【残051話】断罪の日(5)

「……カルディナ……?」

 そしてそっとその名を呼ぶ。

 返事は無かった。

 てっきり自分の姿を見てつかみかかって来るとばかり思って内心身構えていたエルフェリスは、反応を見せない声の主をいぶかしんで、回廊を照らす小さな松明たいまつを手にとってさらに奥を覗いた。

 揺らめく炎に照らされて、隅の方で小さくうずくまる人の影が目に入る。エルフェリスや灯りに顔を背けて、どんなに問い掛けても影はぴくりとも動こうとしない。しかしながらずっと、闇の中に隠れるように影は嗚咽おえつを漏らし続けた。

 エルフェリスはしばらく彼女が泣き止むのをじっと待っていたが、どうやらそれは長期戦となりそうだった。

「……カルディナ。あなたカルディナでしょ? そのままでいいから、私の質問に答えて」

 だからさっさと根競べを放棄して、エルフェリスは再度カルディナに問い掛けた。

 いくら泣いたって、優しくなどしてやらない。彼女の今の状態を、気の毒だなどと思ったりもしない。この状況を招いたのは他でもない、彼女自身なのだから。

 だからエルフェリスは毅然きぜんとした態度でなおも続けた。

「黙り通すならそれでもいいよ。でも聞いて。どうしてあんな事したのか知りたいの。私もリーディアも、あそこまでされるような事をした覚えはないわ。それともロイズの名をかたって私たちを殺すことで……ロイズを陥れたかったの?」
「違うっ!」

 それまで聞く耳を持たなかったカルディナが、そこで初めて反応を示した。こちらの動きを静止させるほどの絶叫を伴って。

 そして揺らめく松明は、牢の奥からこちらを睨み付ける女の姿を照らし出した。その姿にエルフェリスは驚愕きょうがくし、思わず後ずさると息を呑む。

 血色も良く、張りのあった肌はしわしわに衰え、綺麗な光沢を放っていた髪の毛は艶のない白髪と化している。衣服だけは連行された時のままなのか、きらめく宝石の散りばめられた豪華な赤いドレスであったが、それがまた今エルフェリスの前にいるカルディナの現状をより鮮明に映し出しているかのようだった。

「……」

 本当にこれがあのカルディナなのかとにわかには信じられなかった。けれど痩せ衰えても目に宿る輝きだけは、異様なほどの圧力を感じさせる。

 ありったけの憎しみを込めた目でカルディナはエルフェリスを睨み付けると、その歯を剥き出しにした。

「私がロイズ様を陥れるなど……冗談でも言わないでちょうだいっ! 私はただ……目障めざわりなあんたとリーディアを消したかっただけ……ロイズ様は関係ないわ!」

 カルディナはそう言うとゆらりと立ち上がり、エルフェリスに飛び掛かるような勢いで冷たい鉄の格子こうしに手を掛けた。獣のような咆哮ほうこうを上げながら、何度も格子を揺さぶる。

 もとよりエルフェリスとてカルディナがロイズハルトをおとしめるなど有り得ないと判っている。挑発して、誘導しただけだ。そこにエルフェリスの本意は無い。

 カルディナが激高すればするほどに、エルフェリスは優位に立てる自信があった。

「ならどうしてロイズの名を使ったの?  アルーンやイクティをも犠牲にして……ロイズが疑われるとは思わなかったの?」
「思ったわ! 思ったけど……あの男がそうしろと言うから……」
「あの男?」

 エルフェリスの声が聞こえなかったのか、カルディナはなおも独り言を呟くかのように続ける。

「ロイズ様の名をかたったとしても、あんたたち二人を消してしまえば問題ないと言われたわ。アルーンとイクティも……ロイズ様を誘惑した罪よ。あの方は私のものなのに! いい気味!」
「……たったそれだけの理由で……あの二人を……?」

 エルフェリスの脳裏に、あの夜見た二人のドールの姿がよみがえる。ひるがえるドレスに包まれた剥き出しの骨、血肉。

 二人とも、人としての最期を迎えることができなかった。人であるのに、人でらざるモノに変えられた。カルディナの狂気と、死霊使いの呪いによって。

 たとえどのような反応を示されたとしても、冷静さは失うまいと心に誓っていたのに、その誓いが早くも崩れ去りそうで、エルフェリスは震える両の拳を懸命に握り締めた。

「たったそれだけで……あんな死に方しなきゃいけなかったの? あんたは間違ってるよ!」
「間違ってない!」
「間違ってるっ」

 冷たく静まり返った回廊に、二人の女の怒声が響いては消えていった。

 エルフェリスは一度、心を落ち着けるために深呼吸をした。怒りは次から次へとマグマが煮えたぎるようにふつふつと溢れ出す。けれどエルフェリスは目を閉じて、なんとかその怒りをやり過ごした。

 だが。

 間違っていないだと?

 軽々しく人の命を奪っておいて、間違っていないだなんて言わせない。せめてこの罪は、罪としてカルディナに認識させてやる。

 エルフェリスは腹に力を入れて、今にも震えそうな声を懸命に絞り出した。

「あんたは……自分の意思でこの計画をたくらんだの? 私とリーディアを殺すためだけに?」
「……私は……」
「どうなのよ。死霊使いの男にそそのかされたの? あんたがそそのかしたの?」

 今にも爆発しそうな感情を無理やり押し込めて、エルフェリスは目の前の老いた女を睨み付けた。唇をぎっちりと噛み締めながら。

 容赦はしない。どんな答えが返ってこようとも、追及の手は緩めない。

 容赦はしない。そう自分に言い聞かせた。

 すると一方のカルディナは突然すべての力を失ったかのように、その場にへなりと座り込んだ。

 その瞳はうつろに揺らめいている。

「あの男が……死霊術を使うだなんて知らなかったのよ……。ただ目に物見せたいなら、ドールを二体ほど用意しろって言われて……あの二人を差し出した」

 いよいよ観念したのか、カルディナはゆっくりとではあるがその口を開いた。

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