十 残 十092話 月と太陽の狭間で(1)【恋愛ダークファンタジー小説】

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 自分を不幸だなどと思ったことは一度も無い。

 幼い頃に両親を亡くしても、たった一人の身内が行方不明になっても、それが自分の運命さだめなのだと割り切ってこれまで生きてきた。

 人知れずたくさんの涙を流してきたけれど、それでも運命に流されてここまで生きてきたとは思っていない。

 ヴァンパイアとの境界であったあの村で暮らすことも、聖職者になることも、そしてシードの居城に赴いたことも、すべて自分が決めたこと。その決断を、悔やんだことなど一度も無い。

 けれど一つだけ。思うことがあった。

 それは、その過程で誰かを失うかもしれない“恐怖”。

 出会ってしまったのなら、やがていつかは別つ日がやって来るのは百も承知だ。

 けれどこの世の中にあって、その時を待たずして自分の前から姿を消した人々は決して少なくはなく、誰かを失うことに対してひどく臆病になっていた。

 ――私を置いて行かないで。

 声にならない叫びが、心の奥底で渦巻いていたのかもしれない。




「逃がすな!  ヴァンプは殺せ! 女は捕えろッ」

 耳をつんざくカイルの怒声が何度も何度もヴィーダに木霊こだましていた。

「悪趣味な号令ですね。反吐へどが出ますよ」
「そう言いつつ結構楽しそうじゃないか、ルイ?」
「そうですか? 気のせいですよ」

 エルフェリスたちは兎にも角にもこの戦場から脱出しようと、迫り来るハンターたちの攻撃を交わしながら、隙を作るべくあちらこちらへと逃げ回っていた。

 あちらの人数が少しずつ少しずつ減ってきているとはいえ、ハンターたちは人間の限界を遥かに凌駕りょうがした体力を持つ連中ばかり。

 あっちへ逃げてもこっちへ逃げても、まるで磁石でも背負っているのかと疑いたくなるくらいにしつこく追い回してくる。

 それでもエルフェリスの両隣をガードするように肩を並べて走る二人のヴァンパイアは、さっきからずっとこんな調子で呑気のんきな会話さえ交わしていた。

「もう少しあちらの士気が落ちるとありがたいんですがねぇ。エルの幼馴染の彼はなかなか見た目に似合わず骨があるようで」

 前を向いたまま微笑むルイに、エルフェリスはちらりと一瞥いちべつを加えると、そのまま小さく頷いた。

 あわよくばこのままカイルたちをいて、さっさとこの村から引き上げたかったのだが、やはり相手は手練てだれのハンター。容易に逃げ道を開けてはくれない。 

「どいつもこいつも暑苦しくていけません。ここはやはり思い知らせてやった方が良いのでは?」

 その美しく涼しげな笑顔にほんの少しの苛立ちをまとったルイは、その行方をはばもうと飛びかかって来るハンターたちに容赦ようしゃない一撃を喰らわせながら、心底うんざりしたように溜め息を吐いた。

 その様子に少しだけ、張り詰め通しだったエルフェリスの心の糸がほぐされるようであった。

 ほんの少し前までは大勢のドールたちに囲まれて、優雅な物腰と笑顔と、そしてほんの少しの狂気に包まれて、どちらかといえばふわふわ風に舞う綿毛のようなイメージのルイであったが、彼と行動を共にしたこの二日間で、エルフェリスの彼に対する印象はがらっと変化を見せていた。

 その言動は思いのほか大胆で、極端に空腹に弱くて意外と短気。

 その時々によって変わるルイは、まさに夜を支配するあの月だ。気まぐれで、それでいて実に様々な表情を見せてくれる。

「……何笑ってるんですか、エル。真剣に逃げないと転びますよ?」

 ほら、その顔。

 そんな顔も普段ドールには決して見せない顔なのだろう。

 皮肉にわらいながら、エルフェリスの目から見ても哀れに感じるくらいの攻撃をハンターたちに加えている“月”の姿は、きっといつだって闇に包まれてドールたちの瞳には映らない。

 エルフェリスとてついさっきまで、ルイのことは完全に戦闘とは無縁の優男やさおとこだと思っていた。こんなにも対等にハンターたちとやり合えるなんて想像すらしていなかった。

 横目でちらりとルイの表情を一瞥いちべつする。

 こんなにも戦う男の顔を持っているなんて……。などと能天気に考えていたら。

「……うわぁッ」

 さっそく罰が下った。

 誰かの放ったいましめのむちがどこからともなく飛んで来て、能天気なエルフェリスの足元を捕らえた。

 無論エルフェリスは勢い付いたまま無様にも前方へと倒れ込む。

 とっさに両手が反応したおかげで顔面強打は避けられたものの、ハンターの強い力でぐいぐいと引っ張られては、体重の軽いエルフェリスの足首から身体ごとそちらへ持っていかれそうになる。

 ぎりぎりと締め付けられる足首の痛みに顔をしかめながらも、どうにか堪えようとエルフェリスはすがる何かを求めて冷たい地面に爪を突き立てた。

 そこへすかさずロイズハルトの助けが入る。

「待ってろ、今助ける」

 そう言ってロイズハルトはルイに目配めくばせすると、肩をすぼめるルイをよそに、倒れ込むエルフェリスのかたわらへと駆け寄った。

「カルディナの時といい今回といい、エルは足首が鬼門か?」

 エルフェリス救出の時間を稼ぐためルイがまるで鬼のようにハンターたちを蹴散けちらしている間をって、ロイズハルトはエルフェリスの足元にひざまずくと、ふっと笑みを浮かべながらその足に絡み付いた革の鞭をいとも簡単に引き千切った。

 そして静かに目を閉じると何やら小さく呟いて、それから鞭の食い込んでいた足首にそっと触れる。

「ッ!」

 ふわっとした温かさを感じると同時に、ゆっくりとロイズハルトの冷たい手が離れていく。

 その瞬間がなぜかひどく名残なごり惜しい。


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