Dream5.黒の胎動
赤き月よ、出でよ。
そしてこの大地を染めてしまえ。
白き月などもはや不要。
我れが望むは黒の月なり――。
どこかで何かが妖しく蠢いていた。
地底なのか、はたまた地上なのか、それすらも分からないい暗い空間に、何とも不快な笑い声が木霊する。
「ヒヒヒヒ……さあ、蘇れ……蘇れ……」
人影がひとつ。
蝋燭の炎にゆらゆらと照らし出されている。
ブツブツ呟きながら、手元に置いた大きな天秤に小さな玉をいくつも積んでいた。
片方には水晶を、片方には黒水晶を。
だが、黒水晶ばかり積まれていく天秤はやがて均衡を失い、勢いのままに大きく傾いた。
その拍子に、ひとつしか載っていなかった濁りの無い水晶が音を立てて床に転がる。
影はゆっくりとした動作で水晶を摘み上げると、ニヤリと口元に笑みを浮かべた。
「死に損ないの神め……今度こそ息の根、止めてくれようぞ」
そして水晶を握り締める。
小さな悲鳴をあげて、水晶が粉ごなに砕け散った。
★★✶★✶✶★✶★
月が……柔らかく輝いていた。
慌ただしく出立したは良かったが、地図上で半分程進んだ辺りで足止めを食らった私たちは、仕方なく一番近い村に身を寄せた。
数日前の嵐の影響で、渡ろうと思っていた橋が河に流されてしまったらしい。
ならば迂回路をと思って地図に目を落としたが、かなりの遠回りになるとの事で、橋の復興を待つことで意見が一致したのだった。
村に一軒しかない宿屋は同じように足止めされた旅人で既に満室だったが、偶然通りかかった泊まり客の一人が相部屋で良ければと申し出てくれたので、私たちはかろうじて野宿を免れた。
「ふぁ……ふぁ…………ぶぇくしょ!」
こちらの夜はかなり冷える。
室内でもブレザーに短いスカートの制服じゃ寒さをしのぐには心もとなく、私はクライスから借りたマントを身にまとってブルブル震えていた。
寒いのはケンカより苦手だ。
「ぶぇっくしょ!」
寒くてクシャミが止まらん!
こういう時に必ずからかってくるのはアイツだ。
「オヤジくせ~。色気ねえ~」
わざわざデカイ声で言うな、セシルドのクセに!
クライスも”旅人さん”も笑ってるじゃん。コンチキショ。
「今、暖炉に火を入れますからね」
クスクスと苦笑しながら旅人さんが手際よく暖炉に火をつけた。
「すみません」
年頃の娘さんが鼻水垂らして震えてるなんて……カッコ悪すぎる。
「そんなヒラヒラしたカッコしてるからだよ」
「言われてみれば……確かに見掛けない服ですねぇ」
セシルドの言葉に旅人さんが反応する。けれど旅人さんはそれ以上何も聞かなかった。
やがて部屋が暖まってくると、ようやく震えが収まった身体から余分な力が抜けていった。
それでも旅人さんは時おり私に気遣いの言葉をかけてくれる。
セシルドとは大違いだ。
男にしとくのはもったいないくらい、長くてサラサラなブロンドの髪。繊細で気品ある物腰は誰から見ても好青年だろう。
しかも顔まで繊細――完璧すぎる。
ラルファールって……いいトコだな。
こんな簡単な理由でそんな風に思える私はきっと幸せ者に違いないんだろうけど。
その時ふと、旅人さんの荷物が目に入った。
少ない荷物の中でも一際存在感を放つ物がひとつ。
こうして見てるだけで不思議な力に吸い寄せられるようだ。
そんな私に気が付いたのか、クライスもまたそちらに視線を移す。
そしてこう言った。
「へぇ……あれは……”マグ”?」
――マグ?
マグってなんだ? ……マグカップ?
なにやら知らない単語のせいでいきなり会話についていけなくなった私に気付くわけもなく、クライスの問いかけに旅人さんは頷いている。
「ええ。よくお分かりになりましたね。私の場合は商売道具でもあるんですが」
そう言うと、旅人さんはその荷物に手を伸ばした。
「そう言えばまだ自己紹介をしていませんでしたね。私はリュイ。吟遊詩人をしております」
優雅に微笑んだ旅人さん・リュイが手にした物、それは彼の髪と同じ輝きを放つ小さな竪琴だった。
「お近づきに一曲、ご披露いたしましょう」
そう言うとリュイはおもむろに指を弾かせた。
リュイの澄んだ歌声と彼の奏でる竪琴の共鳴が胸に染み渡る。
ちょうどその頃。村の一角ではちょっとした騒ぎが起こっていた。
翌朝、クライスに連れられて私は村へと買い物に出た。
小さな商店がいくつか軒をつらね、旅の物資や生活必需品が所狭しと並べられている。
クライスはその中でもあまり目立たない服飾店に入ると、私にワイン色のケープと黒のレッグカバーを買ってくれた。
ケープはフード付きで制服を隠すにはちょうど良く、レッグカバーは膝上まであるので足の保護にも役に立つだろう、とクライスは微笑む。
「その服にも良く合ってるしな」
「ありがとクライス」
早速それらを身にまとった私は、ケープの裾を翻しながら足取り軽く村の小道を歩いていた。
男の人に何かを買ってもらうのももちろん初めてで、そこに深い意味など無い事くらいわかっていても心が躍ってしまう。
「ご機嫌だな、キラ」
「へへ」
気付けばクライスの前をスキップなんかしながら歩いていた。
私は喜怒哀楽が行動に出やすい。
でも“喜”と“哀”を言葉にするのは苦手。
だから、クライスに向けて照れ笑いひとつ溢すのが精一杯だった。
ここで「嬉しい」と表現できたら、少しは可愛げも出るんだろうけど。
「さて、そろそろ帰るか」
買い物を済ませ適当に村を散策した後、私とクライスは住宅街の一角を宿屋へ向かって歩いていた。こちらは商店街と違い旅人の姿はなく、閑散としている。
しかし程なくしてどこかの家屋からすすり泣きや困惑の声が聞こえてきた。
何事かとヤジウマ根性に火がついた私がクライスを見上げると、彼もまた訝しげに眉をひそめて辺りに目を配っていたが、やがて一軒の家の前で足を止めた。
例の声は、玄関の扉が開け放たれたままのこの家から聞こえるようだ。
不自然にならない程度に中を覗くと、そこには何人もの住人が一堂に会していた。
「どうしたんだろう……」
私がそう言うと、クライスはその口元に人さし指を持っていき、シッと合図した。
そしてじっと耳を澄ます。
「夢魔だ……夢魔を見たんだ……」
誰かの叫びに私は驚愕し目を見開く。
しかしクライスは表情を変える事なく、なおも中から聞こえる会話に神経を集中させていた。
「しかしのぅ……夢魔が相手ではどうにも手が出せんしのぅ……」
「この村には”マグ使い”などいませんからね……」
誰かの言葉に一斉に溜め息が漏れた。
私たちはしばらく息を潜めてその会合に耳を傾けていたが、ふいにクライスは私の腕を引っ張ると中へ入って行った。
「すまないが話を聞かせてもらった。夢魔を見たと言うのは本当か?」
中に入るなり、クライスが口を開く。
すると一番奥に腰を下ろしていた老人はやや驚きの表情で頷いた。
「本当ですじゃ。昨晩この界隈で夢魔を見た者が何人もおるんじゃ」
老人はそう言うと、事のあらましを手短に説明する。
夢魔の姿を見掛けたうちの数人が程なく突如苦しみ出し、そのまま意識を失って坤々と眠り続けているのだと言う。
「村人に夢魔が取り付いたのなら、なんとかせねばならぬ。しかしこの村には”マグ使い”などおらぬでの……」
どうしたものか、老人はそう言うとまた再び溜め息をついた。
マグ使い?
まただ……またマグとか言ってるけど、マグってなんだろう……。
自分なりに必死に思案を巡らせていると……。
「マグなら俺も俺の連れも使えるが」
おもむろにクライスが言った。