「やれやれ、レイのせいで進む話も全然進みやしない」
エルフェリスとレイフィールの手が離れたのを見届けると、デューンヴァイスは心底疲れたように床の上で大きく胡坐をかいてそう言った。その言葉に、エルフェリスも一連のやり取りの中ですっかり忘れてしまっていた本来の目的を思い出した。
レイフィールの戯れからデューンヴァイスの登場など、今夜はやけに慌ただしくて、ともすればあっという間に流れに飲み込まれてしまいそうになる。だがデューンヴァイスが折り入って話があると言うので、半ば無理やり付いてきたレイフィールと三人で庭園から場所を移したのだった。
ここはデューンヴァイスの私室。ロイズハルトの部屋と同じく、城内でも限られた者しか入れない上層部に位置している。
他の部屋には入ったことがないので何とも言えないが、部屋の作りだけ見るとロイズハルトのそれと大きな違いはないように思えた。一人で使うには十分すぎるほど広い部屋の奥にはさらに部屋があるのだろう、ノブの付いた扉がいくつか点在しており、そのうちの一つはきちんと閉められておらず、半分開いた状態で放置されていた。
部屋の主といい、ドアといい、ここは何というか……ロイズハルトの部屋とは随分違って、色々な物が色々な形で“自由”を得ている。つまり……。
「それにしても……きったない部屋だよね、いつ来ても」
レイフィールもほとほと呆れたように見回して溜め息を吐いた。つまり……そういうことだ。
先ほどの乱闘でテーブルの上から落ちた本のほかにも、床のあちこちにはまた別の本が散らばっていたり山積みになっていたり、ペンや、何か走り書きされた紙切れなどもその中には混在していた。
「エル呼ぶ前に片付けなよ」
ここぞとばかりに毒吐くレイフィールに対して、またもやデューンヴァイスはムッとした表情を見せたが、さすがに今回は自制心を働かせたのだろう。少しだけ唇を動かしただけで言葉自体は飲み込んだようだった。その代わりに握り締めた拳と不自然に引き攣った笑顔が、彼の心中をよく表していたと思う。
とにもかくにもこれ以上また不穏な空気に苛まれるのはごめんだと、エルフェリスは会話の途切れたタイミングを見計らって少し強引に話題の修正を図ることにした。
「まあ後で片せば良いじゃない。それよりも話って何なの?」
「その前に……オレはレイを呼んだ覚えはないが?」
そんなエルフェリスの胸中などお構いなしに、なおも心ばかりの反撃とばかりに冷ややかな声を飛ばすデューンヴァイスだったが、無邪気なレイフィールにはたいして通用しなかったようだ。
「あ、気にしなくていいよ。勝手に聞いとくから」
と、少々矛盾した返答と共に小悪魔がケラケラ笑った。そしてくるっとエルフェリスの方に向きを変えると、あの必殺ともいえるキラキラの瞳で訴えかけてくる。
「ねぇねぇエル、僕もいて良いでしょ? それとも僕がいると邪魔?」
胸の前で組んだ両手と下がった眉尻、今にも零れ落ちそうな潤んだ瞳。まだまだ修行が足りないなと思いつつも、レイフィールの懇願には抗えず、エルフェリスはまるで魔法に掛けられたかのようにやっぱり頷いてしまった。
ああダメだ……あの笑顔には勝てない。
レイフィールの周囲で煌めく星の幻に目を細めながらも、がっくりと項垂れるエルフェリスを横目にデューンヴァイスは小さく舌打ちをした。
「てか、ホントにレイに聞かせてもいいのかよ? お前の“捜し者”のことなんだけど?」
「えっ?」
デューンヴァイスの言葉に、エルフェリスの体が勝手に反応した。思わずソファから立ち上がって、床に座るデューンヴァイスの前に転がるように飛び込んできたエルフェリスをセピアゴールドの瞳が見つめている。
「捜しものって……それって……」
にわかに体が震えてきて、それ以上うまく言葉を紡げない。それでもエルフェリスは縋るような目でデューンヴァイスを見上げると、デューンヴァイスもまた、そんなエルフェリスに頷くことで返答した。
捜しもの……。
“私の”捜し者。
先ほどまでの和やかな雰囲気を一瞬で凍り付かせるかのような空気が、急速に辺りを支配し始めた。それにつられるように、エルフェリスの鼓動も苦しいくらい激しく胸を打つ。
私の捜し者。
捜し者。
それは……。
デューンヴァイスが再び問いかける。
「良いのか? エル」
――良いのか?
そう聞かれて、エルフェリスは即答することができなかった。
エリーゼのことは、この城ではまだデューンヴァイスにしか話していない。あれは成り行きとタイミングもあったのだろうが、さすがのエルフェリスも城に滞在を許されたあの夜以降は、気心も知れぬヴァンパイア相手にどう話を切り出していくべきなのか考えあぐねていた。
少しずつ友好を重ねていってそれから……という長期戦も覚悟の上ではあったが、まさかこんなに早くエリーゼに関する手掛かりを手に入れるチャンスが訪れるとは夢にも思っていなかった。だからまったくと言っていいほど心の準備が整っていなかった。
いきなりこんな話題を、何も知らないレイフィールに聞かせても良いのだろうかとエルフェリスは葛藤しながらも、何とも言えない幸運に無意識に胸元のロザリオを服ごと握り締めた。そして無意識に神の名を呟く。それからちらりとレイフィールを一瞥すれば、レイフィールは当然ながらわけも分からずきょとんとしていた。
レイフィールがこの話題について反応を見せないということは、おそらくデューンヴァイスはエルフェリスの真の目的を誰にも話していないのだろう。それならば、これがまた新たなタイミングと分岐点を生み出すかもしれない。エルフェリスは静かに目を閉じた。
「……うん、いいよ。どうせいつかはレイフィールにも聞こうと思ってた。ちょうどいい」
真っ直ぐにデューンヴァイスの瞳を捉えたままそう言ったエルフェリスの瞳をデューンヴァイスは黙って見つめていたが、何度か頷いた後「分かった」と呟いた。
「ねぇ何なの? 二人して……何の話?」
なおも話についていけないレイフィールは、やや苛立った様子でエルフェリスとデューンヴァイスの顔を交互に見返している。そんなレイフィールに体ごと向き直ると、エルフェリスは意を決したようにゆっくりと口を開いた。
「あのね……」
「おいデューン、入るぞ」
その時、扉の開く音とエルフェリスの声と、そして室内に入ってきた男の声が重なった。