Dream36.らくだとステテコの賢者2
「サキュバス……せくしーぎゃるか! みみみ見せてくれ!」
急に熱量の上がった賢者様に冷ややかな視線を浴びせながらも、その右手にサキュバスの封印された珠を載せてやる。
マイラック賢者は大事そうにその珠を覗き込むと、回したり裏返したりを繰り返し、首を傾げた。
「何もおらんじゃないか!」
「なんか知らないけど浄化しちゃったみたいで……」
「なんじゃいなんじゃい、思わせ振りな事言いおって!」
あからさまに肩を落としてショボくれる賢者様を見ていると、やはりエロが絡むとただのじいさんなのだと実感させられる。
あー、やだやだ!
「こほん、それでですね、気になることを言っていたのは真ん中の黒い珠にいる気弱な夢魔でして……」
「うむ? これか?」
まだ少々拗ね気味の賢者様が面白くなさそうに真ん中の珠を摘まみ上げる。
「その夢魔の中に、もう一人、別の人格が潜んでいたんです。それが左側の黒い珠の夢魔です」
「なにっ?」
リュイののんびりとした説明にも血相を変えて賢者様が反応する。
慌ててもう片方の手で、おっさん夢魔が封印されている左の珠を持ち上げると、マイラック賢者は双方をまじまじと観察し始めた。
「実はサキュバスの封印した珠も、はじめはその二つと同じように黒い珠だったのです。けれどもそこにいる娘、キラが触れた途端に目映い光とともにサキュバスは姿を消し、今の透明な珠となりました」
リュイの解説は続く。
「けれどもその二つについては何も起こらない。それに真ん中の珠の気弱な夢魔は私たちに、何者かに人格を乗っ取られそうになっている、という趣旨の主張を致しました。他の夢魔も人が変わったように暴れているのだ、とも……」
リュイの言葉の一つ一つをしっかりと噛み砕きながら、賢者様が首肯する。
「確かに、夢魔とは一年に一度だけ、悪夢の日に異世界へと放たれる悪夢の使者。しかしながら彼らが悪そのものでは無いと言うことは知っておろう。本来ならば悪魔の日が過ぎれば彼らはそれぞれの魔術師の元で眠りに就き、また次の悪魔の日を前にして目覚める。そういう儚い存在なのじゃ。しかしながら、前回の悪魔の日を境にそのサイクルは突如として崩れた」
「東の魔術師も言っていた異変が起こったのですね」
リュイの言葉にゆっくりと頷く賢者様。
「眠りに就くはずの夢魔達が魔術師の手に戻らず、あろうことかそのまま暴れ出した。それだけにとどまらず、異変はなぜか異世界まで波及したのじゃ。おそらくわしが思うに、悪夢の日に飛び立った夢魔達はもうすでに、この世界の転覆を狙う何者かの息が吹き込まれていたのだろうの。異世界の者たちまで凶暴性を増し、ほれ、そこの娘さんのように武装せにゃならんようになった」
賢者様の一言で、一同の視線が私に集まる。
なんか私がめちゃくちゃ凶暴な人間みたいですっげー嫌だな……。
「娘さんの世界は裏で手を引いているやつを倒せば元に戻るじゃろう。そのために神はそなたを呼び寄せたのだからな。じゃが……黒いオーラや黒い珠、それに浄化され消え行く夢魔……これらについてはわしも初めて耳にする。役に立てなくて申し訳ない」
マイラック賢者はそう言うと、改めて私たちに向けて頭を下げた。
賢者様が分からないのであれば、私たちにその謎を解くことのできる日が来るのだろうかと一抹の不安を覚える。
けれども、話はそこで終わりではなかった。
「分かりました。賢者様でもご存じないのでしたら仕方ありません。しかし、もうひとつ教えてほしいことがあります」
リュイはそう言うと、私の方を一瞥した。
「この娘はキラと申します。キラはマイラック様の仰る通り、こことは別の世界から神に呼び寄せられた者。彼女はブレイブとしての能力を持ち、魔具である短剣を所持したままこちらの世界へとやって来ました。その彼女を夢魔たちが狙っているのです」
「なにっ! それはまことか?」
瞳を限界ギリギリまで見開いて真相を問う賢者様に、私は少しだけ遠慮がちにも頷いた。
「その黒い珠に封印した気弱な方の夢魔に……言われたんです」
「ほんとか? キラっ!」
その言葉を聞いたクライスも血相を変えて立ち上がる。
そういえばクライスにはタイミングを逃して伝え忘れていたことに、セシルドもリュイもその時気付いたのだった。
けれどもそこを掘り下げていてはまた話が脱線してしまうと思ったのか、リュイはクライスの驚愕を無視して先を進める。
「なぜキラを捕らえようとしているのか、その夢魔は教えられなかったようです。しかし拒絶するならば消し去ると脅されていたと言っておりました。その脅していたとされるのがもうひとつの人格であるもう一人の夢魔。同じ体の中で形成された人格同士が、同じ体の中で争い合うことなどあるのでしょうか?」
「ふむ。……通常人間にも起こり得る多重人格ならば、深層心理の次元で人格同士がやり取りをしていることはあるかもしれん。じゃが、夢魔はそもそも悪魔の日のためだけに生かされている。一人の夢魔の中に人格が二人も三人もいるなど聞いたこともない。”誰かに無理やり植え付けられた”のなら有り得るかもしれんがの」
誰かのごくりと唾を飲み込む音が、嫌に大きく響く中を、マイラック賢者は進んでいく。
「精神を操ることなど容易いことじゃ。現にお主らの話を聞いているだけで想像できる。操られる者は、己が”操られている”などと認識できないうちに思うがままにされてしまうわけじゃが、どういうわけか稀に掛かりにくい者、抵抗する者はおる。この気弱な方の夢魔とやらはそのパターンなのではないかな?」
「……確かに……いつの間にかもうひとつの人格が入り込んでいた、と言ってたな」
「そうじゃ。夢魔たちは誰かの干渉を受けて操られ、暴れ出した。じゃがこの夢魔だけはどうしてか、入り込んできた操りの魔術が人格として認識され、しかもその力に抗っていた。気は弱かったかもしれぬが、自己をしっかりと持っていたのじゃろう、この夢魔は」
賢者様はそう言うと気弱な夢魔の封印されている黒い珠を私たちの方に差し出した。
「しかしのう……夢魔たちがブレイブを狙う……。まあ、今の夢魔たちにとって娘さんは明らかに敵であるから分からなくもないが……わざわざ捕らえんでもその場でそれこそ殺してしまえばいい話じゃ。何か意図があるのだとは思うが、はて……」
賢者様はそう言うと、顎に手を当て深い思案の渦の中へと飛び込んでしまった。
その間、件のやり取りに対して寝耳に水のクライスが私たちに向けて「説明しろ!」とすごい剣幕で迫っていた。
「今賢者に言った通りですよクライス様。金魚のやつ、夢魔の親玉とやらに狙われてるみたいです」
「はぁっ? 何でそんな大事なこと黙ってるんだよ!」
「だって仕方ないでしょ! 昨日はそれどころじゃなかったんですからっ!」
「……なんか……すみません……」
主従の口論に挟まれて耳が痛そうに小さく身を縮めるリュイ。
確かに昨夜はミルさんの料理をなんとか胃袋に納めるのに必死で、そんな話をしている余裕はなかった。
でもリュイが責任を感じることではないのに……。
「だいたい! こいつにそんな利用価値があると思う方がおかしいんですよ! ただの金魚じゃん!」
「はぁっ? どーゆーことよ、セシルド!」
今のセリフはさすがに聞き捨てならないぞ!
自身の考えに浸り切っていて騒ぎに気付かない賢者様を前にして、私とセシルド、クライスとリュイは喧騒の中へと飲み込まれていく。
その様子に慌てて駆け付けたおばあちゃんに止められるまで、その異様な光景は続いたのだった。
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