足元に二人の男が転がった。
少し遅れて、金属の乾いた音が虚しく響く。
「まったくもう……お陰で遅刻じゃないの!」
恐らくは聞こえてないだろうけど、間抜けな顔で白眼を剥く男たちに悪態を付くのを忘れない。
だって分かるでしょ?
毎朝夢見が良すぎて寝坊が当たり前の私は出席日数がギリギリ。
今日こそは遅刻しまいと思っていたのに、駅が見えてきた途端に中途半端な不良被れに絡まれたらキレもするって!
「弱いクセにケンカ売らないでよねッ!」
今日は一殴り、二殴りして、トドメに回し蹴り。久しぶりに素手で決着が着いたのにはちょっと拍子抜けしたかも。弱っわ。
まったく出番のなかった短剣を適当に鞄に突っ込んで、ちょっと乱れた制服を直すと、私は駅への道を全速力で駆け出した。
……男たちが持ってたバタフライナイフは戦利品としていただきました、ありがとう。
――こんなの日常茶飯事。
誤解の無いように言っとくけど、別に私が特別ケンカ強いとかではない。
これがこの世界の常識で日常なのです。
いつの間にか物騒な世の中になったもので、外に出る時は皆、軽く武装するのが当たり前になった。大人も子供も。
銃は相変わらず規制されてるけど、ナイフとかダガーなどの人目に付かないサイズの刃物に限っては、その所持が黙認されている。
ある者は己の欲望を満たすための凶器として、またある者は己の身を守るための武器として。
警察も手が回らないくらい巷で氾濫する傷害事件は、傷害事件とも捉われなくなってしまった。
誰もかれもがモラルとかルールを無視し続けた結果がコレって事。
温暖化と同じで、どうしようもなくなってから事態を重くみて、慌てて公序良俗を取り戻そうとする動きが出たのが数年前。
少しずつ……少しずつだけど、マトモな世の中に戻りつつあるのは確か。
でも、日常生活の一部として浸透しきってしまった人々の凶暴性を取り除くのは容易ではない事くらい、私にも解る。
三つ子の魂百までって言うしね。
だから……。
――私はこんな世界、好きじゃない。
「どいてどいて! どいて下さいッ!」
人の波に逆らうのは結構しんどい。
朝の大ラッシュに輪をかけるように、次々到着する乗降客を掻き分けて改札に滑り込んだまでは良かったけれど、今日に限って電車は遅延。
ただでさえ急いでいる人々は他人の事なんかお構い無しでどいてくれないし、なんならぶつかってくる人もいる。
それでもなんとか乗れそうな電車に駆け込もうとする私の形相は、さすがに見せられたモンじゃなかった。
これでも一応、花も恥じらう乙女なワケで。
だけど。
頭を霞める“留年”の二文字が、私に恥と言うものを忘れさせていた。
そんな時。
「あは、すっげー顔だな、綺羅」
やたらと鮮明に耳に響いてきた声の方に視線を走らせると、そこには笑顔で軽く手を振る男の子がいた。
「え? 誰?」
男の子に気を取られて、私は一瞬身体の力を緩めてしまった。前に前にと勢いづいていた身体は、いとも簡単にバランスを失う。
あっと思った途端に人波に押し流されて――押し流されて――。
そこから“私”がどうなったのかは、分からない。
思えばそれが始まりだったのかな――この長い夢物語の……。
重力に逆らえずに傾く身体。
声が聴こえた。
「行ってきな――綺羅。遥かな世界へ」
そして瞳は閉ざされた。
Dream1.いじける神様
目が覚めた。
なんだかフワフワと暖かくて、でも視界にはずーっと向こうまで続いている雲以外、何も映らない。
てかココどこだ?
まだ少しボーッとする頭でそんな事を思ってると、下から何かの音が聞こえる。
「……」
何だろう?
「…………」
「……おも……い……」
そのわずかなうめき声が聞こえたのと同時に、私はその場から飛び退いた。
それから慌てて今自分がいた場所を振り返ると、そこには私よりも小さなお爺ちゃんが潰れていた。
「わわわ、ごめんなさい」
「やれやれ、最近の女子は重たいのぅ……イタタ」
何気に失礼なセリフを吐きながら立ち上がったお爺ちゃんは、白くて長い顎ヒゲを手早く整えた後、ほほ、っと笑った。
かと思ったら、持っていた杖を私の目の前にビシッと突き付けた。
「女子! 今日はどんな夢を見た?」
「は?」
「だからどんな夢を見たかと聞いておる」
「いや、普通……の夢ですけど……」
……ヤダな、このお爺ちゃん……ボケてんのかな。
なんて思いつつも、頑張って作った笑顔はひきつっていたと思う。
「言っとくがワシャ~ボケとらんぞ」
わざとらしく口を大きく開け、必要以上の声で宣言すると、お爺ちゃんは私を軽く睨んだ。
まさに思っていた事を指摘され、私は適当に笑ってごまかしたが、お爺ちゃんは目を細めると下から鋭く見据えてこう言った。
「如月綺羅、ワシはそなたを選んだのじゃ」
ニッと笑うお爺ちゃんと、驚愕で目を見開く私の視線がぶつかる。
如月綺羅。
それは、私の名前。
だけど何でこのお爺ちゃんが知ってるの? 私はこんなお爺ちゃん知らないのに。
「あの……お爺ちゃんどこの人? うちの近所に住んでるの? それとも親戚かなんか? てかココどこ?」
なんだか頭が混乱してきて、矢継ぎ早に質問の言葉を並べてしまった私に、お爺ちゃんはさらに追い討ちのセリフを吐いた。
「ワシは神様じゃ。夢の世界の神様」
「……え~っと……」
あからさまにお爺ちゃんから視線を外し、今の自分が置かれている状況を必死に理解しようとした。
自称神様のお爺ちゃんは私の様子をしばらく見守っていたが、何を思ったか、ふいにその場に屈み私に背を向けた。
そして何やら小声で呟いている。
「いいんじゃいいんじゃ。どうせだーれも信じてくりゃせんのじゃ。ワシは神様の中でも一番哀れな神様じゃー……」
背中を丸め、何やら地面をしわしわの指先でつっ突いては、時折恨めしそうな顔をこちらに向ける。
……どうしよう……お爺ちゃんいじけてる。
「じゃ、じゃあ、お爺ちゃんが神様だって証拠見せてよ。いきなり神様だって言われたって、わたし信用できないでしょ?」
なんとか笑顔を取り繕って、お爺ちゃんに話し掛けた。
すると、お爺ちゃんはすくっと立ち上がり、不適に笑う。
「そんなの簡単じゃ~」
「え? 簡単なの?」
「簡単じゃよ。まず、お主は今日、美少年とたらふくあんみつを食う夢を見たはずじゃ。それから昨日は~巨大なウサギに追われてるところを別の美少年に助けられる夢じゃったか」
それからそれから……、とお爺ちゃんが語る私の夢は、どれも私の記憶に残る夢の数々だった。
「わ…わかった! わかったからもうそのくらいで……!」
私しか知らないはずの内容を、こうも全て言い当てられては信用するしかない。と言うか、正直怖い。
神様のお爺ちゃんは機嫌良さそうにニコニコ笑っていたが。
「てか神様? わたしになんか用でもあったの?」
すっかり神様のペースに振り回されそうになっていたから、私は思い出したようにお爺ちゃんに問いかけた。
するとお爺ちゃんも忘れていたのか、ほお、と小さく頷く。
「実はな、ワシピンチなんじゃ」
いや知らないし。
「それわたしに関係あるの?」
「大アリじゃ! ワシがただの爺さんになってしまうのじゃぞ! ワシがただの爺さんになってしまったら……夢の世界はおしまいじゃ……」
そう言うと、お爺ちゃんはガックリとうなだれた。
けれど神様の話はややメルヘンで、私には事の重大さがイマイチ解らない。
「夢の世界? 何それ」
とりあえず続きを促すと、神様は深い溜め息を吐いてから、ゆっくりと語り出した。
私はひとまずその場で体育座り……したものの、おしりが痛くなってしまった。
お爺ちゃんの話がそれはそれは長すぎたからだ。
掻い摘んで言うと、どうやら“夢の世界”と言うのは私たち人間の夢――睡眠時の夢・将来の夢などを基盤として存在する異世界らしい。
その世界を見守り導く役目を担うのが、神であるこのお爺ちゃん。
だけど実際お爺ちゃん一人での統治は無理があると言うことから、お爺ちゃんは自分の力を分け与えた四人の賢者と四人の魔術師を、世界の東西南北にそれぞれ配置したと言う。
――問題はここから。
基盤としている私たち人間の夢見る心がここ何十年の間に急激に低下・悪化しているのを受けて、夢世界のバランスが崩れつつあるのだそうだ。
一見、私たちには関係無さそうに思えるけどそうでもなくて、夢世界が崩壊すれば、私たち人間は完全に心を破壊されるだろうとお爺ちゃんは言う。
人間世界と夢世界は互いにリンクしていて、人間は夢世界の安定を、夢世界は私たちに豊かな心を与えあっている……難しいけどそういう事らしい。
夢世界の事は無理やり理解したつもりだけど、やっぱりまだ解らないのは、私が神様に選ばれたって事。
理由を尋ねても、お爺ちゃんは「夢の中でも幸せでいられるヤツの方がいいじゃろ?」と、意味有り気に笑うだけだった。
「謂わばワシは夢世界と一心同体。世界が不安定になればなるほど、ワシの力は奪われる。お主らの世界にも悪影響が出る」
その証拠に身長が縮んだ…とか言っていたけど、それは関係ないでしょ。
「ま~早い話が、夢世界のどこかに、人間世界と夢世界の均衡を揺るがす不穏因子があるはずじゃ! それを探し出して何とか世界を安定させて欲しいのじゃよ」
そして神様お爺ちゃんはまた私の目の前にビシッと杖をかざした。
そこで私はようやく状況を理解するのだ。
ああ…あれか、これがいわゆる異世界転移と言う……。
…………。
「エーーーーッ!」
しばらくの沈黙の後、私は驚愕の声を上げながらひっくり返った。
あまりに衝撃的過ぎて、脳が一瞬停止するような感覚を覚える。
「おおおおお爺ちゃん! わたし人間! 一般人!」
狼狽する私は、お爺ちゃんの体を揺さぶったり、辺りを往ったり来たり。
文字通り混乱していた。
「一般人がなんじゃ! いっちょまえに武装しとるじゃないか」
「でも学校もあるし! 出席ヤバいし!」
「あ~平気平気。そう言うと思って、しばらくお主の本体は出席できない状態にしといたわい。な~に安心せい。夢世界から帰ればまたピチピチの身体になれるでの」
てことは今の私は精神体?
お爺ちゃんはカラカラ笑ったが、こっちはそれどころじゃない。
てか私の身体に何かしたのか、じじい!
色々な感情を処理しきれずに焦る私をよそに、お爺ちゃんが何やら呪文のようなものを唱え始めた。
「ま~安心せい。向こうでは美青年二人がお主を待ってるでの。それから、向こうではみな精神体みたいなもんじゃから。ま、夢で成り立つ世界じゃからの」
「え? ちょっと……」
目の前で何かが弾けて、次の瞬間、私の身体は宙に投げ出された。
抵抗する間もなく意識が遠のく。
――困った時はワシを呼べ。ただし、本当に困った時だけじゃぞ――
夢世界の神様は少し強引過ぎだ。
もう十分困ってるっつーの。