✚残035話 聖なる血の裁き(1)✚
道なき道をリーディアに手を引かれながら、一歩一歩を確かめるようエルフェリスは進んだ。
月も姿を隠す今夜は異様なほどに静かで、そして何より闇深い。先ほどに比べればだいぶ目も慣れてきたが、それでもやはり不自由さは拭いきれず、時おり地面から這い出す木の根に突っ掛かってはリーディアを心配させた。
城門を出てから、数十分くらいは経ったのだろうか。振り返った先に見えるものはうっそうと茂る木々ばかりで、あの白い薔薇の海にそびえ建つ煌びやかな城の姿はまったくと言っていいほど見えなくなっていた。見上げてみても、まるで空を覆い隠すように広がる木の葉に遮られて、星々を望むことすら阻まれている。
閉ざされた闇の中へ誘われているようだと、エルフェリスは感じていた。
しかしそれもほんのわずか。
気が付けば、二人の目の前にはゆらゆらと黒く揺らめく小さな泉が姿を現していた。
泉は楕円に似た形をしており、大きめの館がすっぽりと入るくらいの大きさで、ぐるっと一周するにしてもさほど時間を要することはないだろうとエルフェリスは思った。リーディアによると、ちょうど泉の中心辺りから水が滾々と湧き出しているのだそうだ。
そういえば同じような大きさ、形状の泉が故郷の村近くにもあったことを思い出して、エルフェリスは人知れず懐かしさに目を細める。
「ここが、ロイズ様が手紙の中で指定した泉ですわ。……でも……」
そこには誰の姿もなかった。
エルフェリスもリーディアもその様子を訝しげに思い、ぐるりと周囲を見回した。早く着きすぎた、ということはなさそうだったが、リーディアにいたっては懐から取り出した懐中時計に目を落としている。
「今何時?」
それを見て、エルフェリスは何気なく尋ねた。
「約束の時間は、少し回ってしまいましたわね」
対するリーディアは、静かに時を刻む懐中時計から顔を上げるとそう言った。少し、と言うのがどれくらいなのかは分からないが、痺れを切らして帰ってしまうような遅れではないはずだとエルフェリスも頷く。
「……誰もいないなんて……ただの悪戯? 冷やかしだったのかな?」
「う……ん。でもこんなところにわざわざ私たち二人を名指しで呼び出しておいて、単なる冷やかしだとは……」
「だよねぇ」
――変なの。
再び周りを見回して、エルフェリスは一人呟いた。
悪戯でないとしたら、向こうがひどく遅れているのだろうか。それともまさか、これは本当にロイズハルトが寄越した手紙だったのだろうか。
彼は今、火急の用事とやらでどこかへ出掛けている。その始末を付け次第戻るらしいが、もちろん日時などは不明だ。戻って来られないのだとしたら、この場に誰もいない事の説明は付く。
だが……。
自分の手の中にある魔法のワンドが、先ほどからわずかに熱を放っているのをエルフェリスは感じ取っていた。
見た目としては、何ら変化はない。けれど確実に、万が一に備えて少しずつエネルギーを蓄え始めているのは間違いなかった。
神聖魔法使いだけが所持を許される、銀製の聖なる杖。先端に拳大のクリスタルが嵌め込まれたワンドは、戦闘時には打撃用の武器としても使えるよう所有者の身長ほどの長さにまで伸びるようにできており、危険を察知すれば自動的にクリスタルへのエネルギー貯蓄を行って、所有者が動けなくなった場合は速やかに貯め込んだエネルギーを放出、所有者をある程度まで回復させるという奇跡を起こすと言われている。
これまでにも数回、エルフェリスはこのような杖の変化を感じたことがあった。ハイブリッドの群れに村が襲われるのは、一度や二度の事ではなかったからだ。
神聖魔法使いとして認められる前も、認められた後も、波のように押し寄せるハイブリッドたちを相手に何度も何度も死線をくぐり抜けてきた。怪我を負ったことだってある。殺されそうになったところをハンターたちに助けられたこともある。それでも今夜ほど、ワンドの急速なエネルギー上昇を感じたことはなかったように記憶している。
何かが起こる。
エルフェリスは湧き上がる不安と警戒の念を必死に抑え込もうと、ゆっくりと、そして大きく呼吸を繰り返した。
「リーディア。注意した方がいいみたい。……絶対何かあるよ」
意を決し、ギリッとワンドを握り直すと、エルフェリスは鋭く辺りを見回した。エルフェリスの忠告を受けて、リーディアもエルフェリスから少し離れたところで慎重に辺りの様子を観察し出した。
不自然なほどしんと静まり返る中、聞こえるのはエルフェリスとリーディアが立てる物音のみ。
だが微かに、明らかな異音が静寂を切り裂いた。
「リーディアッ!」
エルフェリスは慌ててリーディアを振り返り、高らかに声を上げた。それに気付いたリーディアは、とっさにエルフェリスの元へと駆け寄ろうとした。
しかしすぐにその足が止まる。
瞬き一つ。
エルフェリスとリーディアのほんのわずかな間を、突然姿を現した一人の男が立ち塞いでいた。