【残019話】吸血人形ドール(3)

「よし、好きなの選べ。てか好きなだけ選べ。どうせ服もあんまり持って来てないんだろ?」

 本当に衣装だけの部屋なのかと思うほど広いクローゼットのど真ん中でようやく下ろされたエルフェリスに、デューンヴァイスは至極しごく楽しそうにそう言うと、自らはそこに置かれた大きなソファに身体を投げ出して仰向けに寝転がった。

 エルフェリスの村の礼拝堂がすっぽり入ってしまいそうなその衣装部屋には、おびただしいまでの衣装や靴、アクセサリーがこれでもかというほど並んでいた。フィッティングルームもいくつか置かれているところから察するに、複数の者が同時にこの部屋を利用することも多々あるのだろう。もしかすると女性のヴァンパイアやドールの為に用意された部屋なのだろうか。会議期間中に見かけたドールは、誰も彼もが美しくきらびやかなドレスに身を包んでいたことを思い出す。

 しかし当のエルフェリスは突然の申し出に呆気に取られていた。

「好きなのって……」

 一通り見るだけでも相当の時間が掛かりそうなんですが。そう思いながら大量のドレスの前でおろおろしていると、寝転がったままのデューンヴァイスから「足見えてんぞ」と冷やかしの声が飛んでくるものだから、エルフェリスは慌てて服探しに取り掛かった。

 デューンヴァイスの言う通り、ここへは最小限の荷物しか持って来ていなかった。

 エルフェリスも年頃の娘とはいえ、聖職者である以上服装に気を揉むような生活とは程遠かったし、土地柄ハイブリッドヴァンパイアに襲われることもしばしばあったことから、もっぱらおしゃれよりも機動性や携帯性を重視し、またそのような身軽さを好んでいた。

 だからエルフェリスがこの城に持ってきたものといえば聖職者の正装である白のローブと、会議用にとゲイル司祭が誂えてくれた白のドレス、必要最低限の着替えと必需品、だけである。まったくもって簡素なことこの上ない。

「……」

 滞在は恐らくは長期に渡るだろう。すぐにエリーゼが見つかる可能性は今のところ限りなくゼロに近く、手掛かりすら掴めていない。

 色々動き回らなくてはならなくなるこれからのことを考えると、確かに持参した服だけでは足りないのは語るまでもなく何しろ不便だ。ローブはともかくとして、その替えが白のドレスとは……部屋から出るだけでも神経が擦り減ってしまいそうになる。

 それならばいっそ、この際だからデューンヴァイスの好意に甘えてしまおうとエルフェリスは一人頷くと、気を取り直して自身の好みと目的に合う服を改めて探し始めた。けれど……。

「ねぇデューン。ここってドレスしかないのー? ……ってあれ?」

 しばらくドレスの海を彷徨さまよっている間に、ソファからデューンヴァイスの姿が消えていた。

「あれ?」

 さっきまでは確かにソファに寝そべって軽口を叩いていたのに、どこかへ行ってしまったのだろうか。不思議に思いつつも、とにかく早く必要な分だけ探して自室へ戻ろうとエルフェリスは再び大量のドレスに向き直った。と。

「デューン様ならロイズ様と表に出て行かれましたわ」

 エルフェリスのぴったり背後に見知らぬ女性が立っていた。

「うわっ」

 体全体で驚きを表現したエルフェリスの様子に、女性は少しあざけりの表情を込めて苦笑した。豪華なドレスに身を包み、さらには大粒の宝石でその身を彩っていたその女性は、エルフェリスを見て不思議そうに首を傾げた。

「見かけない方だけど、新しくドールになった方? どなたの?」

 そう言った女性の顔は一転して穏やかに微笑んでいたものの、その瞳は少しも笑ってなどおらず、エルフェリスはその得体の知れない笑顔に密かに身を震わせた。

「いや、私はドールじゃ……」
「あら、じゃあ人間?」
「はぁ……」

 歯切れの悪いエルフェリスの返答を聞いた途端に、大袈裟なほどの驚きを見せたその女性をエルフェリスは一瞬ヴァンパイアかもしれないと身構えた。だがその肌はやや色白ではあったものの、赤み差す頬や白い肌から浮き上がる蒼い血管はどう見てもヴァンパイアのそれではない。とすると……。

「ドール以外の人間なんて初めて見たわ、この城で。デューン様ったら一体どういう風の吹き回し?」

 自分を警戒するエルフェリスの視線などどうでも良いと言わんばかりに、形の良い掌で口元を覆い、女性はあからさまに眉をひそめた。

「人間はすでにこの城から出ていったと思っていたのに……。一体何のために残ったというの? たった一人の人間が、何のために?」

 エルフェリスが口を閉ざしているのを良いことに、女性は次から次へと不躾ぶしつけとも思える疑問を投げ付けてくる。そんな態度がエルフェリスのかんに触れないわけがなく。

 人間人間うるさいな。

 いい加減うんざりしていた感情が唇の上まで出かかったが、エルフェリスは一度大きく息を吸うと、それらをなんとか心の奥底に押し込んで、無理やり口角を上げ必死に取り繕った笑顔で「そういうあなたはドール?」と、なるべく穏やかにそう問いかけた。すると彼女は「当然だろう」といった言葉をやや乱暴に投げつけてくる。

 何がそんなに気にくわないのかエルフェリスには分からなかったが、綺麗な身なりをしていても初対面の者に対する礼儀とやらは知らないらしい。

 ドールとて人間。ヴァンパイアと血の契約を交わした人形とも揶揄やゆされるが、物理的に考えれば人間には変わりない。だがヴァンパイアの呪いとも言われるその約定やくじょうは、人間の体をどんなに大量の血液を抜かれてもヴァンパイア化せずに生き続けることのできる体に造り変えるものだと言われている。一度契約を交わせば、破棄せぬ限り人としての記憶は失われ、契約主の為だけのしもべとしてヴァンパイアと行動を共にするのみの、まさに生ける人形ドールとなる。

 とはいえ、ごく稀に人としての記憶を留まらせたままドールとなる者もいるようだが。

「私はロイズ様のドールなの。カルディナよ。ひとまずはよろしく」
「私は……エルフェリス、です」

 カルディナの差し出した手に、エルフェリスは恐る恐る自身の手をゆっくりと重ねた。トクトクと脈を打つ、血の廻りを感じる温かい掌に新たな驚きを覚える。

 ドールは人間であって人間でない人形。ずっとそう思っていたから。

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