【残018話】吸血人形ドール(2)

「よっ!」
「なんだ……、デューンか」

 長身の背を少し丸めて気さくに片手を上げる男の姿を認めると、エルフェリスは人知れずほっと胸を撫で下ろした。そこにいたのは誰でもない、エルフェリスがこの城に残るために一緒に奔走してくれたシードヴァンパイアの一人デューンヴァイスだった。

 あれからエルフェリスとデューンヴァイスは出会えば立ち話もするし、そのままどこかへ連れ立って出掛けるなど比較的同じ時間を過ごすこともしばしばあったためすっかりと打ち解けていた。

 彼が人を喰らうヴァンパイアであるのは重々承知してはいたものの、何かと気さくに声をかけてくるデューンヴァイスに対して、エルフェリスは自然と気を許してしまうようになっていたのだ。

 誰か一人でも、安心して接することのできる者が近くにいるといないでは、精神的にもかなり差が出る。もちろんエルフェリスも十分に理解はしていた。次の瞬間には彼の足元で冷たいむくろになっているかもしれない……と。

「がっかりすんなよ、エル。俺じゃない方が良かったか?」

 相変わらずの白い顔から白い歯を覗かせて、ニヤリと笑うデューンヴァイス。エルフェリスからすればデューンヴァイスで良かったに決まっている。他の見知らぬヴァンパイアに声なぞ掛けられていたら、答える間もなく光の速さで逃げ去っていただろう。

 そんな心境。

「デューンは? 部屋に戻らなくて良いの?」
「良いの良いの。俺には待ってるドールなんかいねぇし」

 デューンヴァイスはそう言うと、その場に屈んで形の良い鼻を薔薇の花房に近づけた。その拍子に花が揺れて、ふわりと甘い香りが立ち上る。

「まあ、そんなに余分な力は入れずに過ごせばいい。ロイズがリーディアを引き続き護衛として付けるって言ってたし、困ったことがあれば助けてもらえ。俺も助ける」
「なにそれ」

 デューンヴァイスの言葉に思わずそっけなく返答したエルフェリスは、余計な心配など無用だと言わんばかりに、けれどもバツの悪そうな表情を隠しきれずにさっと横を向いた。

 が、再び立ち上がったデューンヴァイスが背を丸めてエルフェリスの顔を覗き込む。そしてずいっとエルフェリスの瞳を射抜くように見つめると、余裕たっぷりの表情でふふんと鼻を鳴らした。

「びびってんだろ。いつもの威勢の良さがねぇぞ」
「う……うるさいなっ」

 痛いところを突かれて、エルフェリスは瞬間カッと頬を染めて叫んだ。

 ヘラヘラしているようでもデューンヴァイスはよく人を“視ている”。それはエルフェリスやゲイル司祭に限らず、常に自分の周囲にいる者すべてをよく観察しているのだ。会話や行動、仕草、目の動き。その一つ一つに、時おり何かを探るような空気をまとっている。

 気さくに人の心に入り込み、不審な動きを察知すればたちまち強大な敵へと変貌するのだろうか。

 やはりあまり隙を見せるようなことはできない男なのだと、エルフェリスは改めておのれ自身に警鐘けいしょうを鳴らした。

 しかし一方のデューンヴァイスは、いまだに顔を赤く染めたまま、それでも何か言いたげに自分を睨み付けているエルフェリスを楽しそうに眺めていた。

 デューンヴァイスからすればこの娘の発言は、想像の遥か斜め上をいくものが多くて退屈しない。聖職者など生真面目でお堅い人間ばかりでつまらないと思っていたが、この娘、エルフェリスは違った。

 まず第一に、いくら自分たちシードを葬り去ることのできる神聖魔法を習得した聖職者であったとしても、女の身で、しかも満足に護衛も付けることも許されない状況でヴァンパイアの城にやってくる神経がデューンヴァイスには信じられなかった。

 単純に考え無しなのか、命知らずなのか、とも思ったが、興味本位で近付いて話を聞いてみれば、行方不明になった人間を探していると言う。それだけの為にわざわざ危険を冒してまで三者会議に出向いてくる根性も見上げたものだと思ったが、その口から飛び出す言葉の数々はおおよそそれまでの司祭たちとはまるで異なり過激で、そして遠慮もない。

 デューンヴァイスが興味を持つまでに、それほど時間は掛からなかった。

 だから今も、えてエルフェリスの方から再び口を開くまで、その姿をじっと見つめてみることにした。劣勢に追い込まれて羞恥に頬を染めているエルフェリスからどんなセリフが飛び出すのか、楽しみで仕方がない。

 そしてついに、エルフェリスは沈黙とデューンヴァイスの視線に耐え切れなくなって、少しの躊躇ためらいを見せた後、静かに口を開いた。

「ねぇデューン」
「ん?」
「今までさあ、あんたのドールになりたいって言う人間、いなかったの?」
「ぷっ……」

 エルフェリスから言わせれば、この場を何とかしのぎたくて前々から不思議に思っていたことを口にしただけなのだ。けれどそれがまたデューンヴァイスにとってはおかしい。

「なに? 俺のドールになりたいの?」
「はっ? んなわけないでしょーがっ! ただ何であんただけドールを持たないのか知りたいの! 興味本位だよ、ただの興・味!」
「何だ、つまらん。エルならドールにしてやっても良かったのに」

 そう言うと、デューンヴァイスはいきなり真顔になって、ぬっと伸ばした手でエルフェリスの手首をがっしりと掴んだ。そしてその顔をさらにぐっと近付ける。

 急激に互いの息が触れ合うほどの距離まで縮められ、エルフェリスは思わずはっと息を飲んだ。

 目の前に、セピアゴールドの瞳が揺れている。

「な……なによ……」

 目を逸らしたいのに逸らせない。不思議な力に束縛されたように、エルフェリスはじっと固まってしまった。

「エル……」

 デューンヴァイスがエルフェリスの名を耳元で囁く。彼の熱い吐息が首筋をかすめていった。

 ……ヤバイ。
 私さっそく……殺される?

 そう思った途端、エルフェリスはすべてを後悔しながらぎゅっと目を閉じた。

「スカート破れてる」
「えっ!」

 デューンヴァイスの囁きに、エルフェリスは慌てて目を開けスカートの裾を摘むと、狼狽ろうばいしながら該当箇所の確認を始めた。薔薇の棘に引っ掛けたのか、右の上部から縦に大きく裂けていたスカートの穴から妙に際どく太ももの一部が覗いている。

「ぎゃーーっ」
「いいじゃん、そっちの方が色っぽいぜ」

 またもや顔を赤くして狼狽するエルフェリスに対して、デューンヴァイスが爆笑しながらフォローとも思える言葉を発したが、当のエルフェリスからすればそんなのフォローでも何でもない。

 何とか人目に付かないよう四苦八苦していると、一通り笑い転げたデューンヴァイスは目尻に溜まった涙を拭い、乱れた呼吸を整えながらも心底楽しげに呟いた。

「やっべー、やっぱおもしろい。褒美にドレスをやろう」

 何が褒美モノなのだかよく分からなかったが、デューンヴァイスはあわあわしているエルフェリスの身体をひょいと持ち上げると、まるで衣でも引っ掛けるかのように軽々とその逞しい肩に担ぎ上げてしまった。いきなり視界にデューンヴァイスの背中が広がったエルフェリスは更に何がなんだか分からない。

 おまけに。

「ちょっとっ! どこ触ってんのよ!」

 どさくさに紛れてデューンヴァイスの手が、外気と人目に曝されたエルフェリスの太ももに伸びてさわさわとうごめいた。

「わわわわ、ちょっとぉ! エロヴァンプッ」
「まーまーいいじゃん。ヴァンプはみんなエロいの! 気にすんな」

 肩の上で暴れるエルフェリスを押さえ付けるようにして足の感触を楽しみながら、デューンヴァイスは人知れずにやりと笑った。そしてそのままの状態で庭園をすり抜けると、「放せー! 降ろせ―!」と喚くエルフェリスの要求を無視して城内の衣装部屋へと向かった。

 途中、幾つも輝く鋭い光に気付きもせずに。

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