【残069話】影はいつでもすぐそこに(3)

✚残069話 影はいつでもすぐそこに(3)✚

 そして慌てて彼から目をらす。

 激しく動く心臓が身体を突き破りそうだった。

 しかし当のロイズハルトは何がおかしいんだと言わんばかりの表情できょとんとしている。

「何って……着替えてんだよ」
「だから何でここで着替えてんのよ」
「裸のままじゃ風邪引くだろ?」
「そりゃそうだけど……。てか何で裸だったのよ!」
「ああ……。風呂を借りた。日課なんだ、起きたら風呂入るのが。気持ち良いし目も覚めるだろ」
「へぇー……ってそんな事聞きたいんじゃなくて!」

 目の前で淡々と着替えを続けるロイズハルトの姿に、どんどん調子が狂わされていく。

 けれども混乱する思考も、彼の体のある一点を見た瞬間に冷静さを取り戻していった。先ほどまでとは別の意味で、心臓が激しく鳴り響く。

「……ロイズ……、その傷……?」

 絶句ぜっくした。

 不意ふいにロイズハルトが背中を向けた時にちらりとそれが目に入ったのだ。

 均整きんせいの取れた素肌の上に走るその傷は、一目で太刀傷たちきずと分かるようなものだった。

 左肩から背中の中心に掛けて真っ直ぐに斬られたと思われるそれは、ロイズハルトの白い肌の上で赤黒く隆起りゅうきし、異様なほどの生々しさをかもし出していた。

「……」

 ヴァンパイアの背中にこのような傷があるなんて……。

 思わず息を呑んだまま立ち尽くす。

 そんなエルフェリスの異変を気配で悟ったのか、ロイズハルトは背を向けたままの状態で苦笑していた。

「男の背中をじろじろ見るな、エル。別にそんな珍しいものじゃないだろ?」
「……うん。……でも……痛そう」

 あまり見ては悪いと思いつつもちらちら横目で見ていたエルフェリスに、ロイズハルトは実に軽くそう言ってのけたが、エルフェリスは声を落としたまま思った通りの感想を述べていた。

 真新しい傷でないことはエルフェリスにも分かったけれど、蛇のようにうねり隆起するそのあとがあまりにも痛々しくて、気付けばそう呟いていた。

 けれど……。

「古い傷だ。もう痛みもないし、気にするほどのものじゃない」

 ロイズハルトはそう言って笑うと、エルフェリスの目から隠すように手早く衣服を身に着けた。

 古い傷。赤黒い痕。

 ああ……何だろう?

 ……頭が……痛い。

 瞳の奥から後頭部へと突き抜けるような鋭い痛みが何度か走る。

 その痛みに耐えようと固く目を閉じた瞬間、何かの残像が一瞬だけまぶたかすめていった。

「――ッ」

 はっとして目を開ければ、いぶかしげにエルフェリスを見つめるロイズハルトの顔がそこにある。

「どうしたエル? 具合でも悪いのか?」

 突然乱れた呼吸を整えようとすれば、ロイズハルトが心配そうにそう声を掛けてきた。

「……」
「……エル?」
「……う、ううん。大丈夫……」

 少しの放心状態を経て、エルフェリスがゆるく首を振る。

 つきんと痛む眉間とこめかみに手を当てて、独り言のように「何でもない」と繰り返した。

 しかしながら心はどこかうわの空。

 意識はあの“一瞬”を思い出そうとして、必死に脳内を探ろうとしている。

 何だろう、あの残像は……。

 前にもこんなこと、あった気がする。何なのだろう。

 ここへ来てからというもの、“何か”が脳裏をよぎぎっては消えていくということが増えた気がする。

 どうして?
 ただのデジャヴ?

 それとも……私は“何か”を忘れているのだろうか……。

 着替えを終えたロイズハルトがじっとこちらを見ていることに気付く。

 浮かび上がるダークアメジストの瞳が真っ直ぐエルフェリスの心に突き刺さるように注がれていた。

「やっぱり具合悪いんじゃないのか? 今夜は寝てるか?」

 一呼吸置いてから、穏やかな口調でそう尋ねられた。けれどエルフェリスはやはり首を横に振る。

「ホントに大丈夫。ちょっと考え事してただけだし……元気だよ」
「……そうか?」
「うん、大丈夫! さて私も着替えようかな」

 無理やり笑顔を取りつくろってそそくさとその場を立ち去ろうと足を踏み出そうとする。が、すぐにロイズハルトにぐっと手首を掴まれた。

「待てエル。昨夜は言いそびれたが、お前に話がある。着替えたらちょっと俺に付き合え」
「話? ここじゃダメなの?」
「ん……まあ聞かれてもいいのなら」
「……何それ意味深……。分かったよ。ちょっと待ってて、すぐに着替えるから」

 なんとなくロイズハルトの言い回しが気になって、エルフェリスはさっそくきびすを返すとすぐに支度したくに取り掛かった。

 元々着るものにはこだわってないし、適当で良いとその辺に転がっていた服をつかんで袖を通す。手早く髪を整えて、サイドボードの上に置いていたクリスタルの十字架を首に下げればとりあえずは外に出られる状態になった。

 鏡に映る自分の顔は相変わらずひどいものだったが、いちいち魔法を掛けてまで治すのも面倒だと開き直って、エルフェリスはそのままドアの所で待つロイズハルトの元へと足早に掛けていった。

 デューンヴァイスとリーディアはいまだ夢の中。

 そんな二人を部屋に残して、エルフェリスはロイズハルトに付いて冷えた回廊かいろうへと踏み出す。

「ねぇ、どこに行くの?」

 無言で前を歩くロイズハルトの背に向けてそう尋ねると、彼はたった一言、「俺の部屋」とだけ答えた。

 ロイズハルトの部屋はエルフェリスの部屋から目と鼻の先。誰にも会うことなく、すぐに辿り着いた。

 ロイズハルトが鍵を開けて、ドアを開ける。

 真っ暗な世界がその先に広がっていた。

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