✚残055話 ルイの帰還(3)✚
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そしてそれからまた数日後、ついに城内が尋常でないほどにざわめき立つ瞬間を迎えた。
城に住まうありとあらゆる者が出迎える中を、帰って来たのだ。あの男が。
けれどエルフェリスはちょうどその時、めったにひかない風邪をこじらせてしまい、ベッドの中でぐったりとしたまま憂鬱な日々を送っていた。
こんな場面でどうして風邪などひくのかと自分の身体を恨めしくも思ったが、熱で言うことをきかない体では窓辺に行ってその姿を拝むことすら億劫に感じてしまい、結局は起き上がることもせずに枕に頭を沈めたまま目を閉じてしまった。
女たちの色めき立つ声が、最上部のこの部屋にまで鮮明に響いてくる。
その喧騒の中心にエリーゼがいるかもしれない。
それでもエルフェリスの中の情熱は高熱と倦怠感に飲み込まれ、音を立ててしぼんでいくように、またそのまま深い眠りへと落ちていった。
それからほんの少しの時を経て。
「エルー? 入るよ? てか入っちゃったけど」
そう言いながら、エルフェリスの部屋に入ってくる者たちがいた。
「エルー?」
明るく声を弾ませて、ぴょこっと顔を覗かせたのはシードの一人であるレイフィールだった。そしてその後をデューンヴァイス、ロイズハルトが続く。
三人は室内に踏み入れると一様にエルフェリスの眠るベッドを取り囲んで、そしてぐうぐうと眠りこけるエルフェリスを見下ろした。
「……寝ちゃってるよ」
「だな。まだ熱下がらないのか?」
微かに眉間にしわを寄せたロイズハルトがおもむろに手を伸ばし、エルフェリスの汗ばんだ額に触れる。
「……だいぶ高い……。やはり無理したのがいけなかったようだな」
「治ってねーのに治った治った騒いで茶会になんか出るからだよ。誘ったのレイのドールだろ?」
「えー? それって僕のせいなの?」
普段ならここでエルフェリスがうるさいと怒鳴りつけるであろうやり取りも、それを諌める者がいないゆえに、彼らの意味不明な言い合いは次第にヒートアップしていく。
「お前のせいって言うか、お前、ドールのパシリにされてたじゃねぇか! お前がエルを無理やり誘ったところ見てたんだからな」
「だってエル誘ってくれなきゃ血ぃくれないって言うんだもん……」
デューンヴァイスの厳しい追及にレイフィールは頬を膨らませて抗議したものの、分が悪いと悟ったのか、最後の方はこそっと小声で呟いた。
もちろんそれをデューンヴァイスやロイズハルトが聞き逃すわけがない。
「てかお前、ドールの尻に敷かれてんのかよ! アホの極みだな!」
はっと両手を広げて、さっそくデューンヴァイスは呆れ顔で口元を引き攣らせた。
またロイズハルトは片手で目元を覆い、ふぅと長い溜め息を吐くと「レイお前……そこは断れ」と首を振る。
そして当のレイフィールは顔を見る見るうちに紅潮させると、憤怒の表情を浮かべて両の手をきつく握り締めた。
「アホって言うな、このバカッ!」
そしてそれをぽかぽかと振り下ろしながら、耳が破れんばかりの勢いで喚き散らした。
その言葉に、デューンヴァイスの顔色がさっと変わる。
「あんだと、このクソガキッ」
「ガキって言うな!」
「じゃあエロガキか? いや、ヘタレのエロガキだな!」
「なんだと、このっ」
いつかも行われたデューンヴァイスとレイフィールのつかみ合いが、部屋の中で再現されることとなった。
互いが互いの首元をつかんで、力任せに押し問答を始める。
バカだのエロだの罵りながら押したり引いたりしているうちに、二人はエルフェリスの眠るベッドの上に圧し掛かって暴れ始めた。
その様子を見てロイズハルトも慌てて牽制に入る。
「おいコラっ! 病人跨いで喧嘩すんなっ」
止めに入ったロイズハルトも加わったことで、ベッドの上はさながら小さな戦場と化した。
我関せずとばかりに寝入るエルフェリスと、暴れる男三人の重みに耐えかねて、ベッドがぎしぎしと不穏な音を響かせる。
しかしその音もまた、シードの三人が生み出す怒声に阻まれて掻き消されていった。
そんな混沌とした中を、ゆっくりと歩み出てきた男が一人。
「くすくす。三人ともそのくらいにしておきなさい。病人の枕元でそんなに騒いだらいけないよ。起きないこの娘もある意味すごいとは思いますけど」
遠慮がちに声をひそめて微笑むその男はまるで、夜空に煌めく月のようであった。
微かな動きにもしなやかに流れるプラチナの髪。すらりと伸びた手足。そして天使と見紛うほどの甘くてはっきりとした顔立ち。
その姿を認めて、誰よりも先に反応したのはこの騒動の発端ともなったレイフィールであった。
「あ、ルイ。ごめんね。疲れてるのに呼び出して。会って欲しかったのはこの娘なんだけど……寝ちゃってるから、また今度でいい?」
妖艶に微笑む男を前にして、今までの修羅場を作り出していた者とは思えないほどあっさり態度を一変させたレイフィールは、いつもの調子で目の前の男に対してにっこりと笑いかけた。
それに対して、ルイと呼ばれた男の方もゆっくりと優雅に頷く。
「ええ、もちろん。放浪生活も長かったことだし、私もそろそろここに身を置こうと思っているので、いつでもどうぞ、とお伝えなさい」
そうしてまたにっこりと微笑む。
するとなぜか突然、二人のやり取りをぽかんと見守っていたロイズハルトとデューンヴァイスの表情に不審の色が灯った。
「え……まさかドール全員呼び寄せる気じゃないだろうな」
デューンヴァイスが青ざめた顔でそう言えば「ルイのドールは相部屋にしてもらうからな」とロイズハルトも心底面倒そうな顔で言った。
苦言とも取れる二人の言葉を、ルイはバツの悪そうな顔で苦笑しながら聞いていたが、二人の心配を否定するように首を振ると、こう言った。
「ご心配なく。今回連れてきた者以外を城に呼び寄せる気などありませんよ」
「それでも十分多いと思うんだけど……」
デューンヴァイスの口からぽろっと出た言葉は本音だったのだろうか冗談だったのだろうか分からないが、彼の呟きはルイの耳にも届いたのだろう。ルイの形の良い唇から笑い声が零れた。
「はは! まあそう言ってくれるなデューン。女を愛すことは悪いことじゃない。あなたもドールの何人か持てば分かりますよ」
「俺はたった一人って決めてんの!」
「それも大切なことですけどね」
わざとおどけるデューンヴァイスに、苦笑するルイ。
二人の意見が交錯する中を、レイフィールとロイズハルトは急に馬鹿らしくなって、とにかく場所を変えようと踵を返した。
室内を出る前に、レイフィールが立ち止まって二人を振り返る。
「二人とも! 病人の枕元で騒がない騒がない。久しぶりに四人揃ったんだし、場所移そうよ! 僕、ルイの話聴きたいな」
まるで子供のように無垢な笑顔を浮かべるレイフィールをみているうちに、みるみるルイの口元がむずむずと緩んでいく。
「いつ会っても可愛いですね、レイは。では行きましょうか」
レイフィールの提案に頷きながら、ルイはくすくすと笑って優雅に身を翻した。
そしてその言葉を合図として、シードの四人はそれぞれ部屋を後にする。
だが去り際ルイはふと足を止めると、もう一度だけ室内に一人残されたエルフェリスを振り返った。
それに気付いたロイズハルトも少し先で歩みを止める。
「どうしたんだ? ルイ」
そう言ったロイズハルトの声は聞こえていたはずなのに、ルイはしばらく答えないまま、じっと何かを思案しているようだった。
訝しげに思ったロイズハルトが再度その名を呼ぶ。
「ルイ?」
すると今度はすぐに反応が返ってきた。
「あ……いや、すみません。その娘があまりにも私のドールに似ていたものですから」
「ドール?」
「ええ、他人の空似か……本当に見れば見るほど……私のエリーゼにそっくりだ」
その瞬間。時が止まる。
「……エリーゼだと?」
ルイが何気なく口にしたその名前に、ロイズハルトは動きを封じられたまま、しばらく眠るエルフェリスから視線を外すことはなかった。