✚残070話 影はいつでもすぐそこに(4)✚
「すぐに明かりを点けるからそこで待ってろ」
それだけを言うと、ロイズハルトは一人暗闇の中へと消えていった。
ヴァンパイアは闇に属する生き物ゆえに夜目が利く。だから普段は明かりを点けることなく過ごすこともしばしばある。
けれどエルフェリスは人間。ある程度闇に慣れることはあってもやはり不自由なのは否めない。
「良いぞエル。入れ」
しばらく回廊で待っていると、明るくなった部屋の奥からロイズハルトの声が響いてきた。
この部屋に入るのは久しぶりな気がするが、一人にあてがわれた部屋とは思えないほど広かったのをエルフェリスは覚えていた。
「お邪魔しまーす……」
そう呟きながら恐る恐る踏み入るエルフェリスに、遠くの方から「こっちに座れ」と声が掛けられた。
「わぁ……はいはい」
あまりきょろきょろしている場合ではないと、そこから足早に奥へと向かう。すると綺麗に整頓された一際大きな部屋が新たに現れた。
ロイズハルトはすでに中央に置かれたソファに腰を下ろし、何やら手紙のような物に目を通している。
ふいに目が合うと、「そこに座って」と顎で指示されたので、言われるがままにエルフェリスはロイズハルトの向かいに腰を下ろした。
エルフェリスが座るのを見届けてからロイズハルトもまた手紙を元に戻すと、そっとテーブルの上に置く。そして言った。
「ルイのことなんだが……」
前置きなく、唐突に話は切り出された。
「あ……」
そしてエルフェリスは瞬時に一昨日の夜の事件を思い出す。
血に塗れたルイと、彼の傍らに積みあがった二つの灰。あの時の情景が、鮮明に脳裏に蘇る。
「あの時は……ルイもいた手前、説明することもできなかった。まずはあの時の非礼を詫びたい」
ロイズハルトはゆっくりそう言うと、エルフェリスに向けて静かに頭を下げた。けれどエルフェリスはすぐにそんな彼の行動を制止する。
「それは必要ないよ! 覗いたのは私が悪かったんだし!」
だから謝ってもらうことなど無いのだと強く主張するエルフェリスに、ロイズハルトはまた「すまない」と口にしながら顔を上げた。
「まさか帰って早々とは……想定外だった」
そしてそう言うと、眉をひそめたまま微かに苦笑した。
その言葉の意味が分かってしまうだけに、エルフェリスは笑えない。
けれどこれだけは言わなければならないだろう言葉を伝える為に、エルフェリスはごくりと唾を飲み込んでから口を開いた。
「嘘か本当かは知らないけど……あの後ヘヴンリーからルイのことは聞いた。……その様子だとあいつの言ってたことは……本当みたいだね」
真っ直ぐに、ロイズハルトの双眸を捉えたまま意を決してそう告白すると、彼は困ったような笑顔を浮かべて「そうか」と溜め息を吐いた。
「ヤツめ……余計なことだけは素早い」
そしてもう一度ふーっと息を吐くとソファの背もたれに寄り掛かり、ふと天を仰いだ。
エルフェリスはそんなロイズハルトを無言のまま見守っていた。ここは口を開くべきところではない、と自分に言い聞かせながら。ここから先はロイズハルトが尋ねることだけに答えればいいのだ。
「それで、ヘヴンリーがどんな言い方をしたのかは知らないが、ルイが発作的にドールを殺してしまうことがあるのは知っているんだな?」
「……うん」
「そうか。……なら一つ目の話は終わりだな」
「えっ、もう? 理由とか無いの? 理由が無いわけじゃないんでしょ? 教えてよ」
聞き役に徹すると決めたばかりなのに、あまりにもあっさりと話題を変えられそうになって、エルフェリスは少々面食らったまま思わずそう聞き返していた。
発作的とはいえ、何かそういう行動に走らせる要因は必ず存在するのだろうし、そんな男のドールとなった姉を持つ身としては、ああそうですか、と易々話を終わらせるわけにはいかない。
それ以前に納得できない。しかし。
「理由は……俺から言うことじゃない」
わずかに目を伏せて、ロイズハルトはエルフェリスの要求を拒んだ。
「言うべきことじゃない……? てことは理由に心当たりはあるってこと?」
「ある。しかし俺……俺たちからは言えない」
「……そう」
ここまで頑なに拒否されては、これ以上追及することもできなかった。
理由は確かにあれど、ロイズハルトからは何も言えないと言われては、しぶしぶ納得するしかないのだろう。
それにしてもどういう意味なのだろう。明確な理由はあるが、言えないとは……。
「すまない。だが……これはルイ自体の問題なんだ。俺たちの制止の声もルイには届かなかった。そのうちルイが話してくれるかもしれないし、話してくれないかもしれない。納得できないかもしれないが……解って欲しい」
そう言ったロイズハルトの瞳は真摯なまでに力強い光を放っていた。
ごまかそうとしているわけではないだろうし、エルフェリスもなんとか心の整理を付けて幾度か頷くと、「わかった」と短く告げた。
「すまない」
それからもう一度、ロイズハルトからの謝罪の言葉が向けられる。何度も何度も謝るロイズハルトが可笑しくて、エルフェリスは思わずくすりと笑ってしまった。
「謝り過ぎだよ、ロイズ。もういいから……。それより話はまだあるんでしょ? そっちを聞かせてよ」
くすくす笑いを零しながらそう言うと、ロイズハルトは思い出したように手を叩いて身を乗り出した。
そしてエルフェリスの目をじっと見据える。
「え……な、なに?」
少しだけ不穏な空気を纏ったロイズハルトの様子にたじろぎながら、エルフェリスももぞもぞと姿勢を改める。
すると彼は手元に置いた先ほどの手紙を、すっとエルフェリスの方へと差し出した。
「?」
ロイズハルトと手紙とを交互に見つめるエルフェリスに、彼はひどく落ち着いた声でこう言った。
「ゲイル司祭からの手紙だ。読んでみて欲しい」