【残063話】雨の夜の再会(2)

✚残063話 雨の夜の再会(2)✚

 それからしばらくして。

「いてー……」

 頬に赤いカエデの葉にも似た烙印らくいんを押されたデューンヴァイスとともにハイブリッドヴァンパイアやドールで賑わうロビーまで下りたエルフェリスは、その一角に置かれたソファを陣取ってひたすら熱い紅茶をすすっていた。

「デューンのバカッ! サイッテー!」

 グビグビと一杯飲み干すごとにそう吐き捨てては、ポットを乱暴に握り締め再びカップに注いで飲み干す。

 その後ろではデューンヴァイスが赤く腫れた頬をタオルで冷やしつつも、必死になってエルフェリスの機嫌を取っていた。

「エールー。そんな怒んなよ。あまりにもエルが可愛いからつい、さ! な、エルちゃん機嫌直して?」

 さっきからこんなセリフの繰り返し。

 その度にデューンヴァイスの頬の烙印らくいんが不自然に形を崩すのを横目に、エルフェリスの頬はどんどん膨れていくようだった。

 そんな風に笑ったって、どんなに魅力的な言葉を掛けられたって、……許してなんかやらない。

「つい、であんなこと言うなバカーッ! だいたいさ! 朝あんな事があったばっかなのにどうしてそんなに普通なの? 私は眠れないくらい怖くて慌てたってのにさ!」

 まったくどうなってるんだか本当に混乱する、とエルフェリスはますます腹を立てる一方だった。

 やっぱりヴァンパイアの考える事なんて人間には理解できない。そんな風に思ってしまったエルフェリスの口からは、怒りに任せて今朝の出来事が本音として零れ落ちてしまった。

 はっとして口をつぐむも時すでに遅し。

 ヤバイと思った時にはもう、その目に不穏な色をたたえるデューンヴァイスによって手首を拘束されていた。

 さっと血の気の引く感覚に、身体が小刻みに震え出す。

 けれど奥歯にぐっと力を込めると、ここで尻込みしたらけだ、あくまでも強気を保つのだと自分に言い聞かせた。

 散々言いたいことを言うだけ言って、その挙句に口が滑って窮地きゅうちに陥っているだなんてかっこ悪すぎて情けない。

 けれど、今エルフェリスに向けられているデューンヴァイスの視線も、手首を握り締めるその力の強さも、エルフェリスの自我じがを崩すには十分なくらいに怖くて、脅威きょういでしかなかった。

 努力もむなしく、瞳に涙がにじむ。

 そんなエルフェリスの姿を誰かに見られてはまずいとでも思ったのだろうか。デューンヴァイスはさりげなく周囲からエルフェリスを隠すように立ち位置を変えると、エルフェリスの身体を抱き寄せて、そして耳元でささやいた。

おびえなくていいから……ちょっと来い。エル」

 そしてそのまま強引に人気の無い所まで連れ出される。

 途中デューンヴァイスはすれ違ったハイブリッドの一人に命じて、何やら液体の入ったグラスを二つ持って来させると、それを片手で器用に受け取った。

 そしてそのまま隅の方にポツンと置かれたソファのところまで歩くと、エルフェリスにグラスの一つを手渡して「とりあえずそれ飲んで落ち着け」と言いながら、そこへ座るよう命じた。

 言われるままおずおずと従うエルフェリスではあったが、完全に警戒モードに入ってしまった状態ではどうしてもそれを口にする気にはなれず、グラスの中でゆらゆらと揺れる淡色の液体をただただじっと見つめていた。

 それを見下ろすデューンヴァイスからは、大きな溜め息が漏れてくる。

「はー。……参ったな……」

 そしてそれだけを呟くと、デューンヴァイスもまたエルフェリスの隣にどっかりと腰を下ろして、そして大きな片手でその顔を覆った。

 それから再び大きく息を吐く。それすらもエルフェリスの恐怖をあおるには十分だった。

 デューンヴァイスの顔がこちらにゆっくりと向けられる。

 身体が一瞬、最高に強張こわばった。けれど。

「お前誰かに何か吹き込まれただろ? もしかして……ヘヴンリーか?」

 その手でもてあそんでいたグラスの中身を一気にあおってから、デューンヴァイスは至極しごく優しい声でそう尋ねる。

 それでもエルフェリスはじっとうつむき固まったまま、つま先を睨み付けて無言を貫き通した。安易にうなずいて、デューンヴァイスが豹変ひょうへんしたりしないかと、どこかで勘繰かんぐっていたのだろう。

 強情に口をつぐむエルフェリスに対して、隣から聞こえてくるのはやはり溜め息ばかり。

 だが長い沈黙の中、ふいに様子が気になってちらりとデューンヴァイスの顔を盗み見すれば、彼もまた横目でエルフェリスをうかがっていた。

 はからずも視線が交差する。

 するとふっとデューンヴァイスの口元から笑みが零れた。

 そしてゆっくりと伸ばされた手が、わしわしとエルフェリスの頭を撫で回す。

 そしてまた溜め息。

「もしかして、あんなん見ちまったから殺されるとでも思ったのか?」

 呆れ顔で笑うデューンヴァイスの様子を一瞥いちべつした後、エルフェリスはようやく口を開く気になって、素直にこくりとうなずいた。

「……思った」

 そして短くそれだけを告げる。

 するとデューンヴァイスは突然白い顔を真っ赤に紅潮こうちょうさせるとげらげら笑い出し、またエルフェリスの髪をがしがしき乱した。

「はは。だから俺はお前が好きなんだよ、エル。いやー、マジ可愛いなお前。サイコー!」

 屈託くったくのない笑顔と言葉を向けられて、少しだけ肩の力が抜けていくのを感じた。

 けれどすぐに彼のセリフの意味を理解して、顔がカッと熱くなる。

「や……何言ってんのよデューン! からかわないでよねッ」

 楽しそうに腹を抱えて笑い続けるデューンヴァイスを睨み付けながら、エルフェリスはぷいっとそっぽを向いた。しかしその行動すらもデューンヴァイスの爆笑をさらに誘うだけの結果となる。

 何を言っても、何をやっても、デューンヴァイスはげらげらと笑い続けるだけだった。

 そんな状況に少しだけいら立ちを覚え始めた頃、ようやく笑いの収まったデューンヴァイスが指先で目元を拭いながら、エルフェリスの肩に手を掛けてきた。そして言う。

「はは、悪い悪い。でも俺はそんなエルが好きなんだよ。言っとくけどからかってなんかないからな!」

 エルフェリスの視線と同じ高さにあるデューンヴァイスの輝く瞳が三日月のように細められたかと思うと、また開かれる。

 セピアゴールドの双眸そうぼうには、確かにエルフェリスの姿が映っていた。

 な……何言ってんだろ……ホントに。

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