十 残 十087話 揺らぐ心(2)【恋愛ダークファンタジー小説】

✚残087話 揺らぐ心(2)✚

 思った通り、中に入って来たのはご機嫌な笑顔に包まれたカイル。

 きらめきを放っていた銀のリングが、エルフェリスの落胆を表すかのように急速に色を失っていった。

「ただいま、エル。どうしたんだい? 浮かない顔して」

 エルフェリスの気など知るはずもないカイルは、一際明るい笑顔をエルフェリスに向けた後、左肩に背負っていた白い袋をどさっと床に下ろした。

 そんな彼を非難しても仕方ないことは重々分かっていたけれど、それでもエルフェリスの心の中は複雑な思いで一杯になる。

 絶好の脱出の機会をみすみす逃してしまったことに。悔やんでも、もう遅いことに。

 上手く笑顔を作れない。

 けれどずっとこんな想いを抱えて、沈黙していても先へは進めないと意を決して口を開いた。

「……あの……さ、ワンド知らない? 私のワンド」
「ワンド?」
「そう、教会からもらった銀のワンド。……失くしちゃったみたいだから探しに行きたいんだけど……」

 それさえあれば今頃はロイズハルトたちの元へと急いでいたはずなのに、と秘かに肩を落としながらも、何でもないふりを装って、エルフェリスは探し物をするようにきょろきょろと室内をうろうろし始める。

 するとカイルはなぜかにっこり微笑むと、足元に置いた先ほどの手荷物の中をあさり始め、そして見つけ出したそれをエルフェリスの目の前に差し出して見せた。

「これでしょ?」
「あッ」

 カイルが取り出した物。

 それはまぎれもなく、探していたエルフェリスのワンドであった。

 どうしてこれをカイルが持っているのだといぶかしげに思いながらも、目の前に差し出されたそれに手を伸ばす。

 そんなエルフェリスの様子を感じ取ったのか、カイルは小さく笑みを零すと、ワンドを持っていた経緯を説明するかのごとくゆっくりと語り出した。

「エルの襲われたっていう話がどうも引っ掛かったんで、見回りも兼ねて村を一周してきたんだ。そしたら見つけたんだよ」
「どこで?」
「この村でも唯一被害の少なかった住居ら辺だよ。……といってももう誰も住んじゃいないけどね。……もしかして……エルが襲われたって言ってた場所かい?」 

 カイルのその言葉を、エルフェリスはワンドを握り締めたままじっと聞いていた。

 唯一被害の少なかった住居跡。確かにどこかの建物に引きずり込まれたことまでははっきりと覚えている。

 あの時、あの場で抵抗した際に外れて落としてしまったのだろうか。

 それにしてはしっかりとホルダーで自分の体に固定していたはずなのに……。

 少々の疑念を抱かないわけではなかったが、あの時点からここで目覚めるまでの記憶が無いからには何があっても不思議ではないのだと納得するしかなかった。

「うん……多分そう。ありがとう。……ごめんなさい」

 まったくここへ来てからというもの、不可解なことばかりだと肩を落としながらふと呟く。

 するとなぜだかカイルはその言葉を聞いた途端にぷっと噴き出した。

「ちょっと! 何がおかしいの!」

 その顔に似つかわしくないほどにゲラゲラと笑い出したカイルを相手に、理由も分からないままエルフェリスが抗議の声を上げると、カイルはよりいっそう声を張り上げて笑った。

 そのさまは、まるでデューンヴァイスのそれを連想させる。

「そこまで笑うようなこと何も言ってないし」

 なおも笑い続けるカイルに向けて若干口を尖らせて抗議すれば、カイルは目尻を拭いながら「ごめんごめん」と何度か咳き込んだ。

「だって、あまりにもエルがしおらしいからびっくりしちゃったんだよ。昔はそんな時もあったなぁと思ったら急におかしくなってね」
「何よそれ。それじゃまるで今の私にはしおらしさの欠片かけらも無いみたいじゃない!」

 自分だって一応年頃の娘だ。普段は精一杯虚勢を張っていても、時には弱気になったりすることもある。

 それなのに。

「あはは、それでこそエルだよ。あー、おかしい!」

 エルフェリスの必死の反論は、カイルのさらなる笑いを誘うだけで終わった。

 ひいひいと息も絶え絶えに、上手く呼吸もできないまま笑うカイルを尻目に、エルフェリスはといえばほとほと呆れて溜め息を繰り返していた。

 そんなに自分は変わってしまったのだろうかと、声を大にして言いたくなる。

 私は何も変わっていない。……とは言い切れないけれど。

 でも今はそんなことに構っている場合ではなくて、自分にはやるべきことがあった。

 デストロイが戻ってくる前までに、なんとしてもこの村を出なければならない。このワンドさえ手元に戻ってくれば、もはや準備は整ったのと同じことだ。

 後は隙を見て脱出するだけなのだが……。

 カイルはなかなかその隙すら見せてはくれなかった。

 エルフェリスが「ちょっと出掛けようかな」と言えば「心配だから付いて行くよ」と言うし、「下のバーで休憩してこようかな」と言えば「奇遇だね、僕も行こうと思ってたんだ」と言って付いてくる。

 それは本当に監視されているかのようで、ロイズハルトやルイと連絡を取り合う暇さえ与えてはくれなかった。

 美しい顔で微笑むカイルが、次第に憎らしくなってくる。

 そうこうしているうちに日は沈み、また再びの夜がやってこようとしていた。

 久しぶりに見る人間の領域での日没はことのほか美しく、ひどく懐かしい感じがした。

 本当ならば今頃はロイズハルトたちの元に戻っていたはずなのに、どうしてこんなことになってしまったのだろうと気が滅入めいる思いであったが、今日の役目を終え沈みゆく太陽を見ていると、もう少しだけ足掻あがいてみようと勇気が湧いてくるようだった。

 初めから、ここで死する覚悟もして来たのだ。

 何かあった時は見捨ててくれて良いと、彼らにはそう告げてきた。

 だからきっとこのまま連絡が取れなくなれば、エルフェリスのことなど気にせずに居城へと引き上げて行くのだろう。

 むしろ今はそうしてくれることを祈るばかりだった。

 デストロイとカイル。

 二人にその存在が知られてしまえば、ロイズハルトもルイも命を落としてしまうかもしれない。

 この不安定な状況下で二人もシードがいなくなってしまったら、ハイブリッドたちの動きはいっそう激しさを増すだろう。

 これまで何とか保ってきた均衡きんこうも何もかも崩れて、世界は大混乱の時代へと逆戻りするかもしれない。

 でも、エルフェリスが本当に恐れているのはそんなことではなかった。

 自分はただ……。

 ただ一人の人間として、ロイズハルトを失うことが怖かった。

 彼が自分の前から消えてしまうのを想像するだけで心が凍りつく。

 身体が震える。

 ――バカだ、私。

 どうしてこんな時に気付いてしまうのだろう。どうしてこんな時に。

 どうしようもないのに。今さら……どうしようもないのに。

 ――私は……ロイズのことが好きなんだ。

 彼のことが好きで好きで……どうしようもない。だから彼のためにこんなに一生懸命になっているんだ。

 バカだ、私。

 いつの間にか惹かれてしまった。

 惹かれてはいけない男性ひとに。惹かれてはいけないヴァンパイアに。

 同じように。

 エリーゼと……同じように。

「エル?」

 急に言葉少なになったエルフェリスを不思議そうに見つめるカイルも、今は目に入らなかった。

 今はただ……ロイズハルトに逢いたくて仕方がない。

 アンデッドとか、エリーゼとか、そんな建前が無くても……彼の暮らすあの居城ばしょに戻りたい。

 心の底からそう思った。

 その時だった。

 突如、一斉に村のあちらこちらで大きな爆発が起こった。

 鼓膜を突き破るかのような爆音に思わず耳を塞ごうとしたのも束の間、次の瞬間には身体の自由を奪われていた。

 爆発に伴い生まれた爆風は、いとも簡単にエルフェリスたちの身体をふわりと持ち上げると、強烈な力をもって室内にあったすべてのものを無慈悲に吹き飛ばした。

「うわっ!」
「……ッ」

 突然のことに受け身を取る間もなく、エルフェリスもカイルも壁に叩き付けられて苦痛の声を上げる。

 打ち付けられた体はあらがすべもなくそのまま床に投げ出され、激突を受けた壁からは少しの砂煙すなけむりが上がっていた。

「い……っ」

 エルフェリスは少し、背中を打ったらしい。わずかながら呼吸が止まり、無音の声がむなしく零れていく。

 けれどカイルはさすがに百戦錬磨のハンターといったところか、すぐに身をひるがえすとすぐさま窓辺へと駆け寄り周囲を見回した。

「……何だよ……これ」

 そして上げられたのは、低くうめくような声。

 それからようやく身を起こしたエルフェリスも、痛む背中に手を当てながらカイルの後に続いた。

 よろめきながらも彼の隣に移動して、それから外の光景を目の当たりにして思わず絶句した。

「……何これ……。何が起こってるの……?」

 次から次へと絶えず起こり続ける爆発を逃れようと、何人ものハンターが炎の間を逃げまどっている。

 爆発が起こる度に空は昼間のような明るさを取り戻し、その度に焼けるほどの熱風が頬をかすめていく。

 だが異様だった。

 爆発は明らかに人がいない個所を狙っているかのごとく起こっているのだ。

 混乱し、あちらこちらへと動きまわるハンターたちの動きを読んでいるかのように、誰もいなくなった場所で、ぎりぎり人体に被害の出ない規模の爆発ばかりが何度も何度も繰り返されているようだった。

 こんなにも絶えず起こり続ける爆発にもかかわらず、誰一人怪我を負っていない様子を見ると、やはり明らかに異様だ。

 そんな中で、決定的な声が上がるのをエルフェリスもカイルも聞き逃さなかった。

「ハ……、ハイブリッドだぁぁーッ」

 爆音の中にあっても、切り裂くように響き渡ったその絶叫は、カイルだけでなくエルフェリスの顔色をも変えるに十分であった。

「ハイブリッド!」
「くそっ……! 襲撃かッ」

 無意識にワンドを握り締めたエルフェリスの隣で、カイルもまた腰に下げた細身の刀に手を掛けた。その顔からはもういつもの面影は消えていて、代わりにハンターとしてのそれがありありと浮かんでいる。

 突如立ち上る凍り付くようなカイルのオーラに、エルフェリスも一瞬身を震わせて彼の横顔を見上げた。

「愚かなヴァンプどもめ……! 先の恨み、今度こそ晴らすッ」

 残酷なまでの笑みを浮かべてカイルはそう呟くと、くるっとエルフェリスの方を振り返って言った。

「ここも危ない。エル、僕が守るから付いて来て!」
「え……ちょっと……っ」

 そしてそれだけを告げると、カイルはその様相に圧倒されて固まっていたエルフェリスの腕を掴み、荒れ狂う爆発の中へと足を踏み出して行った。

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