✚残059話 狂える月(2)✚
「癖で人を殺すような男なの? ……ルイって」
頭ではこの場から離れねばと分かっているのに、エルフェリスの中の好奇心がヘヴンリーの話を聞かせろと暴れ回る。
だからエルフェリスはあえて考えるのを止めて、ヘヴンリーに続きを話すよう促してしまっていた。興味に駆られて、本能的な警戒を後回しにしてしまったというわけだ。
それでもこのまま忘れることなどできないし、もやもやを引きずったままルイという男やシードたちと何もなかったような顔をして対面するという器用なことなどできるはずもない。
エルフェリスは腹を括った。
話に喰い付いてきたエルフェリスに満足したのか、いっそう深まった青い瞳をさらにエルフェリスに近付けるように、ヘヴンリーもまた身を沈めていたソファから身を乗り出す。
罠に掛かった獲物をじわじわと追い詰めるような顔をして。
「あの男にはな、発作的にドールを殺す癖があるんだ。それも興奮が最高潮まで高まった瞬間にな。だからヤツのドールは命を落とす確率がやたら高い。それがお気に入りとなればなるほど……な」
「……まさか……」
にわかには信じられない内容に、エルフェリスはただただ息を呑むのみだった。まるで何でもないことのように話すヘヴンリーが、別の世界の者に見える。
仮にも自分のドールを……いや、愛する者たちを……殺す?
発作的に?
どうしてそんなことを、そんな顔で話せるのか分からない。どうしてそんな風に笑っていられるのだろう。
彼にとって目障りなシードの話だから?
考えれば考えるほど、エルフェリスの思考の限界からは乖離していく。
しかしヘヴンリーの話は、そんなエルフェリスの心中に構わず進んでいく。
「女の悲鳴が明け方や昼に聞こえた時は、ほとんどルイが殺っちまった時だ。その度にヤツのベッドは灰に塗れ、その身体は血に塗れる」
「……でも……それなら何で誰も騒がないの? そんな事が起こっているのに……何で……」
「ここに暮らす者からすれば、日常茶飯事の一つにすぎないのさ。初めはその事実に恐れおののいても、すぐに慣れちまう。思えば恐ろしいところだぜ、ココは」
「……」
ヘヴンリーの言う言葉をすべて信用したわけではないが、そういえばいくつか思い当たることを以前レイフィールが言っていたように思う。
あれは確か、エリーゼについてシードの三人に尋ねた時だ。
エルフェリスの捜している者がルイのドールかもしれないとの話に至った時に、レイフィールは密かに「その話だけは間違いだと良いのに」といった発言をしていた。
ルイのお気に入りであれば命がどうとか……とも。
その先を塞いだのはロイズハルトであったが、あの後に続く内容がもしや今のヘヴンリーの話と繋がるのではないか。
そう思った瞬間に、エルフェリスの心臓は痛いくらいの伸縮を始めた。
今朝見たルイの傍らには、二つの灰の山があった。
女の悲鳴。灰の塊。
ドールとして死した者はヴァンパイア同様に灰となる。
その事実が、つま先から脳天まで一気に駆け上る。
……痛い……。
心臓が痛い。
掻きむしるように左胸を掴む。突き破りそうなほどに鼓動する心臓が、押し出すように、しばし忘れていた言葉を導き出す。
――エリーゼってルイのお気に入りのドールでしょ?
無邪気に笑うレイフィールの口からは、確かにそんな感じの言葉が放たれていたはずだ。
エリーゼ。ルイのお気に入り。ルイのお気に入りのドールは命を落とす確率が高い。
それはルイが……。
――ルイが、発作的にドールを殺すから……。
目の前が、一瞬にして真っ暗になった。
体全体が心臓になったかのようにエルフェリスを揺さぶる。
「すべての……ドールが殺されるわけじゃ、ないんでしょ……?」
ようやく絞り出した声は震えて、上手く伝えられない。それでもエルフェリスは縋るようにしてヘヴンリーを見上げた。
冷ややかな青い瞳に、不安と、ほんの少しの希望を湛えた自分の姿が映っている。
ヘヴンリーはしばらくの間、その目を逸らすことなくエルフェリスを見つめていた。何も言わずにずっと。
けれどその後、わずかに視線を外すとわざとらしく咳払いを一つして、そしてまたエルフェリスに向き直って言った。
「そりゃまぁな。毎晩毎晩てわけじゃねぇけど、数ヶ月に一度……くらいは」
「……そんなに……」
痛い。
……痛い。
エルフェリスの体が無意識に、前のめりに傾いていく。
けれどそれに気付かないエルフェリスはただただ、エリーゼというドールが無事なのだろうかということだけを気にしていた。
よもやすでに殺されてしまったなどということにはなっていないだろうかと心が騒ぎ、居ても立ってもいられなくなる。
「ねえ……エリーゼってドール……知ってる?」
気が付けば、口が勝手にそう動いていた。よりにもよってヘヴンリー相手に。
けれどこの際そんなことはどうでも良いと思った。
居城に常駐していないヘヴンリーが、たかだか他人のドールをいちいち把握しているわけないと思いながらも、エルフェリスはどこか冷静に、けれどもどうしようもなく期待してしまっていた。
「ああ……」
その問い掛けにヘヴンリーは即答を避け、エルフェリスから視線を外すと、その奥に広がる窓の外の空へと焦点を移す。
沈黙が、人工的な音を奪いながら広がっていく。
風が凪ぎ、鳥のさえずる声が次第に聴こえてくる。
知らないと言われることには慣れている。慣れているけれど、その口が開かれる瞬間はやはり期待してしまう自分がいることもエルフェリスはよく解っていた。
知らないと言われることは平気だ。慣れている。
だから……大丈夫。
ヘヴンリーに気付かれないように、そっと息を吸った。
「エリーゼ……」
ヘヴンリーの唇が、大切な姉の名を紡ぐ。
大丈夫。平気だ。
エルフェリスは静かに目を閉じた。
「ルイのお気に入りの女だろ? この城に出入りしてるヤツなら名前くらいは知っているさ。んで? その女が何?」
「え?」
思いも寄らぬ返答に、エルフェリスは反射的に閉じていた目を大きく見開いた。
それに対してヘヴンリーがひどく怪訝そうな顔でエルフェリスを見返してくる。
「いや、その……、そのドールはまだ生きているのかなって思って。ほら、すごいお気に入りだって聞いたから」
不審そうな色を湛えるヘヴンリーに怪しまれないよう、エルフェリスはとっさに思いついた嘘でそうかわしてみせた。
だがそれでは少し言い訳としては弱かったのだろう。訝しげに眉をひそめたまま、ヘヴンリーは何かを言いたげな表情で慎重にエルフェリスを観察している。
しかししばらくの後、ふっと息を吐くと、かすかに微笑んで再びソファに深く背を預けたヘヴンリーは、青く煌めく瞳をエルフェリスへ向けた。
「あの女はルイにとって特別だ。すべてのドールが殺されようとも、あの女だけは生き残るだろうよ」
「どうして?」
「どうしても。理由なんか分からない。が、俺はそう思ってる。あの女はなんつーか……他のドールとはちょっと違う気がする」
「……そっか。あんた結構詳しいんだね」
「だてに長きを生きてきたわけじゃないからな。おまけに配下を持つ身ゆえ、情報には自然と耳が向く。ま、それが良いことなのか悪いことなのかはいざ知らず……だがな」
そう言ってにやりと笑うヘヴンリーの言葉の端々には、彼の奥底に秘められた黒い思考が見え隠れしているようであった。
だからその感情に触れることで、すっかり忘却の彼方へと追いやられていた記憶を思い出したのかもしれない。
三者会議において、同じハイブリッドでありながら意見を違えるリーディアとヘヴンリーの関係を……。
「ねぇ……、ついでにもう一つ聞いてもいい?」
「何だ? 質問の多いヤツだな」
「別に答えなくたっていいよ。私が勝手に聞くだけだし」
そう言ったエルフェリスをヘヴンリーは興味深そうな顔つきで見つめていた。その口元が次第に吊り上がっていく。
「……言ってみろ。答えてやらなくもないぜ? 今日は気分が良い」
二人を隔てていたテーブルに頬杖をつく形で、再びその青い瞳を少しだけエルフェリスに近付けたヘヴンリーは、それまでも見せていた不敵な笑顔にさらなる傲慢さをも滲ませる。
そこには表の世界で生きられるような謙虚さや清廉さは一つも感じられないのに、どうしてか目を惹かれるものがあった。