人は未来を知ることができない。
そんな便利な能力が備わっていれば、こんなにも荒くれた世の中にはなりはしなかっただろう。
けれどまた、人間とヴァンパイアが共存をしようなどという方向にも向かなかったかもしれない。
結局は、なるようになるしかないのだと思い知らされる。それでも足掻いてしまうのだろうが。
歳月というものは案外あっさり過ぎ去ってしまうもの。
あの新月の夜の襲撃でエルフェリスが受けた傷もすっかりと癒えた頃、居城内は一つの噂でもちきりとなっていた。
「ルイ様がお戻りになるらしいわ!」
「まあ……何年ぶりかしら」
「今回は一体何人のドールをお連れになるのでしょう」
「楽しみですわ」
そういった声が毎日四方八方から聞こえてきて、城内は、特にドールの面々は誰も彼もがひどく浮き足立っていた。
その時ばかりは自らの所有者の存在など忘れてしまっているかのように、すれ違う女の口からは一様に「ルイ」という名前が零れて、また彼の者の訪れを待ち焦がれるかのように、毎夜白い花の揺れる庭園はいつも以上の賑わいを見せていた。
「どこもかしこもルイ・ルイ・ルイ・ルイって凄いね。そんなにいい男なのかなぁ」
女たちの群がる庭園を、自室の窓から見下ろしていたエルフェリスが何気なくぼんやりと呟くと、周囲からは爆笑という名の返事が返ってくる。
「ちょっと……何で笑うのよ」
その反応を不本意と思って口を尖らせて抗議すると、エルフェリスを取り巻く三人の男たちからは思い思いの反応が寄せられた。
「そんなしみじみ言うな。なんか可哀想になってくる」とロイズハルトが言えば、「こんな近くにこんなイイ男がいるのになぁ。欲張りだぞ」とデューンヴァイスが言う。
そして最後に。
「エルも男に興味が出てきたの?」と小悪魔が笑った。
エルフェリスはそれを少し冷めた目で傍観する。
こんな光景にはすっかり慣れてしまった。
新しい部屋に変わってからというもの、シードの三人は何かにつけてエルフェリスの部屋に入り浸るようになっていた。
彼らの部屋とエルフェリスの部屋がほぼ隣り合わせということもあったのだが、そうなることでまた新たな火種を生んだりしないだろうかと、一時期変にエルフェリスが警戒したからというのも根底にあるのだろう。
リーディアに至ってはその心配はないと笑って断言していたのだが、その理由を聞くや否や、エルフェリスはまたげんなりしてしまうことになる。
「むしろ当分の間はみなエルフェリス様を信望するのではないかしら。人気が出て困ってしまうかもしれませんわよ?」
どうして心配ないのか問い掛けたエルフェリスに対して、リーディアは何かを含んだ瞳を細めてそう言った。
気になって後から改めて聞き直したところ、どうやらドールの最大勢力であったカルディナの謀略を翻し、葬り去ったことで、ドールたちのエルフェリスを見る目が一気に変わったらしいのだ。
レイフィールの所有するドールたちは元々エルフェリスに良心的だったが、ロイズハルトや他のハイブリッドたちが所有するドールもそうだったかと問われれば、答えに窮することもある。
彼女らの態度は、正直エルフェリスがこの城で暮らしていく上で一番の逆風であったことは否めない。
彼女らもあるいは、ドールでもヴァンパイアでもないただの人間であるエルフェリスがこの居城に留まり続けることに対して反感を抱いていたのだろう。
今まで生身の人間は三者会議の時くらいしか滞在を許されなかったことから、エルフェリスに対する特例中の特例とも言える待遇に危機感を感じる者も多かったはずだ。
突然現れて、無遠慮に大腕を振る女聖職者をドールたちが快く思わないことは、エルフェリスもある程度は想像していた。
カルディナの攻撃を受けるエルフェリスを嘲笑う声がところどころから漏れ聞こえてきたのも、一度や二度ではなかった。
しかしながら、曲がりなりにも敵地であるこの城に順応しようと必死だったエルフェリスには、そのような声にいちいち反応しているほどの暇も余裕もなかった。
そのような時間があるのなら、少しでもエリーゼの手掛かりを手に入れたかったし、カルディナと志を共にするようなドールと馴れ合うつもりもなかった。
けれどあの事件の後、エルフェリスは知った。
エルフェリスをせせら笑っていた女たちもまた、エルフェリスの知らないところで随分とカルディナに苦しめられていたということを。