✚残048話 断罪の日(2)✚
「リーディアは? リーディアは無事なの?」
ただでさえ早い段階で背中に大きな一撃を受けていた上に、彼女もエルフェリスの傍で戦っていた。リーディアも同じように、さらなる傷を浴びせられてしまったのだろうかと、エルフェリスの瞳が不安に揺れる。
だがロイズハルトはその不安を打ち消すかのように、笑みを浮かべて言った。
「リーディアは大丈夫だ。……彼女は幸い重傷とまではいかなかったが、まあ、静養中には変わりないけどな」
「そう……ところでデューンは私に何をしてくれたの? お礼を言おうにも何が何だか分からなくて……」
そう。
あの夜はもう、目の前のアンデッドを相手するだけで精一杯だった。次から次へと押し寄せるアンデッドの波にのまれまいと必死で、周囲の状況にまで目を向けることができなくなっていた。だから背後からの攻撃にまったく気が付かずに、そのまま意識を失くしたのだろうとエルフェリスは思った。
ロイズハルトやデューンヴァイスが来てくれなかったら、本当に死んでいたのかもしれない。
文字通り、助けてもらったわけだ。
「情けない」
声なき声で呟いて、人知れず、エルフェリスはシーツを固く握りしめた。
「まあ、そこまで気落ちするな。まず、デューンが施したのは解毒だ」
「解毒?」
「ああ、どういうわけか、あのアンデッドの刃には猛毒の液体が塗り込まれていた。傷も深かったが……その毒の方が厄介だった。だが、ああ見えてもデューンは毒物に精通している。……運が良かったな」
そこまで言うと、ロイズハルトは再びエルフェリスの頭をくしゃっと撫でた。ひやりと冷たい大きな手が心地良くて、エルフェリスは思わず目を閉じる。ふわっと微かに甘い香りがした。
ロイズハルトの手が何度も何度も髪を撫でる。
時が止まれば良いと思った。
このまま、時が止まれば……。
そんな想いにふと身を任せようとして、でもその幸せな一瞬を破り去ったのは他でもないエルフェリス自身だった。
心地よい幸福感に浸っていたかった、本当は。だが、今はその時ではない。なぜなら今は、“知らなければならない事”を知る時であると思ったから。
この冷たくも温かいぬくもりに包まれて、夢に浸るのは簡単なことだろう。けれど、今のエルフェリスには他に知るべきことがある。
エルフェリスは意を決したように目を開いた。
「ね……ロイズ」
「ん?」
「私とリーディアを呼び出したのは……誰だったの?」
遠く、どこか遠くを見つめながら、しかしはっきりとエルフェリスはロイズハルトに尋ねた。
それに反応したロイズハルトの瞳が自分に集中しているのを感じて、エルフェリスはゆっくりと、恐る恐るその表情を探るように顔を上げた。
だがあえてその目を合わせようとはしなかった。続きを聞く覚悟が揺らぐことを、エルフェリスが恐れたからだった。
「……カルディナであることは間違いない。……すまない」
「……そっか」
カルディナが企みに関わっていたことは、あの夜、事切れる寸前のイクティから証言を取り付けてあったので知っていた。
だが、それだけではあの夜の凶行がなぜ起こったのか理解するには不十分だった。カルディナはエルフェリスだけでなく、リーディアも同時に呼び出していたのだ。
カルディナにしても、あの時指定された泉に集結していたハイブリッドたちにしても、それぞれがエルフェリスとリーディアという存在を始末してしまいたい思いがあったのは、誰に聞かずとも明らかだった。
問題はそこに死霊使いの男とやらが絡んでいたことだ。
聖職者一人と、ハイブリッド一人を闇に葬るためだけに、二人のドールを犠牲にしてあれだけ大量のアンデッドを作り出す必要がどこにあるのだろうか。
もしかすると、自分とリーディアを誘き寄せたのはあくまでも表向きで、死霊使いの男やカルディナには別の思惑があったのだろうか。いや、恐らくカルディナにはそこまでの考えはなかっただろう。あの女は単純にエルフェリスを消してくれさえすればそれで良かったはずだ。
では死霊使いの男は?
なぜ自分やリーディアにアンデッドをけしかけてまで、自らの存在を主張するような手段を選んだのだろうか。
エルフェリスも初めはロイズハルトが蘇生術を操る禁術使いだと知って、彼の関りを疑ってしまったことは確かだ。だが冷静になってみれば、あれほど派手に戦えば、いくら城から距離があるとはいえ、誰かが気付いて様子を見に来るかもしれないという懸念もあったはず。実際デューンヴァイスが騒動に気付いて加勢しに来たのだから、あながち間違った考えではないとエルフェリスは思案した。
それでもあえてロイズハルトを首謀者に仕立て上げ、エルフェリスとリーディアの二人を殺すためだけに企てられた陰謀だったのだとしたら、襲われた方であるにもかかわらず首を傾げてしまいたくなる。
要するに腑に落ちないのだ。
そんな簡単な出来事ではなかった。
あの夜に感じた恐怖や殺気は、そんな簡単な経緯で片づけられるようなものではなかった。
いくつも首をもたげてくる疑問は、あの夜見た光景とともに矢継ぎ早にエルフェリスの脳内をぐるぐると回り、掻き乱した。
そんなエルフェリスの様子を見て、ロイズハルトもまた苦渋の表情で先を続ける。
「カルディナが俺の名を騙って二人を呼び出したことは、あの夜すでにレイが突き止めていた。あの日俺は、辺境での仕事を終えて夜半過ぎに城へ戻る途中、あの滝でエルたちを見つけた。ヴァンパイアたる者の習性か、血の匂いには敏感でね。それに頻繁にオレンジの閃光が空に走っていたのも気になっていたんだ。まさかあのような事になっているとは思わなかったが……」
ロイズハルトはそこまで言うと、ぎらっとした光をその瞳に宿し、わずかに顔を上げて窓の方を見やった。その視線の先には、あの泉があった。
心底忌々しそうな表情で先を見つめるロイズハルトの横顔を見つめながら、エルフェリスはなおも黙って話の続きを聞いていた。
「エルが倒れた後、そう時間もかからないうちに決着が着いた。それから急いで城に戻って、リーディアから事のあらましを聞いて……。手紙の件ですぐにぴんと来た。カルディナは俺と筆跡が似ている上、捌き切れない書類の代筆をたまに頼んでいたりしたのだが、まさかそこを逆手に取られるとは……」
「……でも……リーディアはロイズの字に間違いないって言ってたよ?」
「リーディアには代筆の件は内緒にしていたんだ。手を抜くなと怒られそうだったからな」
そう言うロイズハルトの顔に一瞬の笑みが宿る。しかし次の瞬間にはまた、厳しい表情に戻ってしまった。
「まさかこんな大それた事を仕出かすなんて思いも寄らなかった。だが……城に戻った時にはすでにレイがカルディナの尋問を始めていた。レイはああ見えても頭が切れる。憶測で物事を判断し、実行したりしない。だからそこで確信した。……カルディナが首謀したのだと……」
低く呻くようなロイズハルトの声に、エルフェリスは無意識に肩を震わせた。