【残013話】夜明け前(1)

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 明けない夜は無いと、誰かが言っていた。

 どんなに追い詰められようが、どんなにどん底に叩き落されようが、必ずどこかに打開策はあるものだと。

 使い古されたその文句に、一体どれだけの人が救われてきたのかは知らないが、自分にはあまり意味の無い言葉のような気がした。

 私は自らその“夜”に飛び込もうとしているのだから。

「いいじゃん」
「ダメだ」
「なんで? いいじゃん」
「だからダメだ」
「いいじゃん」
「ダメだ」

 さっきからずっとこの繰り返し。最初は他人事のように楽しんでいたが、何度も繰り返されるとさすがに飽きてきて、エルフェリスは人知れず欠伸あくびを繰り返した。

 それでもまだやり取りは続く。

「“ドール”は良くて”人間”はダメなのかよ」
「そういう問題じゃねぇだろ」

 はぁ、と溜め息を吐いたロイズハルトの身体が深く背もたれに沈んだ。

 ここは居城の上層部にあるロイズハルトの私室。ロイズハルトとデューンヴァイスとエルフェリス。三人で丸いテーブルを囲んで腰掛けていた。エルフェリスの“ワガママ”をロイズハルトに承認してもらうために。

 三者会議が終結してからすでに数日が経過していたが、エルフェリスとゲイル司祭はいまだシードの居城に滞在を続けていた。

 名目としては盟約締結後、ヴァンパイアが本当にその決まりを遂行すいこうしてくれるのかどうか監視するため、としているが実際は、「エリーゼを捜したいから私をここに置いてくれるまで帰らない」と言ってエルフェリスがごねているからであった。

 ゲイル司祭は当初、エルフェリスを会議の同行者として教会本部へ申請することを激しく躊躇ためらっていた。

 司祭はもとより同行者にももちろん神聖魔法使いとしての能力が求められる。丸腰で乗り込んで喰われたなどとあっては全く話にもならないからだ。だから必然と同行者として選ばれる者は限られてくる。

 三者会議に出向く司祭の近くに該当者がいなければ教会本部から派遣されることもあるが、今回は司祭の「娘」でもあるエルフェリスが適任と判断された。

 まだ年若い娘である事は唯一の懸念材料ではあったものの、生まれも育ちもその能力も、将来ゲイル司祭の跡を継ぐ者として申し分ない。
 
 申請はもちろん受理された。

 それはエルフェリスにとっても密かに待ち続けたチャンスだったのだ。堂々とヴァンパイアたちの中に入り込んで、姉であるエリーゼを探せる最大のチャンス。

 娘の他に適任者がないことを嘆いていた司祭には悪いと思いつつも、同行者として正式に指名された時からエルフェリスは一人この城に留まることを決意していた。

 会議の期間中に姉が見つかるのが一番理想的ではあったものの、そんなに物事上手く運ぶはずはないだろうし、だからと言って大人しく帰路についてしまえば次の機会は早くても数年後。それも保証があるわけではない。

 ゲイル司祭はまだまだ若いし、自分もまた次の同行者として選ばれるか分からない。紛争の絶えない土地で暮らしているゆえに、その時まで命があるかすら分からないのだ。

 エルフェリスはこの好機を逃すわけにはいかなかった。たとえ一人、魔物だらけの城に取り残されることになろうとも、その魔物に魅せられ消えたたった一人の姉を探し出してやるのだと固く決意していた。

 そして今、その時が訪れたのだ。

 この居城に連れて来る時には最後まで何だかんだと渋ったくせに、このまま居城に留まりたいと恐る恐る打ち明けた時には、当のエルフェリス本人が呆気にとられるほどゲイル司祭はあっさりと了承した。もちろん大反対にあうと思って身構えていたエルフェリスにとって、彼の返答は予想の遥か斜め上をいっていて思わず聞き返してしまったほどだ。

 正直驚いた。人間でありながらヴァンパイアの城に残りたいなどという考えは、常軌じょうきいっしていると自分でも思う。形は違えども、やっている事は姉と同じではないのかと……。

 それなのに、司祭は引き留めるどころか「エルの好きなようにしなさい」と頷いてくれたのだ。

 一体ここへ来てからどのような心境の変化があったのかと気にはなりつつも、どちらにせよ司祭の了解が出たのだから、彼の気が変わらないうちに城の主たちを説得しなければならないと、エルフェリスはその日から忙しく奔走ほんそうを始めた。

 シードヴァンパイアの了承なくしてこの決断は実行されない。エルフェリスはしばし考えを巡らせて、どうすれば有利に話を進められるかを思案した。

 議場での立ち位置や発言などを踏まえると、シードを纏めているのはあのロイズハルトというヴァンパイアで間違いないだろうが、初めから彼に直接滞在交渉をするのはさすがのエルフェリスでも気が引ける。あのダークアメジストの瞳に見つめられると、体も思考も金縛りにあったかのように固まってしまうのだ。

 もちろん最終的には彼の許可を得なければならないだろうが、その前に味方が欲しかった。ロイズハルトと対等に接することができて、それでいて気さくな……。

「……あの人だ……!」

 エルフェリスの脳裏に浮かんだ一つの影。獅子のような髪をなびかせて、突き抜けんばかりに爽快な笑顔が印象的だったシードの一人。

 デューンヴァイス。

 変に気取ったところもなく、彼の砕けた言動にはエルフェリスも好感を抱いていた。それにエルフェリスの言動にいちいち反応を示していた彼なら何となく、今回の件もおもしろがって賛同してくれる気がする。

 交渉は何事もハードルの低そうなところから攻めるのが得策というものだろう。

 エルフェリスは真っ先にデューンヴァイスに白羽の矢を立てた。

 そうと決まれば行動あるのみ。右も左もわからぬヴァンパイアの城にも構わず、エルフェリスは持ち前の度胸と行動力で、たった一度だけ同席したシードの姿を探し始めた。

 が、広い城内でどこにあるかも分からない彼らの部屋を探すのは、非常に骨の折れる作業だった。三者会議の後、唯一の頼みの綱だったリーディアはシードの使いとしてどこかへ出掛けてしまうし、彼らと懇意こんいである司祭も彼らの私室までは知らないと言う。
 
 来る日も来る日も迷路のような城内を歩き回っても、なぜか上層部への階段だけは発見できなかった。
 
 けれど見つかる時なんて脱力するほどあっさり見つかるものだ。

 一体この居城はどんな構造になっているのだろうと再確認するために庭園に出たところで、窓辺からこちらに向かって手を振るデューンヴァイスを見つけたのだ。

 散々捜し回っていた相手が、自分に向かって能天気に手を振っている。

 これぞ神のお導き!

 この機会を逃してはならないと慌てて再び城内へ舞い戻って、全速力で彼の元まで駆けて行ったエルフェリスに対して、デューンヴァイスは「よっ」と片手を上げて挨拶すると、そのまま続けざまにエルフェリスさえも想像もしていなかったような提案を口にした。

「なー、エル。お前この城で暮らさねぇ?」

 息も整わない内に、なんとデューンヴァイスの方から居城に留まらないかとの打診を受けたのだ。

 これにはさすがのエルフェリスも瞠目どうもくしたまま、しばらく言葉を失った。ハードル云々以前の問題だったのかと逆に呆気にとられもした。

 だが、これはチャンスともちろん快諾したから、エルフェリスは今この部屋にいる。

 デューンヴァイスも誘ったは良いものの、やはり最終的には首領であるロイズハルトの承認がないと、たとえシードであっても“ただの”人間であるエルフェリスを城に置くことはできないのだそうだ。

「そうと決まれば善は急げだ!」

 嬉々として声を弾ませるデューンヴァイスに連れられて、あんなに探し回った彼の私室の前をあっさりと通り抜け、その先にあるロイズハルトの部屋へと乗り込んだ。

 までは良かった。

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