【残046話】狂愛の果て(4)

 その瞬間。

「リーディ……ア様、いらっしゃる……、の?」

 幾分大きくなったその声に、エルフェリスとリーディアは顔を見合わせると、すぐさまアルーンが縛り付けられている木の裏側に回り込んだ。

 そしてそこにいた者の姿を認めて、リーディアがその名を絶叫する。

「……イクティ!」

 アルーンと同じロープでその身を拘束され、アルーンと同じように肉や骨のき出しになった身体で、イクティはエルフェリスとリーディアの名を弱々しく呼び続けた。

「エル……様。……リーディさ……ま」
「イクティ! 誰がこんなこと……」

 以前の姿をまったくと言って良いほど留めていないイクティであったが、リーディアは構わず駆け寄ると、躊躇ためらいもなく彼女の体に触れた。

 リーディアの赤く染まった瞳から、次から次へと涙が零れ落ちていく。

「黒……おとこ……」
「黒い……男?」

 その言葉にエルフェリスとリーディアは首を傾げる。

「ロイズじゃないってこと?」

 エルフェリスはわずかばかりの期待を込めて無意識にそう呟いていた。

 その小さな囁きにも、イクティは絶え絶えの息で返答してくれた。

「ちが……ロイズ様じゃな……い。……カルディ……とおとこ……、く……ろ」

 確信した。その言葉に、エルフェリスもリーディアも。

 ロイズハルトではない。

 その事実が、エルフェリスの中の不安を一気に払拭ふっしょくするようだった。

 ロイズハルトではない。

 だがロイズハルトでなければ、その黒い男とやらが死霊術の使い手なのだろうか。

 リーディアもその事を何とか聞き出そうと必死にイクティに話し掛ける。

「黒い男って誰なの? 顔は見たの?」
「……み……な」
「カルディナは? あの女は何をしたの?」
「……」
「答えてイクティ!」

 もはや色を失いかけているイクティの瞳から大粒の涙が溢れ出し、崩れ落ちた頬を伝ってリーディアの腕に零れていく。

 それを見たリーディアは、いまだかつて見せたこともないほどの悲痛な表情で唇を噛み締めた。

「イクティ……どうしてこんなことに……」

 かたかたと小さく震えるリーディアの肩。けれどその肩越しから見えるイクティの顔からは、なぜか笑みが浮かんでいた。

「リーディ……さま……。見つけ……くれて……ありがと……。でも逃げ…………ワ、……ナ」

 そこまで言うと、イクティは急に力を失ってがっくりと項垂うなだれた。

 魂の死を……迎えたのだった。

「……イクティ? 罠って?」

 リーディアはなおも彼女の身体を揺さぶり続ける。

 しかしイクティの言った言葉の意味をすぐに受け止めて、背後に立ち尽くすエルフェリスの手を取ると、すぐにこの場を離れんときびすを返そうとした。

 その時だった。

「――ッ!」

 一斉に地中の中からアンデッドの大群がい出してきたのだ。

「ひッ」

 先ほどまで対峙たいじしていた男たちの数とは比べ物にならないほどのアンデッドが、エルフェリスたちの周りを幾重いくえにも取り囲んでいく。

「……はは。……これはさすがに……ヤバイかも?」

 リーディアと背中合わせになりながら後退するも、すぐに逃げる隙間も無いほど完全に包囲されてしまった。

 後退あとずさろうと身を退けば、打ち寄せる滝壺の水と底の泥濘ぬかるみに足をとられそうになる。

「どうする? ヤバイよね……これ」

 こんな状況にも関わらず、なぜか顔が勝手に笑うのエルフェリスは抑えられなかった。

「ヤバイですわね。これでは隙を突こうにもその隙すらありません……万事休すですわ」

 かく言うリーディアも、エルフェリスにつられて笑っていた。

 案外人はピンチに陥ると、何とかそれを打破しようとして笑みを浮かべてしまうものなのかもしれないなどと、この期に及んでまでくだらない事を考えてしまう自分にエルフェリスは心底呆れた。

 しかし。

「厄日だ……くそッ!」

 口から漏れる言葉は、姿なき死霊使いへの恨み言そのものだった。

 何とかこの場をしのがなければ、その恨み言も直接伝えられないだろうとわらわれているようで悔しくてたまらない。

 焦る頭をフル回転させて、それでも何とか切り抜ける為の方法を考えなければならないのに、大量のアンデッドの群れがじわりじわりと迫り来る状況では、冷静な判断も、思考もすべてが奪われていくようだった。

 何か……何か……!

 夜風を含んで冷たさを増した水は、足元の感覚を確実に奪っていく。

 しかし今はそんなことを微塵みじんも感じる余裕すらなかった。

 何か……何か……ッ!

 浮かんでは消えていく案にいちいち首を振りながら、それでもエルフェリスはアンデッドたちを睨み付けながら最善の策を思案し続けた。

 神聖魔法で一掃いっそうする手も無くはないが、今のエルフェリスにこれだけの数のアンデッドを一発で葬り去るだけの力が残されているかどうかは疑わしく、さらに運良く一掃に成功したとしても、隣にいるリーディアをも巻き添えにしかねない。

 自分一人だけ助かっても意味は無いし、リーディアの命も絶対に奪いたくなかったエルフェリスにとって、神聖魔法という切り札は選択肢の中に含まれてはいなかった。

 かといって、カルディナや姿の見えない禁術使いの思い通りにさせる気は毛頭無い。

 だから何としてもこの場を切り抜ける為の方法を思いつかなければならないのだと、エルフェリスは奮起ふんきした。

 何とか……何とか……!

 そう思って硬く目を閉じた瞬間。

 アンデッドの群れの中を、一筋の閃光が走り抜けた。

「え……?」

 その光景はあまりにも一瞬すぎて、エルフェリスもリーディアも自分の置かれている状況も忘れて、ただただ驚きの眼差しを向けるよりほかになかった。

「……うそ……」

 アンデッドの残骸ざんがいが、季節外れの雪のようにふわりと舞い上がって乱れた足元に降り積もっていく。

 ――その中を現れたのは。

 震えるエルフェリスの声と、歓喜に沸くリーディアの声が一人の男の名を呼ぶ。

「ロイズ……」
「ロイズ様!」

 その声に背を向けていたロイズハルトがゆっくりと振り返った。

 そして心底楽しそうににやりと笑う。

「お前ら随分と楽しいゲームやってるな。俺も混ぜろ」
「混ぜろって……どうしてここに……」

 突然現れたロイズハルトを、エルフェリスはまるで幻でも見ているかのように見つめていた。

 けれどそんなエルフェリスの問い掛けに、ロイズハルトはふっと微笑むだけで答えてはくれなかった。

 そしてそのまま再び背を向けると、おもむろにアンデッドの中に突っ込んで行こうとする。

 しかしそこでまた、視界に別の人物の姿が映った。

 風になびく漆黒のロングジャケットに、獅子のような髪。

「なーんだ。先越されたか」

 大剣を軽々と肩に担いで仁王立ちするあの姿を見間違えるはずがない。

 今や誰が見ても蒼白のエルフェリスの顔に、その瞬間更なるきらめきが灯った。

「デューン!」
「お前なぁ……何時だと思ってんだ? 人間は寝ろ! こんなとこで遊んでないで」
「べ……別に遊んでるわけじゃ……」
「ハイハイ、言い訳は後でゆーっくり聞いてやるから、お前たちはそこで大人しくしてなさい」

 そう言うや否や、デューンヴァイスはその手に握り締めた大剣をまるで羽でももてあそぶかのように振り回し、無数に群がるアンデッドたちを次から次へと土に還し始めた。

 その顔に笑みを浮かべながら。

 一方のロイズハルトもそれを見て、負けじとアンデッドの中心に入り込み、こちらは魔術のようなものを用いて葬り去っていく。

 だが迎え撃つアンデッドもみすみす倒されるのを黙って待っているわけではなく、エルフェリスとリーディアも必然的に戦わねばならない状況になり、一帯はすぐに本当の修羅場と化した。

 すでに限界まで磨り減った体力で複数のアンデッドを同時に相手しなければならない戦況に、エルフェリスもリーディアもひたすら精神を集中させた。

 もはや気力だけが身体を動かしているようなものだった。

 すべては生きる為に。

 しかし冷たい水にさらされていた足が、貧血のせいで回り続ける視界が、エルフェリスをいっそう苦しめる。

 それに気のせいだろうか。先ほど泉で襲ってきたアンデッドよりも、手強くなっている気がするのだ。

 それとも私が弱っている……?

 ふとそんなことを思った瞬間。

「……あ……」

 身体の中に、何かが食い込む感触があった。

 ――なにコレ……熱い……。

「エルッ!」
「エルフェリス様ッ」

 ロイズハルトが。
 デューンヴァイスが。
 リーディアが。

 私の名前を呼んでいる……。

 でも変なの、とエルフェリスはぼうっとする頭で思った。
 
 何も聞こえない。

 瞳はこんなにも鮮明に世界を映しているのに、意識が……身体が……“自分の意思”から離れていくのを感じた。

 それと同時に、世界がゆっくりと傾いてゆく。

 その時ふと映ったのは、真っ青に顔を歪ませたロイズハルト。

 ……変なの……。

 前にもそんな顔、見たことあるような気がする、とエルフェリスはふと思った。

 どうしてだろう?
 そんな顔しないで、ロイズ……。

 そう思いながら次に感じたのは、頬に打ち寄せる冷たい水の感触。土の匂い。

 そこでぷっつりと、意識は途絶えた。

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