【残041話】聖なる血の裁き(7)

 辺りはいつの間にか大量の灰で溢れていた。わずかな風でもそれは砂塵さじんのごとく舞い上がり、宵闇よいやみの中を、灰色のベールで覆うように飛散しては消えていく。あれほど透明度の高かった泉も今や初めに見た姿を留めてはおらず、ゆらゆらと水面を漂うちりを含んで醜く濁っていた。

 先ほどから、身体が鉛のように重い。

 時間を経るごとに荒く、早くなる呼吸。時おりぼやける視界が、限界の近さを知らせている。

 それでも、まるで衰えることを知らない男たちの勢いに、精一杯の抵抗をするよりほかに術はなかった。

 目の前の男が灰と化すのを見届けてから、エルフェリスはやや乱暴にワンドを地面に突き刺した。そしてそれを頼りとして疲労した身体の支えとする。

 もう何人を闇に葬ったのかも分からない。周囲に散らばる灰がどの男の残骸で、どれほどの男たちの残骸にあたるのか見当も付かなかった。

 おかしな状況になっていた。

 何人倒しても、何人斬り裂いても、男たちは次から次へと数を増やし襲ってくる。その数は増えることはあっても減ることはなかった。

 あまりの人数の多さに、初めは魔法のボウガンで戦っていたリーディアもこれでは身体がもたないと悲鳴を上げ、今では男から奪ったサーベルを手にしていた。

 だが彼女もまたエルフェリスと同様にかなり疲弊ひへいしているようだった。激しく肩を上下させながら頻繁に汗を拭う姿を見ると、いつ倒れてもおかしくはない。

「キリがない……一体どうなってますの!」

 背後を狙って飛び込んできた男を斬り捨てて、リーディアは苛立ちに声を荒げた。

 無理もない。斬っても斬っても相手は襲い掛かってくるのだから。

 二人はてっきり、あのヘヴンリーの配下だと思われるリーダーの男を葬った時点で片が付いたと半ば思っていた。主導者を失えば、大群だけに統率力も乱れるであろうと。

 だがそれはどうやら誤算だったようだ。統率力を失うどころか、いつまで経っても男たちの勢いは衰えず、エルフェリスとリーディアを仕留めようと斬り掛かってくる。その執着の強さは異常だ。

 ここまでするほど、このハイブリッドたちにとって“ロイズハルト”の勅命ちょくめいとやらは効力のあるものなのだろうかと勘ぐりたくなる。 ここまでして、私たち二人を殺したいのだろうか、と……。

「これではまるでアンデッド相手に戦っているようなものですわ!」
「アンデッド……って……まさか」

 リーディアがふと口にした言葉に、エルフェリスは図らずも驚愕きょうがくし、絶句した。

 悪い冗談だ。

 アンデッドなどとは……太古から伝わる禁術によってのみ成し得るという魔物ではないか。遥か昔に主体となる術自体が禁忌きんきとされてから、その術を書き記した書物はことごとく焼き払われ、継承する者すら存在しなくなったと言われているのに、アンデッドなど……突飛な考えに、エルフェリスは思わず苦笑してしまった。

「さすがにそれは……思い違いだよ」

 今や、その術の存在を知る者すら数えるほどしかいないのだから、と。息も絶え絶えながら、それでもエルフェリスからは否定の笑みが零れていく。そんなエルフェリスを一瞥いちべつしてから、リーディアもまた苦笑いを浮かべた。

「例え……ですわ」

 そしてべっとりと血糊ちのりの付いたサーベルを男の集団へと突き出す。

「とにかくここを片付けたらすぐ、カルディナを縛り上げましょう! あの女は何もかも知っているはずです!」

 そう言うとリーディアはエルフェリスの返事も聞かぬまま、いきり立つ男たちの中へと飛び込んで行った。

 ✝ ✝ ✝ ✝ ✝

 コンコンとドアをノックする音が静かな回廊に響き渡った。

 しかしいくら待ってみても、中からの返答は無い。もう一度ドアに手を伸ばし、今度はやや強めにドアを叩いてみる。それでもやはり答える者はいない。

「……」

 しばらくその場に立ち尽くし、ふいに背後を振り返る。泉とは反対側であるというのに、城壁が微かにオレンジ色を纏っていた。

 それを見つめるアイスブルーの瞳も、わずかにオレンジを含んで揺れている。対照的にその身体はじっと何かを思案しているのか、ぴくりとも動かなかった。

 だが再びドアに向き直ると、今度は直接ノブに手を掛けて、それをゆっくりと右に回した。カチャっと小さな音を立ててドアが開かれる。

「……」

 新たに広がった視界の先はやはり真っ暗で、部屋の主たる者の姿はここにはないように思えた。窓には分厚いカーテンが引かれ、時おり隙間から入り込んでくるオレンジの閃光だけが、室内を照らす光源となっている。

 その中を、静かに息をひそめて踏み出した。できるだけ音を立てないようにゆっくりと。

「……」

 たとえ漆黒の闇の中にあっても、明るい陽の元同様に利く大きな瞳を周囲にめぐらせながら、室内を一つ一つ確認して回る。

「……いない……」

 いくつ目かの部屋を確認した後、思わずぽつりと声が漏れた。だがそれを気にする様子もなく、最後の一部屋のドアに手を掛ける。

 ノブを回そうとしたちょうどその時、中からかすかに物音がしたのを聞き逃さなかった。瞬時にアイスブルーの瞳からはただならぬ光が発せられたが、口元からはなぜか反対に笑みさえ零れている。

「……」

 一、二、三……。

 心の中でゆっくりと数えて、そしてそれから最後の扉を開け放つ。

 同時に室内を照らし出したのは、オレンジ色の光。


部屋の奥でうごめいていた影を鮮明に映し出す。

「……誰?」

 いつもとは少しだけ声色を変えて、それでもなるべく穏やかにそう尋ねると、影は一瞬びくっと体を震わせて一切の動きを止めた。

「留守中に勝手に入ったらまずいんじゃないの? ……カルディナ」

 一向に動こうとしない影に痺れを切らしてそう問いかけてみれば、ゆっくりと影がこちらを振り返った。

 そしてまた入り込んだ光に、対照的な表情で対峙する二人の姿が浮かび上がる。その時初めて驚愕きょうがくに震える女の姿が、アイスブルーの瞳にとらえられた。

「……レイフィール、様……」

 かすれ声でうわ言のように呟く女。

 ――カルディナだった。

 自分の名を複雑な表情で呼んだカルディナを、レイフィールは冷やりとした笑顔で見つめている。

 だがすぐにレイフィールは彼女から視線を外すと、部屋の中央にあったアンティークのランプに火を灯し、にっこりと微笑んでみせた。真っ暗だった部屋を、ランプの灯りが柔らかく照らし出す。

「明かりも点けずにどうしたの? ロイズまだ帰って来てないんでしょ?」

 先ほどまでの様相とは打って変わって、いつも通りの人懐こい笑顔を見せるレイフィールに、警戒し身を硬くしていたカルディナは幾分胸を撫で下ろしたように思えた。レイフィールの耳にも届くほど、大きな溜め息が聞こえてくる。

「申し訳ありません。実は……先日この部屋で大切な指輪を失くしてしまいましたの。ロイズ様の不在中に失礼かとは思いましたが、どうしても諦め切れなくて……」

 片手で口元を覆い、レイフィールから目線を逸らしてカルディナは非礼を詫びた。それをレイフィールはただじっと見つめている。

「ふーん。それで見つかったの? その指輪」

 依然として笑顔をたたえたままのレイフィールがそう問い掛けると、カルディナは首を振って再び周囲を探り始めた。あんな暗闇の中で探し物など端から見つかるわけがないと、冷めた感情が心の奥で渦巻いたが、それでもレイフィールはカルディナの行動を笑顔で見守っている。

 だがふいに、彼の瞳が何かをとらえたようにきらりと輝いた。動きを止めていた身体が、音も立てずにすっと動き出す。探し物に夢中になっているカルディナはそれに気付いていない。

 けれど次の瞬間には、レイフィールはまた元の位置に素早く戻っていた。

「……何なら手伝うけど? 暇だし」

 そしてまたしばらくカルディナの後姿を見守ってから、レイフィールは彼女の背に向けてそう問い掛けた。するとカルディナは手を止めて振り返ったが、その申し出を必要ないと拒んだ。わざわざそこまで手をわずらわせるほどの代物ではないと。

「そっか」

 レイフィールもまた、必要ないのならこれ以上食い下がることもないだろうと判断して、にっこりと微笑んで頷いてみせた。後はカルディナがこの部屋で何を探し続けようともどうでも良かった。自分の用は済んだのだから。

 無邪気な笑顔を浮かべたまま、レイフィールはふっとカルディナに背を向けると、顔だけをカルディナの方に向け、笑顔はそのままに声のトーンを幾分落としてこう言った。

「じゃあ僕は行くね。何だか外が騒がしいみたいだし」

 見送るカルディナの顔に、一瞬の不審が浮かび上がる。けれどあえてレイフィールは気付かない振りをして、そのままきびすを返すとさっさとロイズハルトの部屋を後にした。

 ひんやりとする回廊の空気に触れながら、レイフィールは一度だけカルディナの残る室内を振り返った。

 そしてそっと握り締めた左手に目を落とす。赤い紙切れに途切れた黒い文字。

 氷のように冷たく輝く二つの瞳が、ゆっくりと伏せられた。

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