【残061話】狂える月(4)

 

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 急進派とも革新派ともいわれるヘヴンリーらの勢力と真っ向から対立する戦闘集団。

 そのトップが……リーディア?

 エルフェリスの双眸そうぼうが何度も何度も地をう。

 確かに、リーディアは女性にしては随分とけた戦い方をしていた。

 もちろん実際のヴァンパイアの女性が、平均的にどれだけの体力や戦力を保持しているかは定かではないが、それでもリーディアのそれは並大抵のものではないだろう。

 忘れもしないあの新月の晩。
 
 並み居るハイブリッドやアンデッドをことごとく無に帰していたのは間違いなく彼女の功績だ。大量の男たちを相手に、彼女は見劣りすることのない圧倒的な力を見せ付けていた。

 四方八方どこから襲われても的確にほぼ一撃で相手を仕留めるあの姿は、きっと一生涯忘れはしないだろう。

 まるで別次元で起きている出来事のように、あの時エルフェリスは戦うリーディアに見惚みとれていた。

 しかしそれもこれも、すべては戦闘に慣れた者だったからだというのか。

「あの女はシードにあだなす輩には無情だ。慈悲の欠片かけらもない。まるで相手を虫けらのように蹴散らす。すべてはシードのために」
「……」

 ヘヴンリーの言葉にエルフェリスはしばし返答することを忘れた。

 もちろん彼の言うことのすべてを真に受けたわけではない。ヘヴンリーはあくまでも急進派としての立場から見たリーディアの印象を言っているのであって、彼女を知るすべての者が彼と同じ感想を持つかといえばそうではない。

 たとえばシードから見れば、彼女は自分たちに楯突たてつく者を葬り去ってくれる頼もしい配下なのだろうし、私たち人間から見ても、非道の限りを尽くす急進派のハイブリッドに比べれば、リーディア率いる保守派とやらの方が印象的にはいいだろう。

 それに……。

「あんたたちと同じことを、別の立場からしてるだけじゃない」

 ふとそんな言葉がエルフェリスの口から零れ落ちていた。

 人間の耳には、ともすれば聞こえないくらいの小さな囁きだったかもしれない。

 けれども目の前にいたヘヴンリーの表情を一瞬にして変えるには十分すぎる音量を持っていた。

「リーディアを悪く言う資格はあんたには無いよ、ヘヴンリー」

 そしてその次に口をいて出たのは、紛れもなくヘヴンリーら急進派との立場を異にする言葉だった。

 そうだ。

 リーディアの保守派勢力がしていることというのは、ヘヴンリーらが人間にしてきたことと何ら変わりはない。

 むしろリーディアらのその行動は、急進派のハイブリッドによる襲撃に脅えながら暮らす人間にとっては有用であることではないだろうか。

 共存の盟約を無視した行動を取る急進派勢力を、頼みもしないのに闇の彼方へ消し去ってくれるのだから。

 それにエルフェリスは知ってしまった。

 今のシードたちがむやみやたらに人間を襲うことをとしないことを。

 急進派のハイブリッドたちを牽制けんせいし、共存を推進すいしんしようと努力していることを。

 彼らは優しくて、そして誰よりも人間臭い。

 そう思う。今となっては。

 けれど……。

 種族が違うというだけで、人間の血をすすらないと生きていけないというだけで、彼らは私たち人間と何ら生きる上で差異さいはないのだ。

 目の前にいるヘヴンリーは違う。

 この男が望むのはヴァンパイアによるヴァンパイアのための世の中であって、そこに共に生きる人間という種族は存在しない。

 今、世界が共存へと動く中を、このヘヴンリー率いる急進派のハイブリッドたちがその計画を潰さんと躍起やっきになっている。

 ゲイル司祭からさかのぼること数代前の村の司祭がようやく結ぶに漕ぎつけた盟約を無視し、シードに従う素振りを見せながら裏では堂々と彼らを裏切る行為を繰り返している。

 そしてその度に人間は翻弄ほんろうされるのだ。

 死と闇の恐怖に怯えながら。

 エルフェリスとヘヴンリーの間を、静寂せいじゃくという名の風が吹き抜けていった。

 交差している視線は互いに互いの本心を見極めるように、また牽制けんせいするように、どちらからともなく火花を散らしているようだった。

 けれどその沈黙を最初に破ったのはヘヴンリーの方であった。

 突如とつじょほうっと息を吐いて、そして微かにその顔に笑みを浮かべる。

「……別の立場……か」

 そしてそう呟いて、再びエルフェリスに視線を合わせる。

「それだけ俺とあの女の遺恨いこんの根は深いってことだ。いつか必ずシードは滅びる。たった四人しかいないシードのためにこの身を削るなど愚かなこと。ならば俺はハイブリッドとして生き残るための策を考え続けるさ。ハイブリッドを劣化種などとは呼ばせない!」

 いくぶん興奮しているのか、ヘヴンリーは先ほどよりもやや語気を荒げてそう言うと、もうそれ以上言うことなどないと言わんばかりの表情でエルフェリスを見やった。

 その気持ちも分からなくもないが……。

「でもそれなら共存することだって……」
「ふん、人間と同等に生きるなど、ヴァンパイアとしての価値が下がる。俺が目指すのはヴァンプが第一勢力として台頭たいとうしていたあの時代の再現だ。人を糧とし、永劫えいごうの時を“らしく”生きる。それこそが真のヴァンパイアだ。共存の盟約など、俺たちには必要ない!」

 あくまでも共存姿勢を示すエルフェリスに対し、ヘヴンリーは挑発的に鼻を鳴らしてそう吐き捨てた。

「どうしてそこまで……」

 ヴァンパイアだけの世を望むのだろう、という言葉をエルフェリスは呑み込んだ。

 共存はあらかた順調に進んでいると思っていたのに、これから先もヘヴンリーはそれを受け入れようとはしないだろう。

 彼をここまでかたくなにさせる何かが、彼のどこに存在するのだろうか。

 ハイブリッド。劣化種。

 彼の吐き出した言葉を考えてみても、ヘヴンリーの心を縛るものの正体がエルフェリスには分からなかった。

 確か片親が名高いシードであったということは耳にしたことはあるが、それと今の発言とには何か関係があるのだろうか。

 あれこれ思案しあんを巡らせてみても、答えにはたどり着けなかった。

 当然だ。エルフェリスには、ハイブリッドとして生きてきたヘヴンリーとの接点などあってないようなものだったのだから。

 しかしながらその疑問には、思ってもみない方向からヒントがもたらされることとなる。

「シードの親を持ちながら、ハイブリッドとして生まれた者の気持ちなんて、人間のお前には分からねぇだろうよ」

 自嘲的とも言える笑みを浮かべ、それだけを静かに告げるとヘヴンリーは立ち上がり、誰もいない暗い回廊へと足を踏み出した。

 エルフェリスは無言のまま、目だけでその姿を追いかける。

 すると一度だけ足を止めて、ヘヴンリーが振り返った。曇りのない綺麗な青の双眸そうぼうが、エルフェリスに向けて細められる。

「じゃあまたな、エルフェリス」

 そう言ったヘヴンリーの顔にはもう、負の印象は感じ取れなかった。いつものように嫌味なほど勝気な雰囲気をまとい、昼間だというのになおも暗い城内へと消えて行く。

 その後姿を、エルフェリスはただただ無言で見つめていた。

「……あんたの気持ちなんて、……分かるわけないじゃん」

 無意識に呟いた言葉に、無意識のままわらう。

 ヘヴンリーが最後に漏らした言葉は、エルフェリスの心に一つの棘となって突き刺さっていた。

 ヘヴンリーの気持ちなど、自分には分かるはずもなかった。エルフェリスにはそもそも、親という者がいないのだから。

「……」

 ――ねぇ、エリーゼ。

 エリーゼ。今、どこにいるの? この城内に……私の傍にいるの?

 そんなことをぼんやりと考えながらも、輝きを取り戻したシャンデリアの光のつぶてを拒むように目を閉じる。

 ああ、神様どうか。エリーゼの元に辿り着けますように……。

 そう思いつつ、ようやく自室へ戻る気になったエルフェリスも遅れてソファから立ち上がった。

 先ほど見たあの衝撃的な光景はいまだ頭を離れない。

 そしてそれを目撃したエルフェリスに対して、シードたちがどのような態度を取るのか考えれば考えるほど不安で堪らない。

 今までこの城において、エルフェリスの最大の味方はリーディアと三人のシードたちだけだった。

 けれどエルフェリスは今夜、見てはいけない現場ものを見てしまったのだ。

 彼らの態度が一変する可能性だって十分に考えられる。

「……」

 雑念を振り払うように何度も何度も首を振った。

 覚悟を、決める時なのかもしれない。

 エリーゼというドールに会う前に命を落とす気はさらさらないが、それでも今まで通り……というわけにはいかないだろう。

 最近緩みがちだった気を引き締め直して、一歩一歩を確実に踏み出す。

 また夜が来ればルイやシードらと会うこともあるだろう。

 それまでは部屋でゆっくり休もうと心に決めて、エルフェリスは薄暗い回廊を一人、歩き出した。

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