不思議な組み合わせの訪問を受けて、初めロイズハルトは呆気にとられたような表情で眉をひそめた。そんなロイズハルトを半ば押し込む形で部屋へと入った二人は、彼の逆鱗に触れないうちにさっさと本題を切り出した。
そして冒頭のやり取りへと繋がるわけなのだが……。
部屋の主であるロイズハルトは頑なに拒否するだけで、なかなか承諾させるには時間が掛かりそうだった。
理由は無く、ただ「ダメだ」の一点張り。シードの城に人間がいたら、やはり何かまずいことでもあるのかと疑いたくなるほどだ。
「共存の盟約を実行するなら、やっぱお互いに分かり合わないと! な、エルフェリス」
ウィンクで目配せするデューンヴァイスに合わせて、エルフェリスは壊れた人形のように何度も何度も頷いた。
「そうそう! それにドールといえども人間だし! 一度ドールの実態を調査してみたかったというか……。 ね!」
「そうそうそう!」
それから心にも無い言葉をとりあえず並べて、デューンヴァイスに頷かせる。この作戦を繰り返せば、いかにロイズハルトといえどもいずれは折れるだろうと踏んでいた。
が。
こちらのハードルは高すぎた。
しばらく粘ってみたものの、長い根気勝負で完全にロイズハルトに完敗したエルフェリスとデューンヴァイスは、リベンジの策を練りつつ城内の回廊をあてもなく歩いていた。ヴァンパイアが活動すべき夜であるというのにやたらと静かで、並んで歩く二人の足音だけが鮮明に耳に響く。
デューンヴァイスはもうずっと押し黙ったまま、何か自分の考えに浸り込んでいるようだった。長く白い指先を唇に当て、目線は時おりどこかを彷徨っている。
隣を歩くエルフェリスの存在をすっかり忘れてしまっているのだろうか。それならそれで一向に構わなかったのだが、どうしても今、彼に聞いておきたいことがあったのを思い出す。
「ねえ、どうして私をここに置こうだなんて思ったの?」
ふいに立ち止まってそう声をかけた。
するとデューンヴァイスも少し進んだところで足を止め、ゆっくりと振り返る。そこにいつもの彼の軽さは無い。
「――お前に興味があるから」
そして躊躇うことなくそう言ってのけた。
私に、興味がある……?
「どういう意味?」
「そのまんま」
少年のように悪戯っぽく笑いながら、回廊のバルコニーへと出るデューンヴァイス。そしてその柵にもたれながら、わずかに欠け始めた月を見上げた。
エルフェリスも彼に続いてバルコニーへと足を踏み入れると、遠慮したのか、それとも警戒したのか、デューンヴァイスとは少しだけ距離を取って立ち止まった。
「お前は? お前は何でここに残ろうとする? シードに、……ヴァンプに囲まれるってことがどういうことか、お前も司祭も分かってるんだろ?」
月に照らされていっそう輝くセピアゴールドの瞳が、少し後ろに立つエルフェリスに向けられた。
その顔は先ほどまでの彼のそれとは違って、闇に生きるヴァンパイアの顔をしていた。夜空に浮き上がるような白い肌に、口元から覗く白い牙。
冷たいものがエルフェリスの背筋を伝って溶けていった。
「……人を捜しているの」
「人?」
「そう。何年も前にヴァンプに魅せられて消えた知り合いをね。……生きているのか死んでいるのか、それだけでもいいから知りたいの」
「ふーん」
エルフェリスの話をじっと聞いていたデューンヴァイスであったが、彼もまた、これまでのヴァンパイアたちと同じように、エルフェリスの淡い期待を潰す非情な一言を投げかけた。
「ヴァンプといってもいっぱいいるからなぁ……。不可能に近いぜ? わざわざ危険を冒してまですることなのか?」
「……うん」
「どうして?」
目の前で首を傾げるヴァンパイアは、一人相容れぬ魔物の住処へ身を投じようとしているエルフェリスを案じてくれているのだろうか。ここに残れと誘っておきながら矛盾しているようにも思ったが、垣間見えたデューンヴァイスの優しさにふと笑みが零れる。
不可能に近いのは初めから百も承知だ。だがまったく手掛かりが無いわけではない。エリーゼが追って行ったのは、ただのヴァンパイアではないのだから。
「シードに会ったって言ってた」
限りなく美しくて、限りなく誇り高いシードに。
「シード?」
「そう。デューン知らない? エリーゼって言う人間の娘」
どさくさに紛れてデューンヴァイスに尋ねてみたが、敢えてエリーゼがエルフェリスの実姉だということは伏せた。
そんなのは、今は不必要な情報だから。
「エリーゼ……エリーゼねぇ……」
自身のたてがみを軽く撫でながら、何度かその名を繰り返し呟いたデューンヴァイスだったが、彼もまたエリーゼの行方は知らなかったようだ。
その首がゆっくりと横に振られると同時に、エルフェリスはわずかに肩を落とした。
また一人、手掛かりから遠ざかってしまったと思って。
「珍しい名前じゃねぇし、あいにく俺は決まったヤツからしか血を分けてもらってないんだ。こう見えても人見知りでね」
そんなわけはないだろうと突っ込むことも忘れて、エルフェリスは思わず噴き出していた。
姉の情報を得られなかったことは残念だったが、デューンヴァイスが手当たり次第な吸血行為をしない人物だと知ることができて、なんだかほっとしていた。
ヴァンパイアは誰も彼もが人間を糧とし、襲い、殺す。それが遥か昔から信じられているエルフェリスたち人間世界の常識だ。
ドールを所有していようがいまいが、ヴァンパイアは新たな生き血を求めて夜の街を彷徨い、獲物を探す。その目に捕えられたら最後。物言わぬ屍と化すか、自らもヴァンパイアと化すか、それとも……。
とにかく人間としての人生を歩むことは諦めなくてはならなくなる選択肢しか与えられないのだ。
だから常に人々はヴァンパイアの影に怯えており、彼らとより距離を取った場所に暮らしたがる。人間の街がこの大地の隅で発展しているのも、そんな背景があってのことだった。
けれど実際にこうしてシードたちと接してみると、長い歴史の中で争いでしか交わってこなかったことから本質を知り得る機会もあまりなかったために、ほんの少しではあるが彼らに対して誤解があるのではないかと感じていた。
もちろんヴァンパイアが人の血を必要とする魔物であることは否定できない。けれども人間が思っているよりも、案外シードは常識的な生き物なのではないかと……。
「決まったヤツって、もちろんドールなんでしょ?」
「俺は……ドールは持たない主義でね」
エルフェリスの質問にも妖しく笑って言葉を濁すデューンヴァイス。そんな二人を薄れかけた月が照らしている。
「さて、もうすぐ夜明けだ。ヴァンプはさっさと退散するとしよう」
白んだ空に背を向けて、デューンヴァイスは一言「じゃあ、またな」と言い残して、光の差し込まない城内へと消えて行った。
一人取り残されたエルフェリスは、彼の後姿を見送った後再びバルコニーへ出て、そこで夜明けを迎えた。
ここから見上げる太陽は、不思議と少しだけ霞んで見えた。自分の村に降り注ぐそれとは違う……と。
それからデューンヴァイスに案内されてきた道を辿り部屋へと戻ると、ふかふかのベッドに身を沈めて眠りに就く。また“明日”を無事に迎えられることを祈りながら。
目を閉じる直前に、そう言えば司祭の姿が見当たらないことに気付いたが、おおかたどこかその辺りを散歩でもしているのだろう。
エルフェリスよりも司祭の方が何倍もこの城の歩き方を心得ているだろうし、自分でも一人で歩くことができるのだから大した心配も必要なさそうだ。そう思うや否や、エルフェリスはつかの間の眠りへと落ちていった。