【残016話】光と闇の接点(2)

 ここまで重大な秘密を共有する自分にも話せないようなことが、彼らの暮らすあの小さな村の中にあるのだろうかとロイズハルトは疑念の目を向ける。

 だが何かを疑ったところで、エルフェリスに襲い掛かる脅威を振り払えるわけではないのだ。殺されるだけならまだしも、ハイブリッドに“あの秘密”を知られてしまうことだけは、ロイズハルトもゲイル司祭も同じように阻止しなければならないことだと思っている。

「前線であるあの村から遠ざけるという選択肢も無いのだな?」
「ありませんね。それに、神聖魔法使いが最前線から撤退するなど恐らく教会本部が赦さないでしょう。逆に粛清されてしまいますよ」

 きっぱりとそう言い放たれて、ロイズハルトの顔に苦い笑みが浮かんで消えた。

「ここには下手なハイブリッドは入って来ないし、あなたが正式にエルを客人として認めて下されば、いかに反抗心をちらつかせるハイブリッドといえども容易に手出しはしないだろう。教会本部へは私がうまい言い訳を考えます。決してあなた方の迷惑になるようなことには致しません。……いかがか?」

 ゲイル司祭の言葉に、ロイズハルトはしばし沈黙する。浮かんでは消えていく様々な事柄を想定しながら。

 時を刻む柱時計の音だけが、規則的に響き渡る。

「こちらとしても責任は取れない。それにこの事を知っているのは私一人。デューンやレイフィールが万が一エルフェリスをその牙にかけようが制止はできない。それでもいいのだな?」

 だがやがてロイズハルトは深い溜め息を吐くと、黒革のソファにゆっくりと身を預けてそう言った。

「もちろん。エルとてそれは十分承知しているはず。……と言っても彼女は他のことで頭がいっぱいで、死ぬ気などこれっぽっちも無いだろうけどね」

 頭の中で必死にもがく少女の姿を想像しながら、司祭はくくっと微笑んだ。

「ならば少しは安心する。どうせ限りある命なら、こんな事実は知らないまま一生を終えた方があの娘にとっても良いのだろう。彼女が飽きるまでの期間で良いのだな?」
「ええ。恩に着ますよ、ロイズ」

 ソファから身を浮かせた司祭は、今一度ロイズハルトに向けて深々と頭を下げた。そしてそのままきびすを返すと、いつもの穏やかな笑顔を浮かべて回廊へと繋がるドアへと向かう。

 しかし、部屋を出るか出ないかのところでふいに足を止めると、そこで何かを思い出したように振り返った。

「……そうだ。ルイはお元気か? 今回は姿を見かけなかったが」
「ああ……。いつものようにどこかほっつき歩いてるんだろう。またそのうち訪ねさせよう」

 片手でグラスを弄ぶロイズハルトもまた思い出したかのようにそう言うと、司祭はにっこりと微笑んで再び外へと足を向ける。

 「そうしてもらえると嬉しい限りですね」

 その言葉を残して、リーゼン=ゲイル司祭は一人部屋を出て行った。

 去り行く彼の姿を座ったまま見届けたロイズハルトは、グラスに残ったワインを一口で飲み干すと、再びソファに深く身を預けて「エルフェリス……か」と呟いた。そして揺らめくダークアメジストの瞳を天井まで泳がせると、重そうにぶら下がるシャンデリアの灯りをしばらく眺めて、――目を閉じた。

 自分の力では脈を打てない心臓が、どくどくと音を立てているような錯覚にしばし浸る。

 どうやら今日は眠れそうにない。この身と心が、やたら騒いで仕方がないのだ。

 ロイズハルトは無言で立ち上がると、彼もまたどこかへ向かうために自室のドアを開けた。

 そこで一瞬、呼吸が止まった。

 一歩外へと踏み出したところで、見慣れたデカい図体が視界の端に入ったのだ。先ほどまでの司祭との密談を聞かれていたのではと危惧きぐしたのか、ロイズハルトの瞳から一瞬の光が発せられる。

「……いつからそこに?」
「い・ま」

 まるで緊張感のない返答に、ロイズハルトは人知れずほっと胸を撫で下ろした。

「何の用だ?」

 それから平静を装って用件を一応聞いてやる振りをしてみたが、デューンヴァイスの口から出てくるセリフなど一つしかなかった。

「なーなー、ロイズ。どーしてもダメ?」
「しつこいぞ、デューン」

 ほら思った通りの答えだと、ロイズハルトは心の中で苦笑した。そして視線を動かすことなく歩き出す。

 それに続いて、壁に背を預けていたデューンヴァイスもまたその身を起こすと、がしっとロイズハルトの肩に腕を回してきた。

「いいじゃん、ロイズ。オレ、エルに興味あんだよ。あんなおもしろいヤツ滅多にいないぜ?」
「ふん、随分と熱心だな。……惚れたか?」

 ロイズハルトの瞳が悪戯いたずらに細められる。

「バーカ、違ぇよ! オレが言ってんのはそういうことじゃないの!」

 ロイズハルトの肩をポンポンと叩きながら、デューンヴァイスは至極しごく楽しそうに笑った。

 この男がこんな表情をする時は、決まってとんでもないようなことを言い出す時だ。今回は一体何を感じ取ったというのだ?

「じゃあどういうことだ?」
「よく訊いてくれた! あいつドールみたいに媚びないし、やたら攻撃的だし、あんな聖職者見たことないだろ? おもしろいと思わないの?」
「ほう、お前Mだったのか、知らなかったな」
「オレはいつでも攻めまくりだっつーのっ! ……ってかそうじゃなくて! アイツは人間っぽくないって言ってんの! 聖職者のくせにどこか擦れてる感じがするし、それに……」

 そこまで言うと、デューンヴァイスは一度言葉を切った。黙って聞いていたロイズハルトの瞳が不審の色に曇る。

「……それに……?」

 慎重に、しかしできるだけ冷静に先を促す。するとデューンヴァイスはロイズハルトの肩に回した腕を一旦解き、その腕を今度は口元まで持っていって、ふうと息を吐いた。

「これはオレの思い過ごしかもしれねぇけど……」

 そう前置きするデューンヴァイスのその顔に、意味深な笑みが宿る。

「エルフェリス。アイツ……血の匂いがしねぇ」

 その瞬間、一面の闇で彩られた城内を、一陣の風が通り抜けた。

第二夜 fin.

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