【残050話】断罪の日(4)

「ちょ……っと?」

 今の今までの緊張感はどこへやら。

 突然のロイズハルトの奇行にエルフェリスはすべもなく、ただただひたすらに動揺した。

 けれど当のロイズハルトはそんなエルフェリスの反応を楽しむように、何度も何度も首筋に指をわせた。

 その感覚が何とも言えないくすぐったさと心地良さを同時に引き起こす。

 たまらずロイズハルトを見上げると、彼はにやりと笑っていた。

「どうやら噛まれた形跡は無いな」
「え……?」

 その言葉にぎょっとして、エルフェリスは勢い良く身を起こそうとした。しかしやはり傷による痛みに襲われて、すぐにベッドに崩れ落ちる。

 それでも必死に顔だけは上げてまくし立てた。

「どどどーゆーこと?」
「ははは。しょっちゅうデューンが添い寝してたから、まさかと思ってな」
「ひぇ……? そ……添い寝って」

 何でもないことのようにあっけらかんと言ってのけるロイズハルトの言葉に、物凄い勢いで頭に血が上る感覚がした。

 しかも脳内の血液容量を超えたのだろうか。もう何が何だか分からなくて、くらくらする。

「添い寝って何? 添い寝って……ってかここどこぉ?」

 うまく動かない口を無理やり動かして、エルフェリスは泣きそうになりながらロイズハルトにしがみ付いた。

 混乱する脳が視界を無理やり狭めているせいで、今のエルフェリスにはロイズハルトの姿しか映っていない。

 けれど一方のロイズハルトは、必死なエルフェリスの姿を楽しんでいるかのように、にやりと笑ったままエルフェリスを見つめていたが、エルフェリスの体をさりげなく支えながら頭を一撫ですると、ははっと笑った。

「そんな顔すんな。ブサイクになるぞ」

 唐突とうとつに、それまで見せたことのないくらいに屈託くったくの無い笑顔を向けられて、エルフェリスの頭はますます混乱した。

「もう十分ブサイクだよ! それよりもここどこなのー?」

 もはやパニックの最高潮。半泣きだった。

「まったく……。お前のどこがブサイクなんだか……」

 そんなエルフェリスを慰めるようにぽんぽんと背中をさすりながら、ロイズハルトはエルフェリスに聞こえるか聞こえないかほどの声でそう呟く。

 そしてそれからゆっくりとエルフェリスの方に向き直ると、体にしがみ付いたままのエルフェリスに手を差し伸べて、ベッドの上に改めて座り直させた。傷が痛まないようにと、背中にその腕を回して。

「からかって悪かったエル。でも心配するな。今までの部屋は俺たちの部屋からはあまりにも離れすぎていて目が届かないから、新しい部屋を用意した。ここはその新しい部屋だ。俺たちの居住エリアでもある最上部にあるから、安心だろう?」

 そう言って微笑むロイズハルトは、あまりにも優しい顔をしていた。だからそんな彼に目を奪われて、一瞬呼吸ができなくなる。

「そんな気遣い……しなくても良かったのにさ……」

 消え入りそうな声で、エルフェリスがうつむく。

「まぁそう言うな。先日の事態は俺にとっても不本意だった。一介のドールがあんな事を仕出かすとは……本当に申し訳なかった」

 ゆっくりと垂れる頭、それから切れ長の瞳がそっと閉じられる。

 嫌だ……、とエルフェリスは思った。

 そんな顔をされると、エルフェリスの胸が締め付けられるように痛む。

「やめてよ! ロイズのせいじゃないよ。……あそこまで深入りしたのは私だもん。あの場で引き返さなかった私が悪いんだよ。本当にごめんなさい!」

 最後は半ば叫ぶように、ロイズハルトよりもさらに深く、エルフェリスは頭を下げた。

 そうだ。引き返せるチャンスはいくらでもあった。それなのにかっと頭に血が上っていたあの夜は、意地でも引き返さない、目に物見せてやると意気込んでしまっていた。

 自分は判断を誤ったのだ。

 こうして今ここにいられるのは、本当に運が良かったからなのだろう。

 リーディアを巻き添えにしてしまった。謝らなければならないのは……こちらの方だ。

 背中の傷がしくしくと痛んだ。ロイズハルトの腕が触れている、その傷が。

 お願い。
 ――このまま抱き締めて。

 抱き締めてくれたら良いのに……。なぜかそう、思った。

 けれどエルフェリスの想いとは裏腹に、ロイズハルトの温もりはエルフェリスから離れていった。おもむろに立ち上がって一人窓辺の方へと歩み寄るロイズハルトの姿を、目で追うことしかできない。

 少しだけ目頭が熱くなるような感覚に、エルフェリスの心は揺れた。

 それから数日後、完治とまではいかずとも、何とか自由に動き回れるほどにまで回復したエルフェリスは、足慣らしをしようと庭園に下りてみることにした。

 それも太陽降り注ぐ昼日中に。

 ともなう者は誰もいない。エルフェリスだけが唯一出歩ける時間。誰にも邪魔されることなくゆっくりと英気えいきやしなえるというものだ。

 しかし、それ以外にも目的があった。

 確かカルディナは地下牢獄にいるとロイズハルトは言っていた。

 静養にあてていた期間をただむだに過ごしていたわけではない。頻繁ひんぱんに部屋を訪ねてくるデューンヴァイスやレイフィールに、それとなく牢獄の位置を聞いたりして、いつか一人でその元へ乗り込んでやろうと目論もくろんでいたのだ。

 聞くところによれば、ロイズハルトとの血の契約を破棄されたカルディナは、日に日に老い衰えているらしい。契約によって成長を止められていた体が、契約破棄と同時に大きな反動をもたらしているのだろうともっぱらの噂だった。

 一度そうなってしまえば、再び契約を結ぶなり、ハイブリッドになるなりしない限り、その者の体は長くはもたない。急激に加速する体の変化に魂がついていけなくなるらしいのだ。

 ということは、彼女に残された時間はあとわずかであることは想像にかたくなかった。何としてもその前に事の真相と、そして彼女に手を貸した死霊使いのことを聞き出さねばなるまい。

 だからエルフェリスはあえて皆が寝静まっているこの昼間を選んだ。邪魔する者のいない二人きりの方が、あるいはカルディナの本音を引きずり出せるかもしれない。

 すっかり弱ってしまった足にむち打って、教えてもらった地下への扉を開け放った。その瞬間、体にまとわり付くような冷気が足元から吹き抜けていく。

 ここにはやはり、地上とは違う薄気味悪さがあった。

「……大丈夫……大丈夫」

 自分にそう言い聞かせながら、狭くて冷たい階段を下へ下へと下りて行った。

 ほんのわずかな足音さえ、この空間にあっては大きく響く。加えてこの雰囲気。いかにも何か“出そう”だ。

 「……」

 足が震えるのは、決して弱っているからではなかった。

 はっきり言って暗闇は苦手だ。視界からことごとく色を奪ってしまうから。けれどカルディナへの確たる思いが、エルフェリスの足を前へ前へと突き動かした。

 やがて最下層に辿り着いたのか階段は途絶え、代わりにかすかな灯りに照らされた一本道が奥の方へと伸びていた。

「ここか……」

 最下層の一番奥。そこにカルディナは幽閉ゆうへいされているのだとデューンヴァイスやレイフィールは言っていた。

 エルフェリスがそこへ出向くことは薄々感付いていたようだが、二人は特に引き留めるようなことはしなかった。エルフェリスの気の済むようにすれば良いと考えてくれていたのだろう。

 かつんかつんと足音が、静寂せいじゃくと闇に包まれた回廊かいろう木霊こだまする。

 けれど進むにつれて、それ以外の何かが混じるようになった。胸を潰されるような、からからのなげき声……。

 長い回廊の終わりを知らせる黒い壁が目に入ると、エルフェリスはいっそう気を引き締めて、それから意を決してその声が発せられる牢の中を覗き込んだ。

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