✝ 残 ✝ 077話 ヴィーダの灯火(2)【恋愛ダークファンタジー小説】

✚残077話 ヴィーダの灯火(2)✚

 それからまもなくして、目的の地に辿り着いたのか、急に乗っていた馬車の速度が緩やかになった。

 そして完全に止まるのを待って、御者ぎょしゃの男がドアを開ける。

「ロイズ様、おおせの場所に到着いたしましたが」

 うやうやしく頭を下げたままロイズハルトに対してそう告げた男にエルフェリスは見覚えがあった。

 あの日、村を発ったあの夜に、エルフェリスとゲイル司祭を迎えに来たハイブリッドと同じ男だ。

 あの夜と同じく黒いマントに黒のフードを被ってはいたが、その顔を上げた拍子にちらりと覗かせた赤い瞳と、そしてシードと並んでも何ら遜色そんしょくのない美しい姿は、見る者を惹き付けてやまないだろう。

 ふとした弾みで目が合う度に控えめに微笑むその男があまりにも美しくて、エルフェリスは幾度も目をらしてしまった。それを見た男は、いつもエルフェリスの視界の端で苦笑している。

 そうこうしている内に、エルフェリスの前をするりとすり抜けたロイズハルトが先陣を切って外へと降り立った。

 風に、ロイズハルトの髪が踊る。

 周囲をゆっくり見回して、そしてそれからかたわらに控える御者の男に目を向けたロイズハルトの顔は、いつになく真剣そのものだった。

「ご苦労だった、デマンド。ここから先は歩いて行くゆえ、お前はいつもの所で待機していてくれ。万が一の時はすぐに城へ戻るんだ。身の危険を感じた時もだ。いいな?」
「は。御意ぎょいにございます」

 デマンドと呼ばれたその男はロイズハルトに向かって再び一礼すると、エルフェリスとルイを馬車から降ろし、そしてそれから「お気をつけて」とだけ残して黒塗りの馬車とともに闇夜の彼方へと消えて行った。

 吹き抜ける風は冷たく、この地に降り立ったエルフェリスたちを拒むかのごとく時おり激しく吹き荒れている。

 そこは小高い丘の上だった。

 あたり一面をぐるりと見渡すには都合良く、かといって周囲からこの場が丸見えなわけでもなく、適度に身を隠せる岩などもゴロゴロしており、身隠しや偵察などにはうってつけの場所と思えた。

 デマンドと呼ばれたハイブリッドの御者は先ほど、ロイズハルトの言い付けでこの場所を目的の地としたと言っていた。

 彼らは恐らく、人間の領域の隅々までを把握し、どこならより優位に立てる場所であるかを知り尽くした上で行動しているのだろう。

 そんなことを思いながらぐるりと辺りを見渡せば、少し離れた眼下にぼやーっと浮かび上がる幾つかの灯りが確認できた。

「ヴィーダだ」

 灯りを認めて動きを止めたエルフェリスの隣で、ロイズハルトがそっと呟く。

「……ヴィーダ……」

 そしてその名をエルフェリスはゆっくりと復唱した。

 言いようの無い空気が喉元をかすめていった。

 ヴィーダの名がこんなにも重く、そしてその地がこんなにも遠く感じる日が来るなんて思ってもみなかった。

 それにこの地がヴィーダと言う名で呼ばれることも、もう最後かもしれない。廃墟と化し、人の住まわなくなった土地は、しばらく悲劇の象徴として話題の中心となるだろう。

 けれどほんのわずかな月日を経れば、それはあっという間に忘れ去られて消えていく。

 キャンドルのともしびのように。

 存在し続けなければ人の記憶には残らないことを、エルフェリスは誰よりも思い知っていた。

 そう思うと、心の中で例えようのない感情が湧き上がっては消えていく。

「……静かですね」

 それまでずっと口をつぐんでいたルイがぽつっと呟いた言葉でさえ異様に響き渡るほど、辺りはしんと静まり返っていた。

 まるでこの地で異変など何も起こってはいないのだといいたげなほど静かに。

「休戦か……それとも手遅れだったのか。どちらにせよ早いところヴィーダに入ってしまおう。夜が明けたらますますヴァンパイアわれわれにとっては不利になる」

 眉間に深い皺をたたえたロイズハルトは、向かい立つエルフェリスとルイの顔を交互に見比べながらそう言うと、わずかな手荷物の中から漆黒のマントを取り出して、それをひらりと身にまとった。

 するとルイもまた同じマントに身を包む。

「やれやれ、面倒ですが仕方ありませんね。不穏の芽は早いところ摘み取ってしまいましょう。花開いてしまったら不愉快極まりないですからね」

 形を取り戻し始めた月を背に、ルイは大きく溜め息を吐くと、何を思ったか閉じた瞼の上にその両手を宛がった。そして小さな声で二言三言呪文のような言葉を呟く。

「?」

 こんな時に一体何をし始めたのだろうとエルフェリスがいぶかしげに首をかしげていると、ゆっくりと外されたルイの両手の奥から美しい二つの瞳が再び解き放たれた。

 けれどそこにあったのは、いつものルイのそれではない。

「どうしてっ?」

 驚いて口をぱくぱく開けているエルフェリスの様子に、ルイは悪戯いたずらに目を細めると「どうやら成功のようですね」と人の悪い笑みを浮かべた。

「せ……成功って……何それっ」

 よくよく見れば、いつの間にかその変化はロイズハルトにも現れている。

 これもまた彼らの有する魔力の成せる業なのだろうか。一瞬の後に彼らの瞳の色が、いつもとはまったく別の色へと変わっていたのだ。

 ロイズハルトの深いダークアメジストの瞳は鮮やかな緑に、ルイの黒曜石の瞳はわずかに茶色を帯びたオレンジにそれぞれ変化を遂げていた。そしてさらに両者とも、片目はハイブリッドのごとく真っ赤に染まっている。

「フェイクですよ。我々も容易に正体を見られるわけにはいかないのでね。ヴィーダに入る前にはフードにフェイスマスクも着用させていただきますよ。露出しているのはこの目だけですから、くれぐれもはぐれないようにして下さいね?」

 ヴィーダへの道を下りながらルイは軽やかに大地を蹴ると、まるで風になったかのようにあっという間に景色の中へと消えて行った。

「えっ! ちょ……ちょっと待って!」

 あまりの速さに、すでに取り残されたエルフェリスも何とか追い付こうと駆け出す。

 けれどすぐに後ろから手首を掴まれて、次の瞬間にはふわりと身体が宙に浮いていた。

「わわっ」

 突然視界いっぱいに広がる夜空。

 驚いて辺りを見回せば、息も触れそうなほどすぐ近くにロイズハルトの顔があった。

「わぁあっ」
「ちっ。ルイのやつ、何だかんだ言っても楽しんでるじゃないか。……つかまっていろ、エル。お前の足じゃ、ルイには到底追い付けない」

 驚き狼狽ろうばいするエルフェリスをよそにロイズハルトはそう言うと、抱え上げたエルフェリスの身体をもう一度抱き直して、宙に投げ出したままの腕を彼の首にしっかりと回すよう指示を出した。

 もう何が起こっているのか解らないエルフェリスは、ただひたすらに頷いて彼の言う通りにする。

 それからちらりと彼を一瞥いちべつすると、ロイズハルトは一言「行くぞ」と呟いて、緑と赤の瞳を遥か彼方へと固定した。

 黒に染まった風景の中を疾風しっぷうのごとく駆け抜けて行く。

 ヴィーダはすぐそこで、救いの手を待ち望んでいる。

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