✚残078話 一人の夜に(1)✚
その臭いは何とも言えず強烈で、自然の物だけが生み出したとは到底思えなかった。
焼け焦げた硝煙の臭いは、人工的な兵器が投入されたであろうことをすぐさま連想させる。
夜空を薄汚く覆うあの灰燼は、焼き尽くされた異形の者たちのなれの果てだろうか。
そこはまるで地獄への入り口のように、いまだ燻り続ける炎が所々を赤く染めていた。
「……ひどい」
辛うじて搾り出せた言葉はたった一言だけだった。予想以上の惨状に、それ以上言葉が続かない。
ヴィーダは滅びた。
百聞は一見にしかず、とはよく言ったものだ。見ると聞くとではこんなにも実感も印象も異なる。
ヴィーダは滅びた。
その事実がこの場を目の当たりにしたことによって、より一層の重みを増してエルフェリスの肩に圧し掛かるようだった。
そして同時に計り知れない不安と怒りに足が震える。
ここにはもう、生命の息吹も感じることができない。あるのは焼け焦げた大地と、瓦礫の山だけだった。
自衛の為に築かれたであろう城塞の壁も無残に崩れ落ち、もはや何の役目も果たしてはいなかった。
「……これはまた……随分と派手にやってくれたものですね」
すぐ隣で同じようにヴィーダの様子を眺めていたルイも、赤とオレンジに染まった瞳を忌々しげに歪ませて、じっと村の方を睨み付けるように声を震わせた。
馬車を降り、ヴィーダへと辿り着いた三人は、まずは偵察も兼ねて少し離れた木々の上からヴィーダを見下ろしていた。
人間のエルフェリスからすればかなりの高所でありながらもあまり恐怖を感じずに済んだのは、複雑に生い茂る枝葉のお陰でもあった。
風に揺られても足場はしっかりと確保されていたし、なによりもヴィーダの方からも目隠しとなるよう計算された場所を選んでいるようで、こちらからは見えるものも、向こう側からは見えないようであった。
普段からハンターたちと接点があったエルフェリスの知識によれば、一ヶ所に留まって集団で行動する時のハンターにはそれぞれに役割が与えられ、それは大きく四つに分かれているのだという。
ひとつは斥候。
隠密行動を得意とするハンターを数人外部へと放ち、地理や敵の状況を探らせる、いわば偵察部隊であった。
次に遊撃。
こちらはデストロイが最も得意とするもので、要するにどの役割に就いたとしても、ヴァンパイアを発見し、それを標的と判断したのならば個人の裁量でそのまま戦闘へ持ち込んでも良いとされていた。
さらにひとつは補給。
こちらは主に複数人での戦闘を得意とするハンターたちが任命され、集団で移動するついでに拠点への食糧や武器道具などの補給を同時に担う、重要な役割でもあった。
そして最後のひとつは防衛。
こちらは拠点に留まり、迎え討つための軍略に長けた者たちが主に任命された。
それらすべての目を掻い潜り行動しなければならない状況において、こちらの人数が三人だけというのはやはり数でも大幅に――エルフェリスという戦力外もいる手前、不利であることは否めなかったが、それらすべてを短時間で考慮し、しかしながら敵の懐にさりげなく入り込んで適切な場所を選び、内情を探る。
やはりシードヴァンパイアという者たちは相当な切れ者ばかりなのだとエルフェリスは実感していた。
そんなことを思案していたエルフェリスの隣では、ルイが訝しげに眉をひそめていた。
「おかしいですね……先ほどから見掛けるのは人間ばかり。ハイブリッドたちはどうしたのでしょう……」
少し置いてからぽつりと呟いた彼の言葉に、エルフェリスははっとしてルイとロイズハルトを交互に見やったあと、再び視線をヴィーダへと走らせた。
確かに言われてみれば、ハイブリッドらしき者の姿が目に付かない。すでに撤退した後なのか、それともハンターたちを前に全滅したのか……。
いずれにしても村の中で今も争い合っている様子は感じられなかった。
人間であるエルフェリスにとって、人間とハイブリッドを見分ける唯一の方法が瞳の色で判別するという手段であったが、それはあくまでも夜間にのみ通用する手立てであって、朝を迎えてしまえば、たとえば建物の日の当たらない場所でハイブリッドに出くわしたとしても、それが人間なのかハイブリッドなのか容易に見極めることは難しい。
だが今はまだ暗黒が世界を支配している。
ゆえにハイブリッドたちの赤い瞳が、その存在を主張している時分でもあった。
それは不気味なまでの沈黙だった。
ロイズハルトもまた何か思うところがあったのだろう。頻繁に辺りを見回したり、一人であちらこちらの木に飛び移っては村内の様子をしきりに気にしている。
けれどもやはりハイブリッドたちの姿を認めることができず、奇怪な状況に首を傾げるのみだった。
「妙だな。休戦にしてもヴァンプらしき者は一人もいない。……だがヴァンプの気配はそこら中に残っている。……何だろう、この感じは……」
一通りの偵察を終えて戻ってきたロイズハルトは、なぜだか解らないといった顔で低く唸った。それに対してルイもロイズハルトに同調の意を表す。
「まったく気に喰わないですね。コケにされてるみたいで。これでは迂闊に行動できないじゃないですか。案外そこに狙いがあるのでは?」
「ふん。ハイブリッドたちが俺たちの動きをそこまで気にして行動していると思うか? そうだとしたら本当にバカにされているとしか思えないな」
「ふふ。解りませんよ? 相手は狡猾なあのヘヴンリーですからね。……さてどうしますかロイズ。このままここにいても夜が明ければ我々は身動きが取れなくなる。揃って灰になるのは嫌ですよ?」
「俺だって嫌だよ! せめて村の中に上手く入り込めれば内情を探れるものの、この姿ではさすがにリスクが大きいな。ここは少し待ってハイブリッドどもが動き出すのを待つしかないか……」
多少の苛立ちも隠すわけでもなく、ルイの問い掛けにもやや語調を乱して返答するロイズハルト。
そんな彼の姿にエルフェリスはふと、そこにある打開策を見出して一人頷いた。
彼らのために、そして自分のためにできること。
やがては人間のためになるかもしれないこと。
そんなの……簡単だ。
「じゃあ私が行ってくるよ」
真っ直ぐ村の入り口を見据えたままエルフェリスがそう告げると、案の定ひどく驚いた顔をして彼女を注目する二人がいた。
そしてすぐに何かを言いたげに口を開こうとするが、エルフェリスはそれを牽制する。
「私は人間だし、行動時間に制約ないし、人間の中に行くなら人間の方が良いでしょ?」
「ダメだ! どんな状態かも分からないのに一人で行かせられるわけないだろ! ハンターだっていきり立ってるかもしれないのに危険すぎる!」
「でもそれしかないよ。それにハンターは聖職者……特にヴァンパイアに対抗できる神聖魔法使いには絶対手を出したりしない。ロイズもルイも動けないなら私しかいないでしょ?」
元から白い顔をさらに白くして、エルフェリスの提案に異議を唱えるロイズハルトに、エルフェリスは溜め息を吐きながら説得を繰り返した。
「私の村にはハンターはいっぱいいたし、顔見知りもいるかもしれないじゃない?」
「……だが……しかし!」
「心配ないって。もたもたしてたら二人とも灰になっちゃうんだから、ここは私に任せて言うこと聞きなって!」
腑に落ちないと言いたげな目をしてエルフェリスを見つめるロイズハルトと、なぜか楽しそうに微笑んでいるルイを交互に見比べてから、エルフェリスは樹上ですくっと立ち上がった。
どんなに反対されても、もう心は決まった。
この状況で、斥候として動けるのはどう考えても自分しかいないのだ。
村内にハンターしかいないのならなおさら、ロイズハルトやルイをそのような中に不用意に放り込んで、自分は安全なところで待っているなんてことはできない。
一人離れて行動するのは正直怖い。
でも、よほど運が悪くない限り、聖職者である自分がハンターに殺されたりすることはないだろう。
だから、ここから先は自分が切り開く。
これ以上の無用な争いを避けるためにも。
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