【残011話】共存の盟約(1)

 一見聞こえは良いが、共存なんて言葉は、裏を返せば互いに牽制けんせいするための便利な表現に過ぎない。

 この会議においては特に。

 元々敵対していた者同士が己の身を守る為だけに結んだ盟約なのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが。
 
 ヴァンパイアの牙に怯えていた人間、ハンターの影に怯えていたヴァンパイア。互いが互いに安息の地を手に入れることができたのが、この盟約の最大の利点であると一般的には考えられている。

 しかし何かの歯車がどこかで少しずつ歪みを見せ始めた今、盟約の存続自体を疑問視する者たちも現れ出した。ここで再び確かなる取り決めが成されればまた、これまでの秩序も取り戻されよう。

 先ほどからエルフェリスは一人、黙って会議の行方を見守っていた。公式に参加は認められてはいても、単なる同行者でしかない彼女には発言権は無に等しい。
 
 これまでの会議も平等の名のもとに行われてきたはずだが、それはあくまでも見掛けだけの平等なのだと誰もがこの場に臨んでみて初めてそれを痛いほど実感するのだろう。

 二つのヴァンパイア勢力に、一つの人間勢力。数で言っても、明らかにエルフェリスら人間側が不利になるように仕組まれている。初めから。

 今回はさておき、シードの力が絶大だった時代においてはさらに人間側はこの会議に苦戦を強いられたであろう。だが完全なる傍観者に徹してしまえば、色々な思惑が案外良く見えたりするものだ。

 今回の鍵は特に、ヘヴンリーというハイブリッドが握っているように思えた。この男の意見によっては長年培われてきた盟約も容易に破綻しかねない、そんな状況。

 たとえば彼本人も、案外それを見越していたのだろうか。こともあろうにヘヴンリーは、ゲイル司祭を代表とする人間側に、吸血地域の拡大を打診してきたのだ。

「バカな! これ以上広げては人間の住まう土地すら奪ってしまいます! 私は反対です」

 しかしそのヘヴンリーの提案に真っ先に批判の意を示したのは、人間であるエルフェリスでもゲイル司祭でもなく、ハイブリッドヴァンパイアのリーディアだであった。強く手のひらでテーブルを叩き付けながら、赤く染まった瞳を大きく見開いてヘヴンリーを睨み付ける。

「私たちは前々回も同じ要求をしていますのに、これ以上はさすがにヴァンパイアといえども私は賛成しかねます」
「ふふ。……あの時とはまた我らの状況も大きく変わっている。それに今じゃ“ドール”を持てるヴァンプの方が圧倒的に少ない。決しておかしな要求だとは思っていないが?」

 厳しく眉をひそめるリーディアを嘲笑あざわらうように、ヘヴンリーは静かに唇を吊り上げるとおもむろにシードの方へと視線を走らせた。そして再び口を開く。

「もっとも、あちらの三人には関係のない話かもしれないけどな」
「っ、失礼ですわ! ヘヴンリー!」

 不遜ふそんなまでに遠慮のないヘヴンリーに対してリーディアは青ざめ、文字通り牙を剝き出しにして吠えた。

 しかしその挑発とも取れる発言にもシードの三人は反応を見せなかった。ただ黙って二人のやり取りを見つめているのみで。

 ヘヴンリーの言わんとしていることは、ヴァンパイアの世界に一番明るくないエルフェリスにもすぐに想像の付くものであった。

 つまり彼は急激に数を減らすような事態に見舞われたシードのせいで、さらなる吸血可能地域の拡大を提案しなくてはならなくなったのだ、と暗に皮肉っているのだ。

 ヴァンパイアにはシードとハイブリッドの二種類があることは広く知られているが、その他にも大きく二つに分けられる特徴があることをエルフェリスは知っていた。それこそがヘヴンリーが先ほど口にした“ドール”の存在だ。

 ドールとは、人間でありながらヴァンパイアによって吸血耐性を持つ体に作り変えられた者の総称で、彼らは総じて最後の一滴までその血を吸い尽くされてもなお生き続けると言われている。シードはもとより、ある程度の力のあるヴァンパイアならば、たとえハイブリッドであったとしても人間をドール化する能力は備わっているのだとエルフェリスは伝え聞いたことがあった。

 果たして一体どれだけのハイブリッドがその能力を有しているのかは想像すらできないが、ヘヴンリーの口ぶりからすると大して多くはないのではないかと言う結論に達するのにそう時間はかからなかった。

 ドールは時として、むやみやたらに人間狩りをせずとも済むよう末端のヴァンパイアの集落などに下賜かしされることもあり、一時はそのおかげもあってか人間とヴァンパイアの間には良好な共存関係が成り立っていた時代もあったようだ。

 が、しかし、シードが著しく減少してしまったと言われる昨今では、ドールを所有できるヴァンパイアもかつてほどいないのだろう。境界近くの地域では人間とヴァンパイア、両者のトラブルが絶えず、血で血を洗う事件などが日常茶飯事となっていた。

 エルフェリスの住まう村でもハイブリッドたちの襲撃に見舞われたことが何度もあり、その度に村人も神官もハンターも命を落としていった。

 もちろんエルフェリスの暮らす村は、言わずもがな盟約で取り決められた吸血禁猟区内だ。それでも飢えたハイブリッドには共存の盟約による境界などお構いなしだったし、大胆にも境界から遠く離れた都市を襲うハイブリッド集団すらいる始末とあらば、もはや盟約など無に等しいものだと言わんばかりに被害は拡大するかに思えた。

 だが、ハンターたちも黙ってそれを見ていることはなかった。各地に散らばっていたハンターの多くが境界線近くの村々に集い、連携を取り合って付近を徘徊するヴァンパイアを狩り始めたのだ。

 ある時は浅く、そしてある時は深く。

 ハイブリッドによって壊滅に追い込まれた人間の村も多かったが、ハンターによって滅ぼされたヴァンパイアの村もまた少なくはなかった。

 名のあるヴァンパイアを討ち取ればそのハンター自身の名声も上がったことから、誰もが特にシードヴァンパイアを狩ることに躍起となった。

 そして互いの領域を侵犯する両者の行動が次第にエスカレートしていった結果が今の状況だ。
 
 盟約を無視し、夜な夜な人の領域に現れ人々を喰い殺すヴァンパイアと、侵入される前にヴァンパイアを駆逐くちくせんと息巻くハンターによって世界は混沌とし始めていた。

 やらなければやられるというお互いの思惑は理解できないこともないが、エルフェリスはいつの頃からか、そうした状況を胸を突かれるような気分で見つめていた。

 人でありながら、人であらざる者の気持ちまでをも汲み取ろうとするなど、自分でもどうかしているとは思うが、ハンターがヴァンパイアを仕留めたと凱旋がいせんする度に激しく心がざわめいた。

 まるで何かを恐れるかのように……。

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