✚残084話 異国の微笑(4)✚
エルフェリスはとにかく高まった気を落ち着けようと深呼吸を繰り返しながら、カイルの指示に従ってベッドの脇へと腰掛けた。続いて彼も隣に腰を下ろす。
窓から差し込む太陽の日差しを眺めながら、しばしの沈黙に身を投じた。
けれどもほどなくして、カイルの方から口火を切った。
「エルの質問に答える前に、僕の質問にも答えてくれるかい? 一つだけ……一つだけ、僕も聞きたい事があるんだ」
エルフェリスの肩に回したままだった腕を解いて、カイルはエルフェリスの正面に向き直ると、その顔を覗き込むようにしてそう尋ねてきた。
真摯なまでの銀の瞳に射抜かれる。
だからエルフェリスは無言でこくりと頷いた。
するとカイルは満足そうに微笑んで、エルフェリスの頭を何度か撫でた。優しく。
……ロイズハルトと同じ癖。
カイルの手に、ロイズハルトのそれを重ねながら、彼とルイはどうしただろうかと、ふと考えた。
何の連絡もしないまま、一晩明けてしまった。
彼らは無事に身を隠せているのだろうか、彼らの身に何事も起こっていないだろうか。
考えれば考えるほどに、彼らの身が案じられて仕方がない。
しかしすぐにカイルの疑問が投げ掛けられて、エルフェリスの意識は否応にもそちらへと逸らされてしまった。
「ねぇ、エル……。エルはどうしてアンデッドの事を知っていたんだい?」
口調はとても穏やかだったけれど、有無を言わさぬ強い光をその瞳から感じた。
自分から振った話だ。口を噤む気などさらさらなかったが、ある程度言葉を濁す必要はありそうだった。
カイルはヴァンパイアを狩るハンター。たいしたことない表現も、彼の前では或いは誤解を招いてしまうかもしれない。
「……実は……」
忘れもしないあの新月の夜の出来事を語るのは、言葉を選ばずとも容易なことではなかった。
思い出したくもない、忌まわしい記憶。
そんなエルフェリスの話をカイルは一つ一つ頷きながら、真剣な面持ちで聞いていた。
深夜の泉に呼び出されたこと、そこでハイブリッドの集団に襲われたこと、そしてその中にアンデッドが紛れ込んでいたこと。
あの日の記憶を辿って、なるべく簡潔に要点のみを掻い摘んでカイルに伝える。
ただ一つ、その一件にロイズハルトのドールが絡んでいた事実を除いて。
話に一段落ついた後、カイルはしばし自分の考えに耽っているようだった。
彼なりに何か思うことがあったのかもしれないが、エルフェリスはあえて彼の心中を確かめるような真似はしなかった。変に探りを入れては逆に怪しまれてしまうかもしれない。
今は、エルフェリスはあくまでも中立の立場であるのだと形だけでも主張しておけば、それで良かった。
だからカイルの疑問にもある程度は答えた。
「ふむ……」
唸るような、溜め息のような、複雑な声を漏らしたカイルにも動揺したりしない。けれど心は複雑だった。
人間とヴァンパイアの狭間に立つことで、自分の存在が時に判らなくなる。聖職者である自分。ヴァンパイアと行動をともにする自分。
本当の自分は一体どちらなのだろう。
「……」
わからない。
そんなエルフェリスの隣では、カイルがまた一つ大きな溜め息を吐き出して、何かを振り切るかのように何度か頭を振っていた。
「……そうか。そんなことがあっただなんて……正直驚いたよ。だが死霊術か……。そんな大昔に消え去ったはずの魔術がいまだ存在しているなんてな」
固く組んでいた腕を解くと、カイルは厳しい表情のままそう呟いた。
その言葉にエルフェリスも唇を噛む。
アンデッドの存在は、……いや、アンデッドを作り出す死霊術の存在は、ギリギリの状態で保っているこの世界の均衡をさらに崩してしまう一因になりかねない。
あの日の夜に術師を探し出してさえいれば、このヴィーダが滅ぶことも恐らくはなかっただろう。
あの夜の失態が悔やまれてならない。
「……そしてその使い手も分からずじまいか……。実はねエル。こっちの村を襲ったアンデッドも、結局どこのどいつが仕掛けたものなのかは分からなかったんだよ。発生源だけは何とか突き止めたものの、そこに辿り着いた時にはもう術師と思われる者の姿はなかった。……いたのは無残な姿を曝す生贄のハイブリッドたちだけだった……」
声を震わせそう語るカイルの言葉に、エルフェリスは静かに目を閉じた。
燃え上がるオレンジ色の炎。迫り来る無限のアンデッドの群れ。二人のドールの惨劇。そして、孤独な薔薇の葬列……。
あの夜の出来事を、決して忘れたりはしない。
あの夜の空気を、あの日の冷たさを、忘れることなどできなかった。
風に揺れるドレス。とめどなく落ちて行く滝の流れ。
死霊術で呪われた身体は死してなお新たなアンデッドを生み出し、すべての血と骨を失うまでそれは止まらない。
あのような悲劇がこの世に存在すること自体忌々しいというのに、この短期間で二度も、それは現実となってエルフェリスの前に立ちはだかった。
今となってはどちらも、意図的に仕組まれていたとしか思えなかった。
このようなことが二度もあっていいわけがない。偶然なんて言葉では済ませられない。
少なくともエルフェリスの周りに……いや、シードの周りに、と言った方が正しいのかもしれないが、死霊使いが潜んでいるのは間違いなさそうだとエルフェリスは思案した。
これは或いは、ただの序章に過ぎないのかもしれない。
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