【残009話】三者会議の幕開け

第二夜 三つの思惑

 いつの頃からかそれは、“三者会議”と呼ばれるようになった。五~十年に一度、人間・シードヴァンパイア・ハイブリッドヴァンパイアの主導者が一同に会し、互いの共存の為に盟約を結ぶのだ。

 人間側は毎回、エルフェリスの村の最高司祭とその後継者が出席するのが慣わしとなっていて、今回は彼女の親代わりであるリーゼン=ゲイル司祭とその娘エルフェリスが出席することに決定していた。
 
 その昔、まだ人間とヴァンパイアが狩られる者と狩る者の関係でしかなかった頃。

 人里でも次々に襲われ、命を落とす人々の行く末を儚んだ数代前の村の司祭が、単身シードの居城に乗り込んだ事が発端だと言われている。

 死をも恐れぬ彼はたった一人、長い年月を掛けてヴァンパイアとの間に見事信頼関係を築き上げ、ついには共存の為の盟約を取り交わすという偉業を果たした。

 その功績を評価されて以降開かれるようになった三者会議だけに、必ず代表者はエルフェリスたちの村の教会から選ばれる事となった――もっとも、王や教会本部の最高司祭が会議への出席に尻込みしたという背景はあったのだが。

 もちろん盟約が結ばれたからといって、ヴァンパイアに襲われて死ぬ人間、そしてハイブリッドとなる人間が完全にいなくなったわけではない。今でもどこかで命を落とす者は後を絶たない。それでも明らかに減少したのは事実であり、少しずつではあるが、共存への確かな秩序が築かれつつあった。

「あの頃はシードも大勢いたし、ハイブリッドに対しての影響力も絶対的だったからね」

 三者会議のあらましを語る時、司祭はいつもそう言って話を締めくくっていたのをエルフェリスは覚えている。

 今ではもう失われつつある、シードの絶対的な統率力。

 デストロイらヴァンパイアハンターが数年前から一斉に行った乱獲は、数多くのシードを死に至らしめたという。そしてそれは、彼らの権勢を著しく失墜させてしまった。

 以降、ハイブリッドの中からは少数ではあるが、盟約を無視し、かつてのヴァンパイア最盛期の時代を取り戻そうとする一派まで生まれた。

 盟約で取り決められている吸血禁猟区で人が喰い殺されたり、その報復と言わんばかりに逆にハンターたちがヴァンパイアの領域内で狩りを始めたりと、盟約締結で築き上げられた秩序は忘れ去られ、事態は急速に暗転していった。

 そんな中開かれる今回の会議が大荒れになるであろうことは予測済みだ。

 けれどエルフェリスはそんなことよりも、早くこの部屋を出てシードに会いたくて仕方がなかった。その中の誰かが姉の行方を知っているかもしれないのだから。

 いつ、どの状況で殺されるか分からないからと、会議への参加を嫌う聖職者も多い中、自ら志願した彼女は自分でも驚くほどに落ち着いていた。

「ご準備はよろしいでしょうか?」

 黒と赤のドレスを身に纏ったリーディアが迎えに来ても、エルフェリスの心は先へ先へとはやる。しかし事前に用意していった白のドレスで正装していたため、いつもよりも重くて長い裾が前へ前へと向くその心を、後ろへ後ろへと引っ張っているように感じた。

 今ならまだ引き返せると。見えない何かが、そう言っていたのかもしれない。

「ここから先、私は一人のハイブリッドとして会議に臨まねばなりません。しかしお二方のことは全力で守りますゆえ、ご安心下さい」

 エルフェリスとゲイル司祭を先導し、一際大きな扉の前で立ち止まると、リーディアは一言それだけを告げて静かに扉に手を掛けた。

 ギィ……というきしんだ音とともに開かれた扉の向こうには、限りなく明るくて限りなく優美な空間が広がっていた。その部屋全体が蝋燭ろうそくのやわらかな光に包まれて、神々しいまでの暖かささえ感じる。

 常々エルフェリスらが暮らすあの教会ですら、ここまでの温もりは再現できないだろう。ヴァンパイアの住まう居城であるはずなのに、ここには妙な居心地の良さがあった。

「お二方のお席はあちらとなります」

 案内された先は、細長いテーブルの上座。テーブルの上には無数の燭台しょくだいと、庭園に咲いていた白い薔薇。ゴールドのレースで縁取りされた深紅のテーブルクロスに、薔薇の白さが良く映える。

 促されるまま装飾豊かな椅子に腰掛けて、改めて室内を見回したエルフェリスは思わず感嘆の溜め息を吐いた。

 見上げた天井一面が一枚の絵画となっていたのだ。その絵も限りなく優雅で優美。美しい泉のほとりで美しい娘が静かに横たわる様子を描いたその絵画は、幼い頃、ゲイル司祭に連れられて訪れたどこかの王宮のそれすらも霞んでしまうほどに素晴らしかった。あの王宮の内装は確か世界で一番美しいと評価されていたはずだが、世の中にはまだまだ知らない世界が広がっているのだと痛感する。

「びっくりしただろう? エルフェリス」

 だから司祭が楽しそうな顔をしてこちらを見ていたことにさえエルフェリスは気付かなかった。

 ――感動だ。

 驚きを通り越して、感動。この瞳から脳へと伝わる伝達器官がおかしくなってしまったのではないかと疑いたくなるほどに。

 感嘆に目を見開くエルフェリスを、赤く染まった瞳を細めたリーディアも見つめる中、司祭はなおも続けた。

「私も初めてここへ来た時はそうだった。そうやって言葉にならない驚きに戸惑ったものだ。私もこの天井の絵画は初めて見るけれど、いつ来ても、本当にこの城は美しくて素晴らしい」

 懐かしそうに目を細めながら、ぐるりと辺りを見回して司祭が溜め息を漏らした。彼の言う通り、今の気持ちをうまく言葉にできないエルフェリスはただ黙って頷くことしかできなかった。

 ――シードヴァンパイア。

 闇に属していながら、これほどまでに美しい世界を造り上げる魔性の者たち。神や太陽にその存在を否定されてもなお、漆黒の闇の中、華麗な世界を追求する彼らとは一体どんな人物なのだろう。

 エルフェリスの彼らに対する期待は否が応にも膨らむばかりだ。

 ――止めて。
 誰か止めて。
 闇に惹き込まれてしまう。

 複雑に絡み合う感情がにわかにエルフェリスの中で暴れだして止まらない。エルフェリスは人知れず目を閉じると、テーブルの下で組んだ両手をしっかりと握りしめた。

 そんな中、物々しい足音とともにこの広間の扉を開ける者がいた。すでに広間にいたエルフェリス一行の視線は否応にもその者に集中する。

 男だった。

 透けるような白肌に青い瞳、だが、片目は真っ赤に染まっている。人形のような美しい顔を不機嫌そうに歪めたその男は、一通りその場にいた者を見回すと、恐らくは彼の為に用意されたのであろう端の席、エルフェリスや司祭とは反対側に位置する末席に腰を下ろした。そして大きな溜め息の後、一言も発することなくその目を閉じる。

「ヘヴンリーだ。やつが急進派を取り仕切っているハイブリッドだよ」

 エルフェリスの隣に掛けていた司祭がそっと耳打ちしてくる。

 ヘヴンリー?

 エルフェリスは視線を男に固定したままそっと眉をひそめた。

 そういえば何度かその名は聞かされたことがある。かなり古くから生きているハイブリッドの一人で、確か片親は歴史に名を残すようなシードだったはずだ。

 並み居るシードを凌駕りょうがするほどの抜群の人望と順応力で、常に時代の最先端を生き抜いてきたと言われる男。そんな男がよりにもよって過激派を取り仕切っているのでは、さぞやシードらも手を焼いているのだろう。

 興味深く見つめるエルフェリスの視線に気が付いたのか、ヘヴンリーはゆっくり目を開けると、こちらを向いて微かに口の端を吊り上げた。そして再び目を閉じる。

 溢れんばかりの余裕を見せ付けられたような気がして、エルフェリスはなおもその動向を伺うように男の顔から眼を逸らさずに思案を巡らせた。

 なるほど。

 ヘヴンリーというハイブリッドは、そんじょそこらのハイブリッドとは一つも二つも違うようだ。長き時代を生きてきただけあって、すでにハイブリッドという枠を超えた存在になりつつあるのかもしれない。

 所詮はハイブリッドと見下す者もいるだろう。だがあの瞳は脅威だ、とエルフェリスの勘がとっさにそう叫んでいた。
 
一度解き放たれたカリスマは、次から次へと人を呼ぶ。人を惹き付ける。だが、あの瞳は……。

 その時再び辺りに足音が響き渡った。ヘヴンリーもリーディアも改めて姿勢を正したところを見ると、ようやくお出ましになるらしい。待ちに待ったシードヴァンパイアたちが。

 ごくりと唾を飲み込んで、エルフェリスも彼らに倣ってすっと背筋を伸ばすと、急にうるさく胸を打ち始めた心臓に小さく舌打ちをした。

 この時を待っていたのだ。怯むわけにはいかないと自分自身を叱咤しったする。

 様々な想いが交錯する中、重苦しく軋んだ音を伴って開いた扉から現れたのは、黒い装束に身を包んだ三人の青年だった。

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