【残003話】消えた姉(2)

「いつからそこにいたの? デストロイ」

 だからあえてわざわざ視線を動かすこともないだろうと、前を見据えたままでそう言ってみせた。すると短く笑う声と共に気配が近づいてきた。

「やっぱお前ただ者じゃねぇな、エル」

 不機嫌そうな表情を崩そうとしないエルフェリスの前に回り込むようにして壁に背を預けると、男が笑った。その顔を一瞥して、エルフェリスはふん、と鼻を鳴らした。やはり思った通り、デストロイだ。

「狩りに出掛けたんじゃなかったの?」
「ああ、取り止めだ。三者会議の前じゃ、さすがのヴァンプも警戒してるみたいでな。俺たちも迂闊うかつに手を出せないってわけさ」
「ふふっ。らしくないセリフだね」

 挑発的な瞳でエルフェリスがそう言うと、デストロイもまた複雑な苦笑いを漏らしながら肩をすくめてみせた。
 
 この男デストロイは、エルフェリスやエリーゼと同じ村で生まれ育ったいわば幼馴染であり、友人でもあった。しかしながらエルフェリスとは年齢が十近く離れており、彼女から見れば幼馴染というよりは近所のお兄さんのような存在であったのだが、幼い頃からしょっちゅう顔を見合わせていたからか、年上という感覚はもはや消え失せている。
 
 一時期デストロイはやはりエルフェリス姉妹らと同じように神官になるべく修行をさせられそうになったようだが、幸か不幸か彼には魔法の才能が欠片も無く、代わりに剣術の才能に恵まれていた。教会のある村といっても安全なわけではなく、過去には何度もヴァンパイアの侵入を許し、多くの犠牲を払ってきた。だがその度に彼は先頭に立って剣を振るい、自らの腕を磨いた。
 
 そんなデストロイが選んだのはヴァンパイアハンターという、神聖魔法使いとはまた別の形でヴァンパイアに対抗する道であった。

 それ以来彼はいつ何時も愛用の剣を携え、ヴァンパイアの出現情報に神経を尖らせながら、あちらこちらへと奔走する毎日を送っている。

 エルフェリスにしてもこの男のことは決して嫌いではなかったが、ヴァンパイアハンターという職柄のせいかどこか血生臭く、殺伐とした雰囲気を纏うようになってからは、できる限り接触を持たないよう避けて回った。

 今もまた、神聖であるはずのこの教会の中を微かに血の匂いが漂っている。

「何人殺したの?」
「さあな。……いちいち覚えてない」

 わずかに伏せた目をどこかへ走らせて、口端を片側だけ吊り上げると、デストロイはまるで吐き捨てるかのようにそう言った。

 エリーゼと同年代であるこの男は、ここ数年の間に世界中の誰もが知るほどの名うてのハンターとなっていた。一度狩りへ出掛ければ、名のあるヴァンパイアを次々と仕留めるという偉業を評価され、ヴァンパイアから最も恐れられているハンターの一人としてその名は急速に広まった。

 彼をそこまで有名にさせたのも、おそらくはエリーゼの失踪が発端なのだろうとエルフェリスは考えている。デストロイは姉エリーゼに想いを寄せていた。あの頃、最も姉に近かったのはこの男だ。

 幼いエルフェリスの証言から、エリーゼがシードヴァンパイアを追って行ったのでは……との結論に達した後、彼はまるで修羅の如く次々とヴァンパイアを捜し出しては殺していった。名高いシードから名も無きハイブリッドまで。

「外ばっか見てたって、エリーゼは帰って来ないぜ?」

 黙り込んだエルフェリスに痺れを切らしたのか、一つの溜息と共にデストロイが声をかけてきた。しかしながら、それでもなおエルフェリスは口を開こうとはしなかった。ただじっと、じっと一点を見つめ続けている。

 彼女の瞳に映るのは、姉が自ら出て行ったであろう教会の大扉と、その先にある外界とを繋ぐ長い下り坂だった。左右を林で囲まれたその道は、昼は神々しく、夜は禍々まがまがしい。

 そこに嫌でも姉の姿を重ねてしまうのだ。一人去り行く姉の後姿を。

 けれど……、とエルフェリスは心の中で前置きをした上で、ようやく面倒そうに口を開いた。

「別に心配してるわけじゃないよ。あんたと違って」

 神聖であるはずの存在から飛び出す刺に、デストロイは苦笑と溜め息を同時に噛み潰すしか術がなかった。可愛くないが、この娘がここまでひねくれる過程を見てきただけに、デストロイはただ黙ってその言葉を受け流した。

 にわかに木々がざわめき始める。また嵐になるのだろうか。

 デストロイはちらりと外を一瞥いちべつすると、「……薄情なやつ」と呟いて、それからふっとわらった。

 なんだか分からないが、へそを曲げている時のエルフェリスに対して何を言っても響かないことは、長い付き合いの中でよく知っている。こういう時は、大抵会話は成立しない。

 それを今まさに体現するかのように、エルフェリスは黙って空を見上げるだけだった。そして思っていた。いくらでもそうやって嗤うがいい、と。

 私はエリーゼを心配していない。

 彼女に対する心は、この数年ですっかり枯れ果てた。自ら出て行った姉の為に、一体どれだけの人が犠牲になったと思っているのだ。一体どれだけの人が、善意の捜索の果てにヴァンパイアに喰い殺されたと。

 それを考えると、もはや姉の安否を憂う気持ちよりも、怒りの方が遥かにそれを凌駕するようになってしまっていた。だからデストロイの辛辣しんらつな言葉にも、自嘲的な笑みしか浮かんでこない。

 自分の心は枯れ果てた。

 だが同時に、エルフェリスの中でまだわずかに揺れていたある思惑が、今ここで確かな決意として固まった。無責任な姉の始末は、妹である自分が付けなければならない。

「薄情か……そうかもね。でもね、私決めたの」
「……何を?」

 そこでようやく視線を合わせてきたエルフェリスに、デストロイは怪訝けげんな眼差しを隠そうとしなかった。眉をひそめて、エルフェリスからの次の言葉を待っている。

 その様子に満足したのか、ここ最近では珍しいくらいのとびきりの笑顔を作ると、エルフェリスはデストロイに向かって答えた。

「エリーゼを捜しに行く」
「はぁっ?」

 突然の宣言に驚きを隠せないのか、デストロイはその後も繰り返しエルフェリスに正気か尋ね続けたが、エルフェリスはといえば、もう彼には目もくれず、その視線を再び雨の降り注ぐ外の景色へと向けていた。

 そう。
 エリーゼは必ず捜し出してやる。何としても必ず。でもそれは、心配しているからじゃない。

「私はただ……」

 ――エリーゼの綺麗な顔を、思いっきりぶん殴ってやりたいだけだ。

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