【残020話】吸血人形ドール(4)

「あの……エルフェリス? そろそろ放してくださらない?」
「あ、ごめんなさい!」

 彼女の手をずっと握り締めたままだったことをすっかり忘れていたせいで、さらにカルディナの気を悪くしてしまったようだった。指摘を受けて慌ててその手を放したが、彼女はエルフェリスが握っていた手をもう片方の手で擦りながらキッと睨み付けた。

「エルフェリス。どなたのお招きかは知らないけれど、ここにはここのルールがありますの。人間といえども守ってもらうものは守ってもらいますわよ」

 不敵に笑う彼女の首筋から、まだ新しそうな噛み跡がちらりと覗いていた。必要以上に紅くうごめくその傷が、エルフェリスの中に新たな戦慄せんりつを生み、何ともいえない不快感を引き起こす。ドクンと大きく、鼓動した。

「……ルールって?」

 カルディナの笑顔の裏に隠された真意を読み取ろうと、エルフェリスもあえて表情を和らげた。初めから何となく気付いてはいたが、カルディナのエルフェリスに対する言動はすべて善意によるものではない。気付かぬ振りをし通そうと思っていたのに、エルフェリスは確信してしまった。

 危うく彼女のペースに乗せられてしまうところだったがそうは行かないと、エルフェリスは心の奥で舌を出した。自分でも悪い癖だと思うが、止められない。

「どんなルール? 教えてください」

 刺激しない程度の挑発を。

「人間の私にも解るように……カルディナさん」

 挑発を。心の奥底に黒い炎が灯る。

「おーいエル、見つかったか?」

 その時、衣裳部屋のドアが大きな音と共に開かれ、デューンヴァイスとなぜかロイズハルトも中に入って来た。

「ロイズ様! デューン様もご機嫌麗しく」

 突如態度を一変させたかと思うと華やかに微笑むカルディナを尻目に、エルフェリスは小さく溜め息を吐いてロイズハルトを一睨みした。本当ならば「女の趣味悪いんだよ!」と嫌みの一つでも浴びせたかったのだが、さすがにそれは品がないというもの。ぐっと堪えて、舌打ち一つで手を打つことにした。こんな姿、司祭の前でしたら絶対怒られるだろうなとは思ったけれど、抑えきれない。そこまで大人になりきれない。

「なんだ? やけに機嫌悪いじゃないか、エルフェリス」

 わけも解らないまま八つ当たりの標的にされて、ロイズハルトが苦笑する。

「べっつにぃ? ところでさあ、ここドレス以外の服って無いの?」
「ああ……そういえば無いかもしれないな」

 口を尖らせたままのエルフェリスの質問に、デューンヴァイスが思い出したようにそう答えると、ロイズハルトも同様に頷いた。

「普段からドールしか利用しないしな。だが、嫌ならいくらでも手を加えて構わないぞ。気に入った服をどうしようが、それは気に入った者の自由だ」
「え? 切っても良いの? あ……でも……」

 一度言葉を切り、エルフェリスはちらりとカルディナを一瞥いちべつする。案の定彼女は、シードとエルフェリスのやり取りをおもしろくなさそうに見つめていた。

「でも?」
「人間の私が勝手にドレスを改造するのは“ルール違反”かな?」

 強調するようににっこり笑ってカルディナに問うと、内心慌てているのか何とも言い難い複雑な笑顔が返ってくるのみだった。もちろん彼女が主張するルールというのがドールの中だけで存在するものだということくらい、エルフェリスには初めからお見通しだ。これはちょっとした反撃。ドールと仲良しごっこをする為にこの城に留まったわけではないのだから。

「ここにあるものは好きにして良いと他の者にも言ってある。だからエルフェリスも好きにすれば良い」

 それにロイズハルトのお墨付きとあらば、カルディナとて口をつぐむしかないだろう。真一文字に結ばれた唇と、微かに引き攣る眉頭が彼女の心中を顕著に示しているようだった。

 けれど、差し出されたロイズハルトの腕に嬉しそうに絡みつくカルディナの姿を見ると、なぜかほっとするものをエルフェリスは感じていた。なぜだかわからない。同時に感じるこの軽い痛みさえも。

「用が済んだのなら行くぞ、カルディナ」
「はい!」

 すでに選んであったのだろうドレスを空いた腕にかけると、カルディナはロイズハルトを愛おしそうに見つめたまま、彼にエスコートされ部屋を出て行った。エルフェリスとデューンヴァイスはそれを静かに見送る。

「……あの女になんか言われた?」

 二人が立ち去ってすぐ、真顔のデューンヴァイスにそう聞かれたが、エルフェリスは緩く首を振ってみせた。

「たいしたことじゃないよ」

 そしてデューンヴァイスから誤魔化すように目を逸らす。くだらないただの争いだ。わざわざデューンヴァイスの耳を汚すこともない。

「まあ、それなら良いけど。カルディナはロイズのドールの中……つーか、ドールの中でも力を持ってるヤツだからな。結構始末ワリィぞ」
「えっ」

 デューンヴァイスの忠告に、エルフェリスは思わず声を上げた。

「ロイズって何人もドール持ってるの?」
「てかツッ込むとこ間違ってるだろ!」

 半笑いのデューンヴァイスにすかさずおでこをべしっと叩かれて、エルフェリスもつられて吹き出した。

「まあいいや。とにかく何でも良いから着替えろ。誘ってんのか?」
「は?」

 言われている意味をすぐに理解できず、一瞬きょとんとしてしまったエルフェリスに向かってデューンヴァイスは妖しく微笑むと、エルフェリスの腰をぐっと引き寄せ破れたスカートの穴から露出する太股に触れた。

「ぎょえーーッ! このエロバカッ」

 途端エルフェリスは火が付いたように叫び声を上げると、デューンヴァイスの胸を両手で押し返し、一番近くにあったドレスをむんずと掴むとそそくさフィッティングルームへ逃げるように駆け込んだ。

「エールー。生着替えでも構わないぞー!」
「うるさいッ」
「あはは」

 能天気にバカ笑いするデューンヴァイスの声を全身に浴びながら、大慌てで着替えるエルフェリス。

 これでも一応聖職者なのに!

 なんて迂闊うかつだったのだろうとエルフェリスは一人激しく後悔した。今日だけで二度も足を触られてしまった。それも男性に。ヴァンパイアに。

「デューンのバカヤローっ!」

 沸々と湧き上がる怒りを連続爆発させながら、袖に腕を通し、背中のファスナーを何とか上げた。デューンヴァイスはその間もソファに仰向けに横たわり、くすくすと笑い続けた。

「……ホント……変なヤツ……」

 そう呟きながら。

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