【残004話】ヴァンパイアからの招待状(1)

 それはわずか二日前の事だった。

 月明かりも姿を消した、漆黒の新月の晩。夜も深く更けた頃、人目を忍んでひっそりとこの教会を訪れる二つの影があった。

 どちらも黒いマントに黒いフードを目深に被り、自らの姿を闇に溶け込ませるようにひっそりと、けれども教会の正面入り口から堂々と、臆することなく足を踏み入れた二つの影があった。

 その姿形の半分ほどがマントで覆われてはいたものの、裾から伸びた足やその靴の形状から、一人は女性だということが見て取れた。

「今回も良き結果で終われますことを……」

 凛と冴え渡るような声色の女はたった一言それだけを告げると、懐から一通の手紙を差し出した。たまたまその場に居合わせて対応した神官は、しんと静まり返った回廊に響かんばかりにごくりと唾を飲み込むと、小刻みに震える手に力を込めて、何とかその手紙を受け取った。

 その様子を満足そうに見届けた二つの影は、フードの奥で怪しくきらめく赤い瞳を細めた後、「ではまたいずれ……」と恭しく一礼を残して風のように去って行った。

 真っ赤に染められた高級そうな封筒に、黒いインクで流れるように書かれた「Invitation」の文字。その場を遠くから傍観していたエルフェリスですら、それが何なのかを瞬時に悟った。あれは……。

「招待状か。ついに」

 デストロイが腕組みをしてから呟くと、エルフェリスもまた無言で頷いた。

 そう。それは、数年に一度、ヴァンパイア側から人間側へと届けられる正式な招待状だった。

 今、人間とシード及びハイブリッドヴァンパイアたちの間には「共存の盟約」と呼ばれる協定が結ばれていて、その協定内容を見直す会議が数年ごとに執り行われることになっていた。議場は決まってシードヴァンパイアの暮らす城と定められており、開催もまたシードヴァンパイアによって取り決められるのが盟約の一つの条件となっていた。

 そこには人間の干渉は一切認められていない。五年で開催されることもあれば十年後になることもある。すべては恒久の時を生きるヴァンパイアたちの気まぐれによって左右される不安定なものであった。

 だがその会議の開催を知らせるためにあつらえられる招待状は、毎回必ず真紅に染められ、そうしてある日突然届けられる。人間側の代表であるこの教会の司祭―—今回で言えばリーゼン=ゲイル司祭宛に。

 人間側の頂点に立つ者は、国を統べる王であったり、教会本部の最高司祭であったりするのだが、会議に参加するためにはヴァンパイアの牙城がじょうにこちらから赴かねばならない。わざわざ命の危険を省みず参加したがる者など当然ながらおらず、ならば辺境と呼ばれる前線の村の教会から代表者を立てようと画策した結果、それが今日までの伝統と化していたのであった。

 歴代の司祭たちの中には、自らの境遇を嘆き、文字通りヴァンパイアの城から尻尾を巻いて逃げ帰って来た者もいたと聞くが、この時をエルフェリスは待っていた。この時をずっと。

「あれさえあれば、堂々とシードの居城に乗り込めるってわけ。誰に邪魔されることなくね」

 あの夜目に焼き付いた真紅の封筒を思い出しながら、エルフェリスは不敵な笑みをその口元に浮かべた。だが、そんなエルフェリスの様子を黙って見ていたデストロイはちらりと窓の外を一瞥いちべつすると、短く溜め息を吐き出した。

「そんな簡単にいくものか。毎回こっち側の同行者は司祭に次ぐ力を持った神官って決まってんだよ! お前みたいなヒヨッコが行けるわけねぇだろ」

 肩をすぼめておどけてみせたデストロイは、息巻くエルフェリスをバカにするように鼻で笑った。その瞬間、エルフェリスの中で何かがどくんと胎動を始めた。

「それにシードの居城はヴァンプの領域のど真ん中だ。聖職者といえども喰われるぜ、女は」

 そんなことは百も承知だと苛立つエルフェリスの瞳に、人知れず仄暗ほのぐらい炎が灯る。

「忘れたとは言わせないよ? デストロイ。私が神聖魔法使いだってこと。それに今回の同行、司祭も正式に認めてくれたし、誰にも文句は言わせない」

 もっとも、エルフェリスの他に同行者としての適任がいなかったという大きな理由はあったのだが、それでも教会本部での協議、選出手順を踏んだ後、エルフェリスが次の三者会議への同行者として正式に任命されていたのは事実であった。

 神聖魔法使い。

 要するにヴァンパイアたち闇の勢力に対して、絶対的な威力を発揮する魔法がこの世には存在するのだ。

 その魔法を習得した者が神聖魔法使いを名乗れるのだが、まず聖職者でない者は習得すらできないという非常に貴重な魔法だ。また聖職者の中でも実際に習得できるのはごく一部とされ、神聖魔法の使い手となった者はヴァンパイアとの抗争地域に多く派遣される。

 この村もまた、その地域の最前線の一つ。この地で聖職者を目指す者は、強制的に神聖魔法の習得を試みなければならなかった。

 ただの聖職者などこの地にあっては非力な村人と同じで、ヴァンパイアの前では血を通わせた食糧の一人に過ぎない。少しでも戦力を求めるのは決して不自然なことではなく、そしてそんな中、エルフェリスは運良く習得できたというわけだ。

 すべては神の気まぐれといったところだろうか。その時ばかりは神の存在を信じていないエルフェリスも跪き、自分の幸運を神に感謝した。いざとなれば、ヴァンパイアと対等にやりあえるのだから。

「……なるほどね。シードすら簡単に手を出せないってところを利用するってわけか。だがな、エル! 早まってシードを殺したりしてくれるなよ? 奴らは最後の一人まで、俺がこの手で討ち取ってみせる!」

 激しく燃えたぎる瞳を夜の外界へと向け、デストロイはえた。

 エリーゼのためだけにシードヴァンパイアをことごとく殲滅せんめつさせんと意気込むデストロイを尻目に、エルフェリスの瞳は先ほどとは打って変わって、分厚い氷の下に閉じ込められた海底よりもさらに黒い表情いろを湛えていた。まるでその情熱を拒絶しているかのように。

 エルフェリスからすれば、正直エリーゼさえ連れ戻すことができるのならばシードもハイブリッドもどうでもいいし、そのすべてが死のうが生きようが関係ない。

 姉は今でもきっとどこかで生きている。ならば連れ帰る。そして姉の為に死んでいった人たちの前で謝らせてやるのだと、エルフェリスは固く奥歯を噛みしめた。

 けれど不思議なことに、どこかヴァンパイアという存在に強く惹かれる自分がいることもいつの頃からか感じていた。いまだかつてヴァンパイアと戦闘以外に直接的な接触を持ったことが無いにもかかわらず、だ。

 いやむしろ、接触がなかったからこその興味本位に過ぎないのだろうか。それとも唯一の家族であったエリーゼをヴァンパイアに奪われたからなのだろうか。よく分からない感情を処理しきれず、エルフェリス自身、ずっと長い間葛藤していたことも認めざるを得なかった。

 燻り続けて、胸の奥がもやもやするこんな状態にいい加減嫌気が差していたところだ。この機会に白黒付けたいというのも、また今回の同行者として自ら名乗りを上げた理由の一つだった。

「シードもハイブリッドも関係ない……か。そうだな、お前はお前のやり方でやるがいいさ。見事エリーゼを連れ帰ったなら、後始末は俺が付けてやる」

 ボキボキッと嫌な音を立てながら拳を握り締め、デストロイはにやりと笑った。

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