗りの山門は、青紅葉の時期でも秋の紅葉の時期でも非常に映える、とてもカッコいい門である。前回二尊院と間違えて来た時に、急いでるのに写真だけはちゃっかり撮っていた。
門をくぐり、受付で拝観料を支払う。こちらでは書き置きの御朱印もいただけるので、こちらで御朱印もいただいた。
運が良いと黒猫ちゃんに会えるらしいが、この日は残念ながらいなかった。猫ちゃん、会いたかったなぁ……。
常寂光寺といえば、仁王門から延びる階段が有名でポスターやCMでも良く見かけるスポットなのだが、もうそろそろ夕方に差し掛かる時間帯でもあったからなのかこの日はやはり空いていた。
誰もいないため写真もポスターのように撮れ……る腕があれば良かったのだが。へへ。
境内を見て回るが、とにかく緑が多くてとても美しい。見上げても緑、地面を見ても緑。樹木と苔、建物の調和がとても心地よい。座ってゆっくりお茶でも飲みたい気分になる。
常寂光寺の本堂は伏見城の客殿を移築したそうなのだが、正面だけ見ているとお寺、という感じなのだが、裏手の方を覗いてみると確かに優雅な佇まいである。
ところで本堂の脇に謎の鉢植えが黄色い花を咲かせていた。
パイナップル?
なんだあれ?
南国の物なのだろうな、というくらいしか分からない謎の鉢植え。調べたら、中国の地湧金蓮というバナナの仲間で、日本ではとても珍しい植物でした!
なんか、なんか、とってもツイてないか? 私。
全部前情報無しで無意識に遭遇してるけど!
ここからさらに山を登ると多宝塔に行けるのだが、今回は時間がないのでここで次を目指す。が、時間が間に合うか微妙。
前回の記憶を頼りに、また嵯峨小学校前まで歩いてバスに乗る。目指すのは、やっぱり京都に来たらご挨拶しないといけないので太秦の広隆寺だ。
しかしながら。
今回は本当は行ったばかりなのでそのままホテルに向かっても良いかな? と思っていたのだが、前回の旅から帰ってきてから弥勒菩薩さまの画像を検索して眺めていたところ、気になるブログを発見してしまった!
広隆寺の本堂に五芒星の奉納絵馬額があるというのだ。
そんなのどこにあった? とソワソワしだした私は、どうしてもそれを確認したくなった。
広隆寺の閉門は17時だが、もし拝観受付が16時半だった場合は弥勒菩薩さまへのご挨拶は諦めざるを得ないが、本堂は拝観料不要なためなんとかなるだろうとバスに揺られながら考える。
嵯峨小学校から乗ったバスはとても空いていたのだが、嵐山を経由するため後ろまでぎゅうぎゅうになってしまった。広隆寺で降りる人など当然いない。
降車ボタンを押したにも関わらず、一番後ろから降りるのは大変で、なかなか降りられないものだから運転手さんにも扉を閉められてしまった。
降りますよぉぉ! と叫んでなんとか降りることができたが……良かったよ……。
昔、修学旅行の時に、バスに乗ろうとしたばあちゃんがせっかちな運転手さんに乗車扉閉められそうになって、とっさに持っていた傘を挟んで「乗りますぅ!」と力ずくで扉開けて乗ってたけど……確かにあの強さは必要かもしれない。
16時半よりも前に広隆寺にたどり着けたが、もちろん弥勒菩薩さまの霊宝館まで入りたいので早足で本堂へと向かう。
毎回本堂にもお参りしていくのだが、五芒星の奉納額はどこにあるのだろう。
じっくり見回していくと……。あったぁ! 本堂の左側にあったぁ! 文字はほとんど色褪せてしまって読めないが、五芒星の形はくっきりとわかる。
五芒星……安倍晴明となにか関わりがあるのだろうか? お寺だけど神社に奉納したのかな? いや逆か? それとも昔はここに神社も併設されていた? 謎。ちょっと研究したら面白そうだな。大学生の時に知りたかったよ。
そのあとに霊宝館へ入り、弥勒菩薩さまへご挨拶をし、嵐電で今日の宿のある四条大宮まで向かう。
嵐電もちょうどラッシュの時間と重なってしまいぎゅうぎゅう。二両しかないが、途中で降りる人は前方までとても行けない状態のため、後ろから降りて、前方の運賃箱、または交通系ICで清算していた。
嵐電は路面電車の部分があるから、車両を増やすのは難しいのかなぁ……。
四条大宮で降りて、ホテルへ向かう。今回の宿はコンフォートイン京都四条烏丸だ。