Dream12.短剣と黒水晶2
「黒き欠片に還ったか。華の命は短いものよ。なぁ……サキュバス」
男の目の前で揺れる天秤から黒水晶がひとつ、消えていた。
だが男は不気味に笑い続ける。
「キラか……面白くなってきたわ。ヒヒヒヒヒ」
冷たく暗い部屋に木霊する声は、いつまでもいつまでも響き渡っていた。
★✶✶★★✶★✶✶★
「これのどこがサキュバスなのよ!」
「頭でも打ったんじゃないのか?」
小さな黒い珠を覗き込んで、私とクライス同時に叫ぶ。
だがセシルドは何も言わず不敵に笑っているだけだった。
さぁ、なぜでしょう? とでも言いたそうな顔で。
けれど勿体つけられているこちらからすれば、そういう態度はいい加減焦れったくて、だんだん腹立たしくなってしまうものだ。
「何笑ってんのよ。ケチケチしないでさっさと教えなさいよ!」
こちらの世界に来てからと言うもの、自分の気の短さを痛感する機会が増えた。
特にセシルドに対してはかなり。
私がああ言えば……。
「てめぇ、そういう聞き方すんなら教えねぇぞ! 金魚のクセに!」
と反論してくる。
年下の分際で生意気な!
けれどそんなセシルドでも頭の上がらない人物がこの場にひとり。
「まさか俺にまで内緒にする気じゃないよなぁ?」
白馬の王子様クライスがニヤリと笑った。なんとなく黒いオーラを纏って。
すると途端にセシルドの表情から“余裕”の二文字が消え、子憎たらしい笑顔の代わりに憮然の色が浮かんでいった。
「分かったよ!」
降参と言うように片手を軽く挙げて、わざとらしい溜め息を吐くセシルドだったが、やはり主であるクライスには逆らえないみたいだ。
普段からのデカい態度は変わらないけど。
「んじゃ、なぜこれがサキュバスかと言うと……」
「うんうん」
黒い珠を覗き込んで、私とクライスとリュイが揃って頷く。
そんな私達をぐるりと見回して、またセシルドは溜め息を吐いた。
「……てか三人とも近ぇよ!」
一旦後ろに身を引いてから、鬱陶しそうにセシルドが叫ぶ。
叫ばれた側の私達は互いに顔を合わせてから、のっそりと身を引いた。
集中し過ぎるあまり、みんなかなりの至近距離まで身を寄せていたのだ。
とりあえず全員自分の椅子に座り直し、それから改めて黒い珠の説明を受けることにした。
「とりあえず、見てもらうのが一番だな。金魚、短剣出して」
「金魚じゃないし」
また金魚と言われた事に対して口を尖らせずにはいられなかったが、話しの腰を折りたくなくて、言われるままに短剣を取り出した。
そしてある事に気付く。
――短剣が淡く輝いていた。
「あれ? さっきまでは何ともなかったのに」
「発光してるみたいですね。これは一体?」
目を丸くしたリュイが私と短剣を交互に見つめてきたが、私もワケが分からずただただ首を横に振るしかできない。
「サキュバスを封印した時からこの珠をある程度近付けると光るんだよなぁ~その短剣。それもっと近付けてみ」
セシルドはそう言って、摘み上げた黒い珠を示した。
何だかよく分からないけどここは言われた通りにするしかないのだろう。
怪訝に思いながらも恐る恐る短剣を珠に近づけてみる。
すると共鳴するかのように双方が強く輝きだし、部屋の中を幾つもの淡い光が包み込んでは消えていった。
私はその変化に驚いて、半ばパニックに陥りながら、光で眩しく浮かび上がる部屋中と短剣、そして黒い珠を交互に見比べた。
光はいつまでも放たれ続ける。
だが、ふと目に留まった物があった。
光を放つわずかな瞬間、小さな黒い水晶に何かの形が浮かび上がったのだ。
眩しくてなかなか直視できない”それ”を何とかして見極めようと、ギリギリまで目を細めて覗き込む。
「……あっ!」
光の隙間に映るそれは、確かにあのサキュバスという夢魔だった。
目を瞑り、膝を抱えて丸くなっている。
「サキュバスがいるよ」
細めていた目をいっぱいに開いて、思わず叫んでいた。
眩しいなんて思いは欠片ほども残っていない。
それほど私は珠の中のサキュバスに釘付けになっていた。
「どうなってんの……?」
呆けたままぽつりと呟く私に、ここからようやく納得のいく答えが返ってくる。
「お前の短剣がサキュバスの作った亜空間を破壊したのは覚えてるか?」
「え……うん、それは覚えてる」
「その後サキュバス自身に異変が起こった事は?」
「……わからない」
片手を額に当てて、薄れた記憶を必死に辿っても、思い出せるのは短剣を地面に突き刺したところまでだった。
それから私は一体どうしたんだっけ。
気がついたらクライスとリュイがいたんだ。
「ごめんセシルド。あたし本当に何も覚えてないみたい……」
そう言いながら、徐々に目線が下がるのを止められなかった。
思い出せないのを分かっているのに、それでもまだ脳内を探ろうとしている私がいる。
けれど、セシルドは一言、いいよ、とだけ言って、珍しくイヤミのない顔で笑った。
「仕方ねぇよ。お前封印の衝撃で吹っ飛ばされてたしな!」
そして今度はイヤミたっぷりの顔で再び笑う。
――ホントなんなのコイツ…。
「キラの封印でサキュバスの亜空間は消滅した。それは理解しました。それでサキュバスは一体どうして珠の中に?」
このままでは埒があかないとでも思ったのだろう、リュイがやんわり先を促した。
「直前に俺はサキュバスを魔具で刺した。その傷口からいきなり黒いオーラが吹き出てサキュバスを飲み込んだんだ!」
「オーラがサキュバスを飲み込んだ?」
目を見開きクライスが叫ぶ。
「はい。金魚の短剣によって亜空間が消滅し始めるのと同時でした! 突然サキュバスの傷口から吹き出したオーラがあっという間にヤツを飲み込んで、コレに」
そう言ってセシルドが再び黒の珠を掲げた。
部屋はまるで時間ごと止められたかのような静寂に包まれた。
私達はしばらく沈黙したまま珠に見入り、それからゆっくりとそれぞれの椅子に身を沈めていく。
それにより知らず知らず短剣と黒い珠が離れ、部屋中に溢れ続けていた光はふっと消えた。
――誰かが深く息を吐いた。
「それが“キラ流の封印”なんですね」
「おそらくは……」
瞳だけを動かして、クライスが同意する。
「だが黒いオーラとは一体何なんだろう。オーラに夢魔本体が取り込まれるなんて……」
額に手を添えたクライスの顔にどんどん難しい色が浮かんでいった。
リュイとセシルドの表情も同じように硬い。
「そうですよね。私も魔具使いとしてのキャリアは長いですが、そのような話は初耳ですよ」
「それって……あたしのせい?」
「いえ、そういうわけでは……。ただ、やはり異変が起こっているのは間違いないようです。今回の事も何か良からぬ意図を感じます」
リュイはそう言うと、自分だけに聞こえるくらいの小さな声で「急がなければ……」と呟いた。
「とりあえずこの珠は金魚! お前が持ってろ」
セシルドはそう言うと、ぐいっと手を伸ばして私の前に黒い珠を置いた。
何であたしが?
とポカンとしていると、無造作に置かれた珠がゆっくりとテーブルの上を転がり出したので、私は慌てて合わせた両手で掬い取った。
その瞬間。
黒い珠が七色の光を放ち、次の瞬間には黒ではなく透明の珠へと変わっていた。サキュバスの姿は跡形もなく消えている。
そしてさらに、びっくりしてうろたえる私の手から自然と浮き上がると、ゆっくりと短剣の中に吸い込まれていった。
「ちょちょちょちょちょっとッ! 吸い込んじゃった! どーすんのよセシルド!」
全部アンタのせいだからね、と言わんばかりに私はセシルドを責め立てる。
そして訳も分からず混乱した不細工な顔のまま、クライスとリュイに助けを求めた。
「まあまあ、その事も魔術師に聞けばいいさ。大丈夫」
「短剣と珠が何かしら共鳴していたのは事実ですからね。キラのせいじゃありませんよ」
二人の言葉に私は少し冷静さを取り戻す。
珠を吸い込んだ短剣が以前よりも少しだけ煌めいて見えた