【残044話】狂愛の果て(2)

† † † † †

 慌しく居城内を走り回る者たちの足音が、静まり返った回廊に響き渡る。

 先ほどから自室のバルコニーに立ち、泉の方角をじっと見つめたまま動きもしなかったレイフィールは、その騒音がさも邪魔だと言わんばかりの表情で、それでも何かを思案しあんしていた。

 闇色を取り戻した空と、やたら騒ぎ立てる女たちの声を背に。

 しかし、時間を経るごとに何やら城内の騒ぎの方が大きくなっていくようだった。それはまさに秒刻みで。

「あーー。もう! うるさいな!」

 これではまとまる考えもまとまらないと、人知れずレイフィールはいら立った。

 他人の……取り分け女の上げるわめき声はことのほか耳に響く。

 脳細胞や鼓膜こまくにあの鋭い爪を立てられて、きいきいと引っ掻かれているかのようだ。

「う~。まずはあっちから片付けよっと!」

 レイフィールはそう言うと、バルコニーの手すりに手を掛けて、何を思ったかそのままひらりと空中に身を躍らせた。

 だが重力に逆らうその身体は、まるで綿毛のようにふわりふわりと夜空を漂う。

 そして遥か目下もっかの城の入り口へと降り立った。

 そこでは数人の女たちが血相を変えてあちらへこちらへと慌しく往来おうらいしている。どれも何度かは見かけたことのある顔ばかりだ。

 普段ならば自分の姿を見かけた途端に「レイフィール様、レイフィール様」と猫撫で声で寄って来る者たちばかりなのに、今日はまるで眼中にも入っていないのか、彼の横をことごとく素通りしてくれる。

「ふーん? どこもかしこもおかしな夜だ」

 自分で発言しておきながら、自分だけが部外者だと言わんばかりのセリフに思わず自嘲じちょうの笑みが漏れた。

 今夜のこの騒動について本当に自分が蚊帳かやの外なのかどうかは、正直レイフィール自体分からない。

 分からないから、こんなに能天気にしていられるのかもしれないが、しかしこの様子だとどうやらのん気に笑っている場合ではなさそうだ。

「ねぇねぇ、一体どうしたの? さっきから騒がしいみたいだけどー?」

 あたかも何も知りませんと言った風を装って、レイフィールは一人の女をつかまえると柔らかくそう問い掛けた。

 一方の女は突然腕を掴まれていぶかしげに眉をひそめて振り返ったが、レイフィールの姿を認めるやいなや瞬時に顔を赤らめる。

 しかしすぐにはっと我に返ると、わずかに緩んだ頬を無理やり引き締めてこう言った。

「これはレイフィール様。ご心配をお掛けして申し訳ありません。実はドール仲間が二人ほど行方をくらましておりまして……」
「ドールが? こんな夜に?」

 女の言葉に、レイフィールは密かに瞳を光らせた。

 本当に何なのだ今夜は、と思いながら。

 あっちでもこっちでもわけの分からない事ばかり。

 だが女はそんなレイフィールの様子に気付くこともなく話を進める。

「私たちはロイズ様のドールなのですが、夕方あたりからアルーンとイクティの二人が見当たりませんの。今宵は一緒に茶会でももよおそうと約束していましたのに……不思議で」

 女はそう言うと、開け放たれたままのエントランスの方を見つめて、ふーっと長く息を吐き出した。

「誘って来たのは彼女たちの方でしたのよ? 急に外出でもしたのかしら。おまけにこんな時にもカルディナは姿を現さないし……」
「あの女は来ないでしょ。ロイズにしか興味無さそうだし」

 女の心底うんざりした顔に興味を覚えて、悪戯いたずらにその不満をあおるような言葉を返してみれば、女はまったくその通りなのだとレイフィールの思惑おもわくにまんまと乗ってきた。

「カルディナは本当にロイズ様一筋ですからね。私たちですら目の敵ですもの。嫌になっちゃう!」

 よほど日頃の鬱憤うっぷんが溜まっていたのだろうか、女は一度口を開くと、聞いていないことまでべらべら喋り出した。

「利用する時だけころっと態度変えちゃうし、その癖自分以外の誰かがロイズ様に召されるとヒステリー起こして喚き散らし。……ご存知ですか? レイフィール様。彼女はいまだにリーディア様の事も根に持ってるんですよ?」

 女が何気なく口にした言葉に、レイフィールの顔色がわずかに変わった。

「リーディアはカルディナには関係ないじゃん」

 何やらあやしげな色を含んだ笑みを浮かべるレイフィールがとぼけながらそう言うと、ドールの女はそうではないのだと首を振る。

「リーディア様がロイズ様のちょうを受けていらしたという事実が許せないんだと思いますわ!」
「えー? だってリーディアがロイズのドールだったのなんてカルディナが来る前の話じゃん。そこまで気にすんの? あの人」
「しますわよ。そうじゃなければ大してロイズ様と接点のない聖女様にだってあんな事……あ……」

 女はそう言うと、突然口をつぐんで下を向いた。

 けれど時すでに遅し。

「あんな事ってどんな事ー?」

 にっこりと微笑んだレイフィールが、続きを話せと言わんばかりに女の顔を覗き込んでいた。

 その笑顔に、女は小さく息を呑む。

「あの女……エルに何したの? ねぇ」
「いえ……、あ、あの……」

 女が口をつぐむほどに、レイフィールはその距離を縮めていく。

 その行動に女は明らかに狼狽ろうばいしていた。小悪魔のような瞳は女の目を捕らえて離さない。

「言わないなら、アンタとカルディナがエルに何かしたってロイズにチクっちゃうよ?」

 その言葉を聞くやいなや、顔面を蒼白に染めた女は唇を震わせながら、前に立つレイフィールを見やった。

 彼を見つめる女の目が動揺に揺れる。

「ちが……私はただカルディナに命令されて……!」
「……命令されて? それから?」
「……毎日……箱を……」
「箱?」

 いまいち煮え切らない女の態度に内心イライラしながらも、レイフィールはやんわりと、けれども絶対的な圧力で女に先をうながした。

「中にあんな物が入ってるなんて知りませんでした! でも……カルディナが毎日私たちにそれをエルフェリス様に届けろと怒鳴るから……」
「どんな物が入ってたのさ」
「……私が見たのは……血塗ちまみれの……動物の……脚……」
「――ッ! あの女……ッ! ぶっ殺してやる!」

 冷めた青の瞳をカッと見開いて、レイフィールは今にも飛び出さんときびすを返した。

 しかしそれをドールの女は必死に制止する。

「待って下さい! もう一つ気になる事を思い出しましたの! 行くならそれを聞いてからにして下さいませ!」

 腕をがっしり掴む女の懇願こんがんに、レイフィールはわずかに冷静さを取り戻して再び彼女に向き合った。それでももはや、先ほどまでの笑みや余裕は微塵みじんも感じられない。

 必死に頭に血が上るのを押さえている様子だった。

「何?」

 女に返す言葉も実に乱暴で、その様子に女は小さく身体を震わせたが、ここまで喋ってしまったのだ、後はどこまで話そうが同じだろうと腹をくくった。

「先日……ロイズ様が出立しゅったつされた日の夜に、カルディナからロイズ様の手紙を預かりましたの。それを彼女の知り合いのハイブリッドに渡すように……と」
「手紙? なんでハイブリッドなんかに」
「分かりません。……けれど、宛名には確かにエルフェリス様の名前が書いてあって……。何の手紙なのかカルディナに聞いたら、新月の夜になれば分かる……とだけ」

 その言葉にレイフィールは眉をひそめて首を傾げた。

「新月……今夜?」
「ええ。……多分。……私もまったく意味が分からなくて、その事はすっかり忘れていましたの。でもそういえば、連れ立って庭園城門に向かうリーディア様とエルフェリス様を見かけて……その後泉の方から何やら争いの声が聞こえましたでしょ? もしや……」

 女がそこまで言うと同時に、レイフィールの表情が再び一変した。

「それホント?」

 思わず女の肩をきつく掴んで激しく揺さぶる。

 そのあまりの形相に怯えながら、女は困惑の表情を浮かべて何度も首を縦に振った。

「間違いありません! 特にリーディア様は戦闘服でしたし……」
「……なんてことだ……!」

 レイフィールはそう言うと、密かに手の中に忍ばせておいたあの赤い紙切れにそっと眼を移した。

 途切れた黒の文字。わずかに乱れてはいるものの、「EL」と読めはしないか。

「……エル……」

 その先に続く文字は……。
 その音を含む名前は……。

「何だよこれ……くそッ」

 一人叫んで、赤い紙切れを音がするほどに握り潰す。

 そして再び城内へときびすを返すと、近寄るすべての者を吹き飛ばさん限りの勢いで消えて行った。

「レイフィール様ッ」

 ドールの女の引き止める声も、もはやレイフィールの耳には届いていなかった。

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